Report 9 復讐の追跡者(チェイサー)


 その後の事を、明日香は覚えていない。
 気が付けば、目の前に死体が二つ転がっていた。
 一つはアリシア。もう一つはアーティの。
 そして、自分の手には、護身用のナイフが握られていた。
 そしてその手は血で真っ赤に染まっていた。
 明日香の瞳に、はっきりとした熱い筋が走る。
 涙だ。
 それは、ついに人を殺した自分に向けたものか、それとも単純に友の死を悲しんだものなのか。
 明日香にも解らない。
 もう、こんな悲しみは追いたくなかった。
 だから明日香は孤児院を出た。
 アリシアの言葉が、明日香の胸に残っていた。
「強くなりなさい。」
 母の言葉と共に明日香の胸に残る親友の言葉。
 誰も巻き込まない為に。誰にも悲しみを負わせない為に。
 そのために、明日香は独りになった----。
 一人で-----追跡調査をし、ファイルを付け足し、オークショット邸に忍び込み----。

 そこで明日香は目を覚ました。
 ルージュの格好のままでベッドに倒れ込み眠っていた。
 すでに朝だ。
「いけないっ!遅刻っ!」
 明日香は、慌てて制服に着替え、髪を解き、カラーコンタクトを入れて眼鏡をかける。
 そして、アパートを飛び出した。

 明日香が学校に着くと、章子と美奈がやってくる。
「ね・ね・ね、聞いた?」
 いきなりそう言ってくる章子に、明日香。
「何を?」
 美奈はあきれ声で、
「もう。情報とろいんだから。何と、大スクープっ!なのよ。」
「どうしたの?」
 その明日香の言葉に、章子と美奈は声を合わせる。
『聖良シスターが、何者かに刺されたみたいなのっ!』
「何ですってぇぇぇぇぇぇええ!」
 素っ頓狂な声を上げる明日香。
 そして、その言葉を聞いただけで明日香には犯人が誰か分かった。
 あいつだ。
 アーティチョーク。
 例の情報は細かすぎた。裏ネットの掲示板。
 きちんと聖良の事まであったのだ。
 やはり、きちんと始末すべきだったのだ。
 明日香は悔やんだ。
 そして踵を返し、教室を出る。自分は気分が悪くなったから帰ると言い置いて。
 説得力はないが仕方ない。
 誰にも、あんな思いはさせたくない。今更ながらにそう思った。
 アーティチョークとあの一件を思い出してしまったから。
 本人たちにたいした被害が無いから、そして親友の死の凄絶な記憶を思い起こしたくないからあえて
無視したのだ。
 だが、知り合いが自分と同じ目に会うのを見過ごせない。
 もっとも、それがまったく知らない人間でも、明日香は行動を起こしたろう。
 基本的にそう言う娘だ。だから、悪ぶったり、自分の事を卑下したりする。
 自分が『人を助ける為に物を盗む』事によって自分がもっとも嫌う『悪党』の仲間入りをしている事
を自覚しているから。
 どんな理由があれ『物を盗む』事は『許されない罪』なのだ。
 その事によって、人の運命は狂う。どんな状況にあっても。
 それは、必ずしっぺ返しを食らうのだ。何年後になっても。

 大貴は、不意に一人の少女の事を思い起こした。
 矢部といったか。中学2年の頃にしっぽの一件に関連して彼が捕まえた泥棒は。
 彼の連行に付き合った時、一人の少女がいた。
 大貴より年下だった。5〜6歳くらいだろうか。
 涙で顔をぐしゃぐしゃにして激しく叫んでいた。
「お父ちゃんを帰してよ!」
 と。あの時は、こいつは悪人なのにと単純に思い黙殺したが----。
 あの後、彼は法改正と脱獄の繰り返しにより『反省の色無し』と死刑を受けさせられた。
 芽美たちには教えなかった。そのことで、彼女の心に曇りを作るような事はしたくなかった。
 だが、もしかして、あえて知らせるべきだったのかもしれない。
 あの時の大貴は、単純だった。
 人の心を考えず、良い・悪いで判断していた。
 セイント・テールに会い、正体を知り、彼はその思考から脱却した。
 探偵修行で、人の心の在り方も理解の仕方も知った。
 だが------それではもはや、遅かったのかもしれない。
 大貴は誰とも無しに呟く。
「どういう事であろうとも……俺は、妻を、芽美を守る。」

「あたしも、手伝わせて。」
 真美のその言葉に、雅貴は言う。
「元からそのつもりだったが……。まさか、そこまでやろうとするなんて……。」
「あたしにとって、シスターは命の恩人、親も同然なの。やって当然よ。」
 真美の言葉に雅貴。
「判った。いちかばちか。やってみよう。」

 同じ頃。手術室の扉が開き、医師が顔を出す。
 佐渡が言う。
「深森さん……シスターは?」
 医師は、にっこりと言う。
「大丈夫です。危機は脱しました。出血が激しかった事と傷がかなり深かったせいで少々てこずり
 ましたが。」
「よかった……。」
 呟く芽美。
 医師は続ける。
「佐渡さんの応急処置と止血が適切だったおかげです。あなたが、シスターの命を助けたような
 ものですよ。」
 佐渡は、何も言わずにただはにかんだ。
 しばらくして、聖良が手術室からストレッチャーに乗って出てくる。
「聖良……。」
 芽美が声をかける。
 聖良は小さな、芽美にしか聞こえない声で呟いた。
「芽美ちゃん……。まだ無事でしたのね……。よかった……。」
「聖良……。」
「芽美ちゃん………。アーティチョークという名の怪盗ハンターが逆恨みで私たちを狙ってますわ。
 気をつけて……。」
 芽美は何度も頷く。そして力強く言った。
「大丈夫。聖良。心配しないで。」

 雅貴は、不意に気配を感じた。病院特有の狭い消毒の匂いのする薄暗い廊下。誰もいない。
「誰だっ!!」
 振り返る。しかし、誰もいない。
 しかし、声がした。
「上よ。」
 見上げようとする雅貴。しかし声が飛ぶ。
「見上げないでっ!あたしなんだから。」
 雅貴はため息を吐いて、声の主を言い当てる。
「ルージュ。何のつもりだ。馴れ合いはしないんじゃないのか?」
 そして、ルージュは答えた。
「確かにね。でも、あなたはあたしを助けてくれた。あいつの情報、欲しいでしょ?」
 その言葉を聞いて雅貴。にやりと笑って言う。
「なるほど。『借りを返しに来た』って訳か。」
「ま、そーゆー事ね。それにあたしたちは共通の敵に対峙しているわ。そうでしょ?情報提供者を真っ先に
 やるのはアーティのやり口。そしてわざと生かすぎりぎりまでやっておいて狙いとする怪盗に自分の存
 在をアピールする。」
「やなやつだな。」
「そーよ。やなやつよ。断言したっていいわね。シスターをやったのは、アーティだわ。」
 そして雅貴は言う。
「それじゃ、次は母さんか?」
「いいえ、シスターよ。あなたの母親の目の前で残忍かつ冷酷かつ残酷に肉片にするでしょうね。そういう
 奴なんだから。あいつは。」
 雅貴の脳裏に一瞬そういう図が浮かびあがった。
 だが、すぐにその考えを追い出すように首を振る。
「いい対抗策はないか!?」
 雅貴の叫びにルージュ。
「あいつにせこい手は通じない。人形を囮にするのは愚の骨頂。」
「いや、囮に人形はつかわねぇ。」
「あたしが囮になろうか?」
「……どーするかねー。」
 雅貴は間抜けな声を上げた。

 晩の10時。
 病室に、看護婦が入って来た。
 午前中のみ集中治療室にいた聖良だったが、午後から一般病棟に入っている。
「あ、看護婦さ……、」
 芽美が付き添い椅子から腰を上げる。
 その時、闇にきらりと走るものがあった。
 それは芽美の両手を貫き、彼女を壁に張りつける。
「あ、あなたは……まさか聖良の言っていた……。」
 芽美の動揺の声。
 不可視の硬質ワイヤーはベッドをも縛り上げる。
「ひっ!!!」
 ベッドから聞こえてくる声。
 看護婦は残酷な笑みを浮かべた。
「伝言はきちんと聞いたみたいね。それじゃ、こいつから先に殺すわ。」
 看護婦に変装したアーティの冷酷な声を聞いて芽美は悲愴な悲鳴を上げる。
「やめてっ!お願いっ!」
 だが、アーティは看護婦の服のままで残酷な笑みを更に広げる。
「いいわねぇ。あなたのその悲鳴を聞きたかったがためにあたしはハンターになったのよ。」
 それは、嗜虐の悦びの笑み。そして恍惚と、目的を達成できたというような顔で言う。
「大丈夫。あなたもこいつもそう簡単に殺しゃしないわ。じわじわと殺してあげる。そこで、己の無力を
 じっくりと味わいなさい。」
 ベッドを包むワイヤーがぎりぎりと音を立てる。
 そして、じわじわと布団を切り刻み、そしてワイヤーが見えなくなった時、布団に赤い筋がつき始める。
 そして----布団から膨大な赤い液体が染み出し----。その赤い液体はベッドを染めていく。
 バシュッ!!!
 いかにもな効果音。
 そして、ベッドから鮮血が膨大に吹き出る。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 芽美の悲鳴------。
 恍惚感に浸りながらアーティは笑っていた。
 その笑いは、部屋中に響いていた。
 全ての運命を嘲笑うかのように傲慢に。

© Kiyama Syuhei 木山秀平
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