Report 9 断罪の刻 その2 〜 あすにとどけ
「───で?」
小太りメガネにスーツといった出で立ちをした初老の人物が、穏やかに問いかけてくる。
「最終的に、各課課長クラスを始めとした、市警上層部は全滅です。残念ながら───」
人物に向かって報告をしているのは伸一。その横には大貴もいる。
ここは聖華市役所の市長執務室。
スーツの人物は聖華市長、森中秀雄。彼はリナの伯父でもある。
森中市長に伸一は沈痛な面もちで。
「責任問題は、避け得ないでしょう」
市長は伸一の言葉を聞き、静かに呟く。
「そうかね」
伸一は頭を下げてゆっくりと言った。
「無念です。申し訳ありません……!」
ぎりっ、と──悔しさに奥歯が軋む。
だが市長は優しい笑みを浮かべたまま。
「高木くん。君が気に病むことではない。むしろ、君はよくやってくれた」
「しかし……っ!」
なおも言い募る伸一。市長は彼に背を向け、執務室の窓から聖華の街並みを見下ろす。
「この街もじきに少しずつ変わって行くだろう。他ならぬ私自身がこの十数年、そのために動いてきたのだ。これからもこの街は変わり続ける。続けなければならない。それなのに私一人が何故、その流れから逃れることが出来ようか」
「市長……」
唐突に大貴が必至の表情で言う。
「そんな事は、ありません! あなたはまだ、この街に必要です! 高木! 何とかならないのか!?」
伸一に語りかける大貴。だが伸一はその親友の願いに、力無く首を横に振る。
「無理だよ。たとえ市長の与り知らぬ所で起きたこととはいえ───この聖華市警察を動かしていたのは紛れもなく市長なんだ。ソレはこの町に住む者なら、そして警察関係者なら、誰でも知る事実。責任問題は避け得ないよ」
伸一の言葉に同意するように、森中市長も頷いて。
「その通りだ、飛鳥くん。そも、警察機構は本来、市行政の管轄下には無い。本来、警察行政は警察庁から指令を受ける方面本部の管轄下にある。せいぜいが都道府県行政の長──つまり知事クラスが管轄するべきものだ。それを私は自らの政治力で市に置いて、今までやってきた。そろそろ潮時なのかもしれん」
「警察内では、その中森市長のやり方に反感を持っている者も多い。特に中央の方に。彼らがこの機会を───聖華市の警察権を元に戻すいいチャンスを見逃してくれるとはとても思えない。大沢課長も支援してくれるとはいえ、どこまでやれるか。刑事局長と警察庁長官も今回の件で引責辞任するらしいしね」
静かに言う伸一。本当は彼だって、世話になった市長を辞めさせたくは無い。
だが、それはあくまで感情の産物だと、伸一は割り切っていた。
感情はともかく、現実として市長の引責辞任は避けられない事態になっている。ならばそれをきちんと受け入れねばならない。
感情と現実を切り離して考えねばならないのだ。他ならぬ目の前にいる市長の期待に応えるために。
なぜなら、市長はそれを見越して、それを期待して伸一をこの聖華市に呼んだハズなのだから。
だが、それを不服とする者もいる。伸一の横にいる人物も、そうだ。
「何で……高木! 何で、そんなに冷静でいられるんだ! 何でそこまで……! お前、そんなに冷たかったかよっ!」
大貴の叫び。伸一は感情をゼロまでに押し殺し、何も言わない。
さらに言葉を募らせて伸一を非難しようとする大貴だったが、それを市長が止めた。
「やめたまえ、飛鳥くん。彼が……つらくないと、思うのかね?」
「え……?」
「高木くんは今、私が与えた役柄を果たそうとしているからこそ、何も言わずにいるのだよ。どんな時も冷徹に、未来において最善の手札を切るために、時に親しき者をも切り離す───そんな憎まれ役を」
伸一は何も言わない。
「済まないね、高木くん。君のような役を持つ者は……時に永遠の孤独の中を歩まねばならなくなるかもしれないと言うのに」
市長の言葉に、伸一は少しだけ微笑むと、横にゆっくりと首を振る。
「構いません、市長。僕はそれを承知で、ここに来ました。たとえ僕が切る者から、時に友から蛇蠍の如く嫌われようとも、それが我が子や友の子をはじめ、遠い未来のこの町、この国に住む者のためと思えば、僕が一人孤独になる事など、全くもって軽い事でしょう」
「高木……お前!」
驚きの視線を伸一に向ける大貴。
「そんなのって……納得できるかよ!」
そして伸一の両肩を掴んで。
「なんでお前がそこまでやんなきゃなんないんだ! そのために、なんで市長が犠牲にならなきゃならないんだよっ!」
叫ぶ大貴。その親友の叫びに、伸一は小さく息をつくと、肩の上の大貴の手の上に自らの手をやり、決然と言い放つ。
「これから始まるであろう、大きな敵との戦いに、備えるためだ」
「!?」
大貴の動きが止まる。さらに伸一は言葉を紡ぐ。
「僕らの子どもたちの時代にあるはずの憂いを、少しでも取り除くためだ。たとえ僕らがその全てをできなかったとしても───子どもたちがそれをやれるように、少しでも種を残す。手掛かりを残す。そのためだ」
伸一はそこまで言うと、小さく。本当に小さく息をつく。
そして言う。
「解っているだろう?」
言われた方───大貴は、その表情を苦く歪めて視線を下ろしながら、伸一から手を離す。
「あぁ……解ってる、解ってるさ。お前は前から、そう言っていたもんな。あの『JeWeL』すらも凌ぐ奴らが見えている、と……けどよ!」
叫びながら一度は俯いた頭をギッと上げ、伸一に。そして市長に向かい、言う。
「けどよ! 俺だって市長に恩がある! 俺の才能を見出し、セイント・テールの専任捜査官に据えてくれたのは市長だ! その実績があればこそ、今、俺はまがりなりにもこの聖華市で探偵を名乗り、弱き者の味方として動き、市の仕事や警察の仕事にも携われるんだ! その市長の力が、まだ聖華市には必要なんだ! 市長がいなくなったら、この……この、聖華市は……!」
声を詰まらせる大貴。そんな彼に、中森市長は笑って言った。
「心配ないよ、飛鳥くん。何も心配はいらない。私は、何も心配していない」
そして大貴と伸一を交互に見る。
「なぜなら……」
市長は優しく愛に満ちた表情を浮かべ、大貴と伸一の肩に手を置き、力強く言う。
「君たちがいるからだ」
市長の手に力がこもる。この聖華市には、君たちがいる……。
重い言葉だった。市長はその強い響きを持つ言葉と共に、大貴と伸一をその両腕に抱きしめて言う。
「君たちがいる。聖華市の名探偵・飛鳥大貴と警察庁最後の切り札・高木伸一。君たちが」
君たちこそが───私の望む聖華───。
無言で伝わってくる市長の思い。
それを感じて、大貴と伸一の瞳に、つぅいっと一筋の涙がこぼれ出る。
期せずして重なる二人の言葉。
『市長……!』
同時に中森市長は二人から離れ、頷きながら言う。
「いよいよ……君たちの時代を動かさねばならないのだよ。他ならぬ君たちの手でね」
それから、数日の時が経って───。
「高宮君、この書類を刑事課の方に回しておいてくれないかな?」
「そんぐらい自分でやんなさいよ」
書類の束を差し出す上司の頼みに対して間髪入れず、にべもなく返すリナ。
上司たる伸一は苦笑いしながら。
「そりゃあ、僕も出来れば自分でやりたい所なんだけどね。まだまとめなきゃならない書類がいっぱいあるんだよ」
「………」
憮然とした顔を向けて、じろりと伸一を睨むリナ。
「それくらい、いいじゃないか。前と違って今はきちんと仕事してるだろう? 雑用でも仕事は仕事だよ」
言う伸一だが、リナの表情は変わらない。彼女は無言で手近にあるTVのリモコンを取り、電源スイッチを押す。
すると部屋の壁に吊してある薄型液晶TVが光が灯らせて像を結ぶ。
『では、次のニュースです。先日の聖華市警察上層部による犯罪組織への癒着について、森中市長は監督不行届による引責辞任を表明いたしました。この件に関しましては、既に警察庁長官ならびに刑事局長なども辞任を行っており───』
TVからの声を聞き、伸一は「あぁ……」と納得したような声を上げる。
リナの機嫌の悪い原因はこれだったのだ。そしてなんの感慨もない声で。
「ま、仕方ないね」
とあっさり言い放つ。あまりと言えばあまりの反応に、リナの眉が吊り上がった。
リナはばん! と目の前の机を叩いて。
「仕方ないとは何よ! おじさまは何も悪くないわ! 一部の不心得者のせいじゃないの! そして、それを管理するのは県知事や警察庁でしょう!? それなのになんでおじさまが引責辞任しなければならないのよっ!」
この叫びに伸一はあくまでも淡々と答える。
「ここが普通の街だったらね。でも、ここは聖華市だ。市長による警察政治への介入が最も強い街だ。市長の責任が問われても仕方ない。いや、問われなければいけないんだ。警察組織における政治支配の流れを一旦、市から都道府県・中央に戻して再編し、汚職防止の改革を行い、今度は全国市町村に完全分配し、一部の事業は半民営化まで……どこまでやれるかは疑問に残るけどね」
伸一の言葉に絶句するリナ。
目の前の上司は、この若さで自分とは全くスケールの違う、壮大なビジョンを見据えて動いている───!
「高宮くん。僕らの全ては未来のために動かれなければならない。そのための犠牲は、やはりある意味ではやむないものなのだよ。犠牲が許されないのは、それが実力行使や暴力によって理不尽に起こされる時だけだ。本当の意味で無関係な者が犠牲になってしまうその時だけなんだよ」
解ったら、早く書類を届けに行ってくれないか?
書類の入った封筒を差しだし、無言の言葉でリナにそう促す伸一。
TVからは『なお、この事件によって聖華市警察は解散されます。その代わりとして県警の本部が設置される事になると発表がありました。また新しい刑事局長は大沢令氏が勤め、警察庁長官は──』という、今後の展望を含めた事件処理情報がレポーターのコメントとして流されていた。
リナは何かを言いたそうに、しかし心情をまとめる言葉が見つからないためか、無言で書類を受け取って。
気がつけばパン! と、特別捜査課の室内に小気味の良い音が響いていた。
伸一の頬に手形が赤く浮かぶ。
リナは吐き捨てるように呟いた。
「そういうことじゃないでしょ! アスカなら……!」
自分が言いかけた言葉に、思わず自分の手で自分の口を塞ぐ。
伸一は赤く腫れた頬に手をやり、優しい笑みを浮かべて言った。
「そうだね。もし彼が僕の立場にいたならば、無謀な庇い立てだと知っていても、なんとしても市長を守ろうとしただろう。でもね……」
伸一はそこで言葉を切ると、数拍の間をおいて言葉を続ける。
「残念だけど、僕は彼じゃあないからね」
それは有無を言わさぬ、深い響きを持っていた。
伸一はリナの行動を促すように、笑みをにっこりと強くする。
リナは何も言えなくなり、そのままきびすを返して部屋を出ていく。
バタンと荒々しくドアが閉まった。
伸一は頬をさすりながらまた言った。悲しみを湛えた声音で。
「だけど、それこそが彼の魅力であり、人として最も大事な事なんだ。でも僕には……こういう時にどうしても状況の布石を考えてしまう今の僕には、許されない。あいつと彼女をかばう事で、心ならずも犠牲を生み出してしまった、今の僕には。たとえこれ以上の犠牲を出しても、今まで犠牲となった者を無駄にしないために、進まなければならないんだ……!」
捜査課の部屋から廊下に出てしばし。
「やぁ、高宮!」
呼び止められるリナ。
振り向いた先には、知った顔があった。
黙っていればけっこう整っている、不敵な面構え。取材プレス(記者)のIDカードとBBCという腕章をした人物。
新聞・TV取材の下請け会社聖華ブロードキャストの新人記者にしてリナの中学時代の同級生、沢渡真人。
沢渡は前置きも何もなく、いきなりリナに近づき捲し立てる。
「知ってると思うけど、聖華市警察の汚職事件で市長が辞任しただろ? アレってさ、ホントに市長、解ってなかったのかな。いや、それどころか市長が一枚噛んでるとしたら面白いと思うんだ。なんか、そのテのネタでいいの無いかい? でっち上げてもいいけどさぁ、それやると師匠に面目がたたねーし。だからさぁ、それっぽく臭わせれる情報とか……」
キザっぽく髪を掻き上げながら放たれる沢渡のセリフは、しかし最後まで言葉になる事は無かった。
ボカッ! とかバキッ! と言う音すら生ぬるい、人間の理解を超えたドグォン! と言う音を立て、沢渡は廊下の端まで吹っ飛ぶ。
音を立てたのは沢渡の顔面とリナの拳。
廊下の向こうで気絶した沢渡に向かって、リナは聞いてないと解っていながらも、吐き捨てるように叫ぶ。
「アンタ、いーかげんにしなさいよ! ったく……」
拳を振り振り封筒を小脇に抱え、ヤなモノを殴った拳を拭おうと制服のポケットに手をやる。
そこで、ある事に気付いた。ハンカチを部屋に忘れてきたのだ。
「…………」
リナはしばし書類を刑事課に持って行くか、ハンカチを取りに戻るか考える。出た結論は。
「急ぐ書類じゃないしね」
取りに戻るつもりらしい。それを証明するように、リナは捜査課へと戻り、扉のノブに手をかける。
扉が細く開いた。その時───。
リナは見てしまった。
伸一が自分の机に突っ伏しているのを。
(あいつ……人に書類を届けさせといて、自分は眠ってんの!?)
許せない、沢渡みたく一発殴ってやる!
そう思って一気に扉を開けようとした時。
部屋の中から小さな呻き声がリナの元に届く。
「うぅっ……うぐっ……うぐっ……。えぐっ、えぐっ、えぐっ……。ぐぅっ……!」
聞こえてきたのは───泣き声だった。いや『泣く』と言うのは生ぬるいだろう。
それは悲しみと自分への不甲斐なさに満ちた、まさしく『哭き声』だった。
机に突っ伏して自らへの怒りに震える体。握りしめてぐしゃぐしゃになった書類。
悲しみに満ちた慟哭の声。
リナはいたたまれなくなり、ゆっくりと捜査課の扉を閉じた。伸一に気付かれないように。
そして、静かに呟いていた。
「高木……アンタ、バカよ。強がって……。どうして、アンタが一人で辛がってんのよ……」
呟くリナの頬には、一筋の涙が流れていた。
まるで伸一の悲しみがリナに伝染したかのように───。
──☆──★──☆──★──☆──
「あのときのお父さんは、自分の中に辛さを溜め込むことしか知らなかったのよ。ずっと感情よりも思考や理性が絶対に優先する生き方をしてたからね。しかも頭で何もかも解っちゃうから、他人に当たっても無駄だって事もわかってて、だからそれができなくて……そんな人だったのよ」
聖華市警察(県警本部)の会議室でリナは息子にとうとうと話を聞かせる。
息子の理は頷きながら、興味津々で母の話に耳を傾けていた。
「それで? それで?」
話の続きを促す理。リナは頷いて。
「それでね……」
言いかけたとき、部屋の外が異様に騒がしくなった。
リナも理もそれに気付き、眉をひそめて外へと繋がる扉を見る。
理は電弾銃を握り、リナもまた拳を握って力を込める。
「高宮警視!」
叫びと共に扉が開く。理の持つ電弾銃のトリガーが引かれた。
銃のクラッカーは即座に扉を開いた主を直撃する。
「ぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!!!!」
扉の主の悲鳴。電流が収まったと同時にリナが彼の懐に飛び込み、一気に胸ぐらをつかんでしゃがみながら上から下へ背負い投げて床へと落とす。
「ぐぎぇっ!!」
潰されたような悲鳴。そこでリナは始めて相手の招待に気付く。
「……松平?」
そう。扉を開けたのはリナの部下、松平慎太郎だったのだ。
慎太郎は体をぷるぷる震わせながら、手を上に上げて外を指さし。
「け、警視……大変です……。一部の警官が……銃器具携帯許可も出ていないのに、本部の武器庫から各種銃器や危険装備を持ち出して街へ……」
そこで慎太郎の体から、がくりと力が抜ける。
「なんですって……!」
慎太郎の報告を聞き、リナの表情が厳しくなる。
リナは身を起こし、慎太郎の体を持ち上げてキョーレツな鬼ビンタをかまし、叫ぶ。
「コラ、松平っ! なら、こんなトコで寝てんじゃないわよ、情けない!」
ずいぶんと無体な事を言う。そもそもの原因を作ったのは理とリナだと言うのに。
しかしキョーレツな母子ツープラトン攻撃をくらってしまった慎太郎に起きる気配はない。
リナは舌打ちをすると、慎太郎をその場に投げ捨て、部屋から廊下へと飛び出る。
「母さん!」
あわてて母の後を追う理。
二人が走る廊下の窓から、庶務課の部屋が見え、その部屋にあるいくつかのパソコンに光が灯っていた。
よく見ると庶務課だけではない。他課の数多いパソコンのほとんどの電源が入ったままになっていた。
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