Report 1 序曲:ピアニシモの胎動


 2010年。学会。
 壇上に立つ一人の博士。
「……このように、人間の意識をデジタル化することに成功しました。この大容量のデータを、この特
 殊チップに移植することにより、完璧な人間のコピーロボットが可能となり……。」
 この博士の研究は、人間を軽視する物とみなされ、歴史上から永遠に抹殺された。
 それだけではない。この博士自身の存在も、学問上から永遠に消えたのである。

 漆黒の闇の中。
 何かが動く。
 暖炉の中に火が点く。
 火の光は、一人の男を赤々と照らし出す。
 男は、つややかな黒髪をかき上げる。
 左目に眼帯をしたその男。白衣を着たままで近くにあるロッキングチェアに座る。
 その揺れに身を委ねながら、男は呟く。
「下準備が始まる。破滅への序曲の。すばらしい音楽が出来上がるぞ。」

 大滝桂一博士は、2010年、人間の意識のデジタル化とコピー方法、そしてそれを利用したコピーロ
ボットの作成方法を編み出した。
 しかし、それは人間の軽視と無意味な混乱を起こす事が請け合いの未完成技術。
 各団体から圧力がかかり、学会は博士を追放。彼の研究の全てを抹殺した。
 それから、彼は身を持ち崩してホームレスに成り果てた。
 聖華市繁華街の暗がりで、ごみ箱を漁る毎日。
 そしていつしか髪に白いものが混じり始める。
 今日も、同じ事をしていた。
 だが、その時、鉄パイプを持ちよっている少年たちが目の前に。
「………」
 この青少年の心が荒んだ時代に、この身分。
 日常茶飯事のホームレス狩り。それでも、この聖華市はまだましなのだ。
 大抵のホームレスは死ぬ覚悟をしていた。
(それが、今になっただけだ。短い人生だったな。)
 大滝は、そう思った。
 そして、少年たちは自分に襲いかかってくる。
 金属バットが幾度も彼の身を打ち付ける。
(終わったな。)
 大滝は、最期の時を自覚した。
 その時。
「止めろ!」
 別の方面からの少年の叫び声。
 少年たちが、そちらを見る。そして、少年たちのリーダーらしき男が、叫びかけてきた少年に殴り
掛かる。
 少年は、その拳を素早くよけて殴りかかってきた男の背中を押す。
 倒れる男。
 そして、少年は男のもとにかがみ込み呟く。
「おい。一緒に警察まで行くか?」
 そう言って、男の目の前に一枚の緑のカードを示す。
「てめぇ!SEPか!」
 男はいきなり起き上がると、脱兎のごとく逃げ出す。
 取り巻き立ちも、その後を追う。
「………………」
 少年はいぶかる。SEPの表の身分は市長に任命されているただの捜査ボランティア。
 なぜ逃げ出したかが疑問だったのだ。
(ま、いいか。深く考えるのはよそう。)
 そして、桂一のほうに振り向く。
 しかし、桂一の姿は消えていた。
 ますます首をかしげる少年。
「一体……?」
 少年の名は、羽丘雅貴。別名、飛鳥雅貴、アスカ3rd。

「馬鹿もんが!私は、丁重に案内しろといったのだ!誰が、フクロにして連れてこいといった!」
 黒スーツを着た長身の男が、先ほどの少年たちに叱咤する。
 少年たちのリーダー。先ほど雅貴に殴り掛かってきた男が、言う。
「しかし、兄貴。お言葉を返すようでなんだが、あんなホームレスに何の用なんだ?それほどのやつとは
 思えねぇ。それだけじゃねえ。SEPの任務を受けた飛鳥雅貴には手を出すなと言ってみたり。」
 兄貴と呼ばれた男は、その言葉にこう答えた。
「プロフェッサーのお考えだ。おまえらの知ることではない。」
 そして、ため息を吐いて言葉を続ける。
「仕方が無い。おまえたちに頼んだ私が愚かだったのだ。私が直接行くしかないな。おい、サブ。お前、
 来い。博士に詫びを入れねばならん。」
 そう言うと、兄貴は身を翻して前に進む。リーダーがそれについていく。
 少年たちは、それをじっと見送っていた。

「大滝博士ですな。」
 桂一の前にその男が立っていた。隣に、先ほど鉄パイプを持った少年がいる。
 かぶっていた帽子を脱いで胸の前に当てている。
 黒いスーツに身を包んだ長身の男。切れ長の瞳。なかなかの美形である。
 男は一礼すると、言う。
「あなたの論文は、興味深く読ませていただきました。そのようなあなたに、先ほどの部下の無礼。ど
 うかお許しいただきたい。」
 桂一は、そこまで聞くと言う。
「残念ながら、人違いでは?」
 しかし男は、
「いいえ。あなたです。特に最後のコピーロボットに関する論文は、私としても残念でなりません。」
 体の震える桂一。そして呟く。
「あれは……わたしの最後の夢だった……。」
 その言葉を聞いて、男はうなずく。そして言う。
「そうでしょう。どうでしょうか?その研究、私どもで手伝わせていただけませんか?資金、場所、全て
 提供しましょう。」
「何!?」
 桂一の瞳に光が宿る。ずっと昔に途絶えていた研究者としての光が。
「その代わり、我々の指定する人物をコピーしていただきたい。」
 男の言葉に、桂一は1も2もなくO.K.した。

 ロッキングチェアーの横。台の上のクラシックな電話が鳴る。
「私だ。」
 眼帯の男は、受話器を取る。
 電話の相手は、大滝博士をスカウトに行くように命令した男。
「そうか。良かった。博士の研究はぜひほしいからな。そうか。ここに来るか。」
 そう言って、男は電話を切る。
 そして立ち上がる。そして、誰もいない部屋の中で朗々と叫ぶ。
「テールズ・レクイエム、序曲。開始。」
 そして、暖炉の上のパネルを叩く。
「ただいまより、セイント・テール滅殺計画を開始する!」
 暖炉のパネルが怪しく明滅する。

© Kiyama Syuhei 木山秀平
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