Report 10 断罪の刻 その3 〜 君が知らなかった君自身の罪
明日香は涙を浮かべて聖華市の屋根を疾走していた。
(逃げなきゃ……早く、離れないと……)
全てを振り捨てた明日香にとって、聖華市に留まることは百害あって一理無し。
雅貴がいつ立ち直り、自分を追うか解らない。
自分は一刻も早く、この聖華市を離れねばならない。雅貴のために。
その思いで必死に明日香は自らの足を動かす。
後ろを見る。芽美は追ってこない。
少しほっとして、そして───いきなりとてつもない寒気を感じた。
目の前にいきなり人影が現れる。寒気はその人影からのもの。
進路を少しずらし、そして後ろに飛びずさる。
「あなたは……!」
思わず緊張した声を上げる。なぜなら、目の前の人物が明日香の知る人物だったから。
明日香の緊張に呼応するように、さぁっと流れる雲の隙間からゆっくりと月の明かりが挿し降り、人影を照らしていく。
闇の中でもそうと解る白衣は月の光を照り返してなお白く輝き、左目を隠す眼帯は白衣の白のコントラストを引き立てるように黒い。
思わず彼の名を明日香は小さく呟いていた。
「……プ、プロフェッサー……」
そう。彼こそはプロフェッサー。プロフェッサー・タイム。
幾度と無く雅貴を意識して悪事を企み、そして明日香が父の敵と追う、組織『ハーブ』の首領───。
明日香は緊張をさらに強め、自らの表情に敵意をありありと浮かべて伸縮釣り竿を引き抜き構える。
しかし明日香は動かない。何も言わない。
一つの動きでどのように情勢が変わるか解らないからだ。
釣り竿を握る手に力がこもる。
それを横目に見て、タイムはゆっくりと月を見上げる。
「どうやら、別れは済ませたようだな……それがいい。所詮、お前たちは側にいることは許されぬ。それこそが摂理なのだ」
「摂理、ですって……」
ぎりっと奥歯を鳴らす明日香。
「ふざけた事を。今までのあたしの悲しみ、元を正せば───」
明日香の中でこれまでの事が蘇る。
父の死と悲しみ。孤児院行き。迫る地上げ屋。壊されたささやかな幸せ。怪盗 ルージュ・ピジョン。巨悪の政治家。殺された親友。雅貴とくぐり抜けてきた、ピンチにつぐピンチ。そして恋美の誘拐事件と雅貴との別れ───。
心の奥底からこみ上げてくる、ドロドロの怒りとクログロとした悲しみの全てを込めて、明日香は叫ぶ。
「元を正せば、全て、全て! あなたたちのせいじゃないの!」
腕を振って釣り竿を伸ばす。そして釣り竿を一気に振り上げる明日香。
その様子を一瞥し、タイムは静かな笑みで言う。
「やめておけ、ルージュ・ピジョン……いや、結城明日香。お前は私に牙を剥くことなど、できはしない」
「そんな事、やってみなければ解らないわ!」
叫ぶ明日香。だがプロフェッサーは表情を崩さない。
「いや、解るとも。なぜなら、それは絶対の摂理。怪盗であるお前が探偵であるあの男の側にいる事が出来ないように、お前は私には牙を剥けない」
余裕を浮かべるタイムに対して、明日香にはなぜか奇妙な焦りが浮かぶ。
明日香自身にも、焦りの正体は分からない。だが、異様な予感があった。
プロフェッサーとの話を、これ以上長引かせてはならないという、異様な予感が。
「うるさい! 戯言もそこまでよ! あたしは絶対、あなただけは許さないっ!」
叫びと同時に明日香の竿がしなり、釣り糸に結ばれた錘が宙を凪ぎ飛ぶ。
しかしタイムは動かない。僅かに首を右横にずらすのみ。
明日香の錘は先ほどまでタイムの顔があった部分を貫く。
そしてタイムは静かに。
「無理だと言ったが?」
明日香は答えずに小さな舌打ちをすると、一気に釣り竿を引く。
釣り糸の錘。そしてその先につけられている釣り針が明日香の元に戻ろうとする。
その時、明日香の腕と手首が微妙に。傍目には解らない、その程度に小さくしなった。
同時に釣り針が僅かな動きを見せる。
それは、横に飛び左から右へとタイムの眼帯を引っかけた。
「!」
驚くタイム。だが、遅い。
タイムの左目から眼帯が引き剥がされ、それは明日香の手元へと収まる。
明日香はしてやったりと鼻で笑って。
「ははっ……何よ、思わせぶりなコト言って。今度は」
得意げに言うが、その言葉は途中で凍りつき、最後まで続くコトはなかった。
プロフェッサーの眼帯の下にあった左目が、明日香を捉える。
そして明日香も見てしまった。眼帯の下にあった、プロフェッサーの瞳を。
瞳の色は紅。自分と同じ、ダーク・クリムゾンの瞳。
しかも右目は黒く左目は赤。左右で瞳の色が違うオッド・アイと呼ばれる瞳。
その瞳は、明日香の知るある人物の持つ瞳───!
明日香は自分の見たものが信じられずに、思わず後ずさる。
その反応を予想していたかのように、タイムの笑みはさらに優しい者に変わっていく。
浮かべるタイムのその顔に、明日香は思わず呟いていた。
「お、に……お兄……ちゃ、ん……?」
そう。明日香の知るオッド・アイを持つ者。それは他ならぬ、幼い頃に生き別れた明日香の兄───。
呆然とする明日香に、タイムは彼が今まで見せたこともない、優しい笑みを浮かべてゆっくりと。
「そうだ、明日香。組織『ハーブ』を束ねるプロフェッサー・タイムの本名は、結城今日壱……お前が今まで怪盗に身をやつして探していた、この兄だ」
自らの胸に右手を置いて、しっかりと宣言する。
明日香は瞳を見開き、体を奮わせながら呟く。
「うそ……嘘よ……そんなの……」
「嘘ではない。厳然たる事実だ。そして───」
タイムは。いや、今日壱は天使の笑みを浮かべて無慈悲に告げる。
「私がこの手で、殺した。我が父、結城誠を。お前のために」
その言葉は誰よりも優しく、何よりも強く。されどこの世にある全ての不幸を浴びせるように、辛く悲しく、明日香を揺さぶる。
「嫌……」
頭を抱える明日香。
「嘘よ……」
その場にうずくまる。
「父さんが何をしたって言うの……?」
「父は愚かにもコネクションへの叛意を示した。我々の後ろにいるモノの存在に怖れて」
「嘘……嘘よ……」
もはや今日壱の言葉は明日香に届いていない。
明日香はただ、全てを失った子供のように、力無くいやいやを繰り返すのみ。
信じていた世界の全てが、ひっくり返る感覚───。
雅貴のたどった悲しみへの道を、明日香もまた歩みつつあった。
絶望への道を。
今日壱はそんな明日香の混乱も知らず───いや、知れどもそれに構わず、ゆっくりとある言葉を放った。
「そう……『ドラグーン』……」
それを打ち消すように。明日香は己の身を自らの腕に抱きしめ、全てを絞り出して叫んでいた。
「嘘よおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!」
雅貴は明日香の部屋だった場所のベッドの上でただじっとうずくまっていた。
全ての気力を削ぎ取られたまま、動けずに。
『甘えるのもいい加減にしなさい!』
母の言葉が脳裏をよぎる。
甘えと言えば、それはそうなのだろう。しかしそれでも。
雅貴は未だ立ち上がることが出来ないでいた。
信じていたものが消え去ったショックは簡単には癒えない。
「俺は……間違ってた……?」
未だに───雅貴は迷いの中にいた。
罪を憎んで人を憎まず。たとえ罪を犯した者でも、想いがあれば立ち直れると信じていた。
だから雅貴は、自分は明日香を救えると、そう信じていた。
だが、現実はどうだ。
明日香は雅貴の手をふりほどき、いずこかへと去っていった。
「間違っていたんだな……」
雅貴はぽつりと呟き、ベッドのシーツを握りしめながら。
「間違っていたんだ。相手は怪盗。母さんのような義賊じゃなく、人のものを盗んで楽しむ、タチの悪い……」
雅貴の表情が歪む。悲しい怒りがありありとその顔に刻まれていく。
「だったら、もはや容赦は───」
雅貴の考えが非常に怖いものに変わりかけて、思わずそう呟いてしまう。
同時に部屋のドアがゆっくりと開く。
誰かが中に入ってくる。
はっとしてベッドから顔を上げる雅貴。
そこには、彼の妹がいた。
「恋美……」
妹の名を呼ぶ雅貴。
恋美は兄の言葉に何も答えない。
ただ、ゆっくりと恋美は雅貴に近付いてくる。
「どうした?」
尋ねる雅貴。その瞬間───!
恋美の両手が雅貴の首根っこをとらえた。
「ぐぇぁっ!」
首を絞められ、呻く雅貴。そのまま押し倒され、ベッドに寝転がった雅貴の上に恋美が跨ぎ乗る。
恋美の腕にぐっと力が込められていく。
「あ……。れ、恋美……な、にを……!」
苦しく声を絞り出す雅貴だが、先ほどと同じ。兄の問いに恋美は何も答えない。
ただ、小さな呟きをぶつぶつと繰り返すだけ。
雅貴の耳が恋美の口から漏れる言葉をかろうじて捉える。
「排除せよ……偉大なるプロフェッサーの敵……そは世界の滅びを招く異質なる者……聖華より滅すべし……」
「!?」
妹の口から出るはずのない言葉が出て、一瞬だけ混乱する雅貴。
不意に恋美の瞳が雅貴に向く。
兄と妹の視線が交わるその瞬間、雅貴は見た。
恋美の瞳から、意志の光が消え失せている。
「お前、催眠術に……!」
息もできない中、苦しく小さく叫ぶ雅貴。
その間にも恋美の手に込められた力はさらに強くなっていく。
「〜〜〜〜〜〜〜!」
雅貴はもはや声を出すこともできない。
息が詰まり、意識が少しずつ遠くなる。
視界から光が失せ、耳の奥がなんとなく鳴っているように思え、他の音が聞こえなくなる。
恋美の腕を引き剥がそうと手をかけるが、それも思うようにはならなかった。
消えていく意識の中、腕に力が入らなくなり、ベッドの上へと落ちていく。
(あぁ……そうか、死ぬってこんなカンジなのかな……)
今までの思い出が、次から次へと頭の中を回っていく。
噂に聞く走馬燈というヤツだろうか。
かつて、恋美が産まれた時のこと、母のまねをしてマジックをしたこと。ある事件に関わりマジックをやめたこと、父の後を継ごうと心に決めたこと。爆弾事件、ルージュとの出会い、明日香との日々───。
(彼女と信じていた娘に裏切られ、洗脳された妹の手にかかるか……結局、出来損ないにしかなれなかった俺には、似合いの最期だよな……)
ついに雅貴は自らの終わりを覚悟した……!
To Be Continued to Next File...
© Kiyama Syuhei 木山秀平
© 立川 恵/講談社/ABC/電通/TMS
(asuka name copyright from「怪盗 セイント・テール」)
禁・無断転載