Report 1 消失のトリックスター


 少女は、右上横でまとめているつややかな黒い髪をなびかせながら獲物に近づいていく。
 目の前の絵に。
 だが、何があるか分からない。少女は、上着のポケットからサングラスを取り出す。
 このサングラスこそ、赤外線感知式の偏光眼鏡なのだ。
 サングラスが、少女の紅瞳を隠す。
 そのグラスをかけて、じっと絵を見つめる。すると、絵の前に幾重にも赤い線が浮かび上がる。
「赤外線なんて……。古い手を使うわね。」
 少女は、呟くと自分のスカートを捲り上げる。足に縛り付けてある釣竿を取り出す。その釣竿を
使って、ものの見事に赤外線を飛び越えて絵を釣り上げる。
 ナイスキャッチ!釣り上げた絵は、赤外線センサーに引っかからずに少女の腕に飛び込んでいく。
 少女は、絵を抱えて音もなくその部屋を出ていく。しかし。
「そこまでよ!」
 一人の背の高い高校生ほどの女性の叫び。目の前にいるその女性は、少女に面と向かい合う。
 少女は、その女性に向かい言う。
「あら、わざわざ待っててくれたの?うれしいわ。リズ。」
 リズと呼ばれた女性----黒髪で、桃色のブレザー服を着ている----は、そのせりふを聞くと言う。
「あたり前よ。あたしは、あなたを絶対に捕まえてみせるわ。あなたのようなくだらない偽善者、
 絶対に逃さないわ。」
 少女は、そのリズの言葉を聞くと、ため息を吐く。
「あたし、善人を気取るつもり無いのよ。自分が悪人だって知ってるからね。」
 少女の言葉に、リズはじっと少女を見る。
「とにかく、あたしはあなたを捕まえるわ。覚悟してもらうわよ。」
 リズのせりふに、少女は薄笑いを浮かべる。
「あなたじゃ、無理よ。」
 少女は呟くといきなりポケットから手のひらサイズの玉を取り出し、床に投げつける。
 そのとたん、玉は激しい閃光を放つ。
 目が眩むリズ。彼女はその中で、自分が追ってきた怪盗のせりふを聞いた。
「じゃあね。リズ。あたし、もっと面白いとこに行こうと思っているから。」
「なんですって!逃げるの?ルージュ・ピジョン!」
「あなたといつまでもじゃれあうつもりはないわ。」
 少女、ルージュ・ピジョンの言葉と同時に閃光は消える。
 しかし、そこにルージュ・ピジョンの姿は無かった。
「嘘……また……やられたわ……。」
 リズはがっくりとうな垂れる。
 そこに、アメリカの警官隊がなだれ込む。
「エリザベス捜査官!ルージュ・ピジョンは……!」
 警官の一人が聞くが、状況は火を見るよりも明らか。
 そして聞こえてくるヘリの音。
 リズは、顔を上げて近くの窓からそれを見上げる。
 リズが警官を配備していた豪邸の上空にヘリコプターがホバリングを続けている。
 そして、ヘリコプターから降ってくる大音声。
「現代巨匠、K.レイモンドの『ウィンズ・セメタリー』は頂いていくわ!気にしなくても
 結構よ!いつもどおり、元の持ち主に返しておいてあげる!」
 リズは、窓から叫ぶ。
「待ちなさい!目的と手段がすっかり入れ替わっている偽善者!」
 しかし、その叫びはヘリコプターの音にかき消される。
「あ、そうそう。リズ。これ、プレゼントしてあげる!」
 ヘリコプターから、一冊の白いファイルブックが落とされる。それを受け取るリズ。
 それを開き目を通す。
「これは……!」
 それには、自分が今警備している屋敷の主の汚職、不正の数々が確実な証拠とともに記されていた。
「じゃあね!」
 ヘリコプターからの声に、リズが顔を上げる。
 ヘリコプターは、空の果ての闇へと消えていく。
「待ちなさい!ルージュ・ピジョン……!」
 リズの叫びも空しく、ルージュ・ピジョンはその空に消える。
 そこへ部屋に飛び込む館の主。
「エリザベス・キョウコ・リー捜査官!」
 リズが振り返る。目の前にいるのはヘンリー・オークショット米合衆国議員。
 次期大統領をも目されている、米国で一番力があると言われている代議士である。
 英国系のアメリカ人。若いころは碧眼、金髪でかなりのナイスガイだったらしい。
 しかし、後ろ暗いうわさも結構あった。
 その、ヘンリー議員がリズに叫ぶ。
「よりによって、米国議員の屋敷に忍び込まれるとは!ルージュ・ピジョン専任捜査官ではなかった
 のか!?」
 その後に続く悪口雑言をリズは軽く聞き流す。
 そしてにやりと笑って叫んだ。
「ヘンリー・オークショット議員閣下!このファイルに収められているあなたの悪事をすべて洗わせて
 いただきます!」

 米国を上から下へと鳴動させる、オークショットスキャンダルの始まりであった。
 このことによって、リズは大手柄をあげたと言う。
 だが、彼女が追っていた怪盗 ルージュ・ピジョンはその行方をくらませた。
 ピジョン・ルージュの乗っていたらしいヘリが、日本の領空侵犯により自衛隊によって撃墜されたら
しいことがリズの耳に入ったのは、それから数ヶ月後のことである。
 リズは、その後捜査官としてすっかり精彩をなくしてしまったと言う。

 少女が、聖華港に泳ぎ着いたのはゴールデンウィーク初めの真夜中のこと。
 黒タイツにその身を包んだ少女は、その身を委ねていたヴィトンのバッグを踏み台にして岸にあがる。
そして、バッグを引き上げる。
「ひどいことをするわね。普通なら死んでるわ。」
 ルージュ・ピジョンは、オークショット邸の一件の後、絵画を返す為に日本に入り込もうとしていた。
 だが、そこに領空侵犯だと自衛隊がしゃしゃり出てきたのだ。
 ルージュ・ピジョンは、慌ててヴィトンのバッグに持っていたものすべてをつめて、自衛隊がミサイ
ルでヘリを打ち落とすと同時に海に飛び込んだのだ。
 そして、そのままヴィトンのバッグに捕まり日本まで潮に任せて泳いだのだ。ヴィトンのバッグが
浮きの代わりをするのはあまりにも有名である。
 少女はあたりを見回し誰もいないことを確かめると、倉庫の影に行き全身の黒いゴムタイツを脱ぐ。
 そして、赤いスカートに白い長Tシャツを着る。その紅い瞳で夜空を見上げて少女は呟いた。
「ただいま。10年ぶりね。日本。」

 聖華市に住むある老人の元に、騙し取られた絵が届いたのは、それから数日後のことだった。

© Kiyama Syuhei 木山秀平
© 立川 恵/講談社/ABC/電通/TMS
(asuka name copyright from「怪盗 セイント・テール」)
禁・無断転載