Report 10 終章:そして、哀歌は終わる


「………なーんてね。」
 壁に張り付けられた芽美は、意地の悪い笑みを浮かべてそう言った。
「どう?いい演技でしょ。満足いったかしら?」
「な……?」
 間抜けな声を上げるアーティ。
「ほんと、アスカ3rdってば、人の設定する状況を完膚なきまでに叩き潰すの得意よね。」
 芽美はそう言うと、ぱちりと電灯を点けた。
 そう。芽美は、その壁に張り付けられているはずなのにである。
 電灯が周囲を照らす。
 と、同時に何かの影がベッドの上に躍り出る。
 そして何かをアーティに突きつける。それが木刀の切っ先である事に、アーティが気づくのは数瞬後だ。
 アーティは、芽美を貼り付けた筈の壁を見る。
 そこには手だけが張りついていた。義手だ。良く出来た。
 芽美は意地の悪い笑みを崩さずに言う。
「最近の看護婦の注射練習用義手って、感覚までもそっくりなんですって。」
 アーティの驚愕した表情。それを面白がるように芽美は言う。
「何を驚いてるの?まあ解るけど。何しろ、こっちには世界トップクラスのマジシャンが1人。それだけじゃ
 なく、日本で渡り合えるマジシャンの才能を持つ者が2人。十分この仕掛けは予想できたはずだけど?」
 そして芽美は更に言う。
「理解はしてたけど改めて見るとすごいわね。芽美おばさまの仕掛けは。もっとも、これでもおばさまの仕
 掛けの中では児戯にも劣る代物らしいけど。あ、そうそう。ベッドの血も、血のりよ。看護婦用の練習代
 人形を中に入れてあるわ。息遣いは、あなたに木刀を突きつけているその子がやってたのよ。」
 アーティに木刀を突きつけているのは、真美だ。
 アーティは芽美を、いや、芽美の姿をしたものに向かって言う。
「貴様……何者!?」
 芽美の姿をしたものは、にこりと笑うと言う。
「あら、忘れたの?あたしよ。あ・た・し。」
 彼女はそう言って顔に手を当てる。そして、顔をビリッと引っぺがした。
 その下から出て来た顔。アーティには、嫌と言うほどに覚えがある。
 悔しそうに歯ぎしりしながら呟いた。
「ルージュ・ピジョン………!!!」
「ぴぃんぽぉん!ぴぃんぽぉぉぉん!!!だぁいせぇいかぁい!!!!」
 場違いな陽気な声で言うルージュ。
 そして続ける。
「ピタリ賞はぁ……。」
 そして足音が聞こえる。
 バタン!とドアが開く。
 雅貴と大貴とリナが入ってくる。
 そして、アーティの顔を見たとたんに大貴は顔色を変える。
 かなり年月が経ち印象が変わっているが間違いない。
 あの時の少女だ。
 だが、そんな大貴の思考に関わらず、
「この三人提供!監獄へご招待っ!」
 と言うルージュの叫び。そしてそのまま窓に走る。
「じゃあねっ!後は任せたからっ!また会いましょう!アスカ3rd!」
「あ、こらっ!待ちなさいっ!」
 リナの言葉を無視して、ルージュは窓の外へ消える。
 雅貴は、小さくため息を吐いてからアーティに向かい言う。
「さて、吐いてもらおうか。あんたの言ってた、組識『ハーブ』とやらについてな!」
 まんまとしてやられた。その思いがアーティにあった。
 今の自分を育てたのは、ハーブ。だが……。
 どっちにしろ、もう逃げられない。
 なぜだ。なぜに、こいつらは幸せになれるのだ。
 なぜに神はこいつらに味方する。
 どうしてだ。
 わたしは、こいつらに運命を狂わされたのだぞ。
 なぜ……。
 意味のあるような、無いような思考がアーティの中を流れる。
 その時、大貴が口を開いた。
「君の父親は、拭い切れない罪を幾重にも犯した。そしてそれを自覚しなかった。君は思っているだろう。
 『なぜ、あいつだけが』と。『なぜあいつだけが幸せになれる』と。教えてやるよ。あいつは、罪を悔い
 る心を持っているから。そしてそうする事の大切さを知っているから今を生きる事が出来るんだ。あいつ
 は、他の誰よりも『罪の意味』を知っている。だからこそ、俺の愛する人なんだ。」
 そこまで一気に言ってから、一旦息を継ぎそして続ける。
「そして、欲望に流されない事を知っている。欲望に流される奴は単なる馬鹿だ。愚か者だ。それを知って
 いる者だからこそ幸せになれたんだ。君は……。」
 その先を言う事を躊躇する。だが、言わなければならない。どうしても。
「君は、自分の行動、自分の父の行動を省みず、ただ自分の欲望に、感情に対して行動しているだけだよ。
 人間なら、考えるんだ。考えて、それが理に適っているかを基準にするもんだ。君はそれをしない。」
 そこまで聞いて、アーティは奥歯をかみ締める。
 もうこれ以上は聞きたく無いと言うように腕を振り上げる。
 雅貴は、トランプを投げた。
 トランプは、アーティの周りを一回転し、彼女の両手から伸びるワイヤーを断ち切る。
 もう、何も起こらない。アーティの牙は折られた。
「話してもらおうか。」
 静かに雅貴が言う。
 アーティは、口をつぐんだ。そして、銃声が鳴り響く。
 アーティの額に、穴が空く。そして、ビシッと言う音。
 雅貴はその音のしたほうを振り返る。そこには、銃弾がめり込んでいた。
 アーティは、後ろによろめいてルージュが飛び出した窓から-----落ちた。
 下から聞こえるぐしゃりという生々しい音。
 そして、アーティの体が発火する。
 窓の上からその様子を見て、雅貴は呆然と呟いた。
「どういう事なんだ……?」
 答えるものは何も無かった。無かったが----。
「Show Time is Dead End…………悪夢のショータイムは終わった……か?でも、もしかしたら、
 第2第3のアーティが……。」
 そう呟く雅貴に、大貴は、
「その時は、俺がきちんとみんなを守るさ。」
 そう言うと、雅貴の頭にぽんとその手を乗せた。

 明日香はパソコンに向かって裏ネットの改ざん作業に精を出していた。
 例のセイント・テールの正体に関するデータを消す為である。
 サーバーにハッキングして一気に消去。
 とりあえず、ウィルスもぶち込んでおいた。同様の情報を流した相手のコンピューターを駄目に
する為である。
「まったく……。見て見ぬふりなんてすると、ろくな事が無いわ。」
 明日香は、そう呟くと作業の続きを開始する。

「アーティチョーク、始末しました。」
 カリンは、そう言うとプロフェッサーに首を垂れる。
「ご苦労だったな。カリン。」
 プロフェッサーはロッキングチェアに座りながらそう言うと、ゆっくりと瞳を閉じた。
 そんな彼にカリン。
「あの、お言葉とは思いますが、何故に?」
 もちろん、アーティの始末について言っているのだ。
「彼女はまだまだ利用価値があるように思いますが。」
 そのカリンの言葉を聞いてプロフェッサー。
「いや、彼女はかませ犬にもならん。アスカJr.と3rdの二人が相手ではな。」
「いや、しかし、肉体まで破壊すると再生も、」
 カリンの言葉を遮りプロフェッサーは言う。
「セイント・テールに自らの運命がまだ終わっていない事を印象づけた。これだけでいい。」
 そして立ち上がる。
「クズに、再生の機会は一度だけだ。」
 プロフェッサーはそう呟くと、ゆっくりと目を閉じる。
「私は、前に運命の輪を終わらせる者を待っていると言ったな。」
 カリンは答えない。プロフェッサーは、自分の言った言葉に答えを求めてはいない。
 その証拠に、プロフェッサーはそのまま続ける。
「それは、私なのか?それとも3rdか?Jrやテールではない。彼らは終わらせる事は出来なかった。輪を一つ
 収束させただけだ。」
 そして自嘲の笑みを浮かべる。
「母上か?祖母上か?いや、違う。それが証拠に彼女たちは私を輪に縛り付けているではないか。自分たちだ
 けが運命の輪に執着しているではないか。」
 そう呟いているプロフェッサーの後ろ。暖炉の上のコンソールとモニターが明滅し、一人の技師がモニター
に現れる。
「何だ?」
 冷徹に尋ねるプロフェッサー。その技師は答える。
「ネット上に流していた例の情報が消されました。」
「ほう。誰だ?」
「それが……ルージュとか言うハンドル・ネームを持つ者だと言う事しか……。」
「なるほど。よろしい。」
「あの、情報の流し直しは……。」
「しなくていい。ただ消しているわけではないだろう。何か仕掛けをしているはずだ。私ならそうする。わざ
 わざ危険に足を突っ込む気はない。」
「はい。」
 そして、プロフェッサーはゆっくりと呟く。
「元気でいてくれればいいのだが……。せめて、あいつだけはこの輪から………。」
 プロフェッサーは振り返り、ゆっくりとカリンに近づき、その身を抱きしめる。
「プ・プロフェッサー!?」
 動揺するカリン。だが、それだけだった。
 二人は、ずっと長い時間そのままでいた。

 そして、すべては終わった。
 何も起こってはいない。
 変わった事と言えば、真美が今回の事件の度胸を買われてSEPにスカウトされた事くらいだろうか。
 あれから、セイント・テールに関する情報も何も無いらしい。
 SEPの情報網を使っても、何も浮かばない。
 今ではその情報も自然消滅寸前だと父親から聞いた。
 どうやら、裏世界でもただのガセとして扱われたようだ。
 そりゃ、まあ、誰も信じないだろう。
 伝説の怪盗が、今や平凡な主婦。しかも、自分を追っていた探偵と夫婦になるなんて。
 大笑いだ。本当に笑い話の種にしかならない。
 裏世界でも、ただのガセとして扱われるのは、当然の事だろう。
 信じるのは、やはりアーティみたいにセイント・テールに異常な思いいれを持つ者くらいだ。
 あと、ルージュみたいな冷やかし半分くらいか。
 しかし、どうしてその情報がどこから裏世界に流布されたのか。
 どこかのコンピューターネットを使って流された事は突き止めたが、ネットの特定まで出来なかった。
 そしてもう一つ。
 アーティは誰に殺されたのか。
 釈然としない思い。どこかに何かが引っかかったままの事件の終わり。
 最近多い。自分が事実の核心に迫る寸前に何らかの理由で近づけない事が。
 それは、大体が重要人物の死で閉じられている。
 それを考えて授業を受けながら、梅雨の晴れ間の光を浴びて雅貴は呟いた。
「これも、つかの間の平和なのかな……。まったく釈然としねぇや。」
 そして、大きくあくびをするのであった。

FILE 7 THE END


© Kiyama Syuhei 木山秀平
© 立川 恵/講談社/ABC/電通/TMS
(asuka name copyright from「怪盗 セイント・テール」)
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