Report 7 危険なプロローグ


 室内を静寂が支配する。
 それを最初に破ったのは、雅貴。
「アロマランド、第1入り口……」
 彼の言葉に大貴は厳しい顔で。
「ダメだ、雅貴。絶対に許さんぞ」
 厳格な、有無を言わさぬという強い意思をはらんだ語調。
 だが。雅貴はゆっくりと首を振り、緊張に震える声で呟くように答える。
「ダメだ。それこそダメだよ、親父。俺は、行かなくちゃならない」
「ふざけるな!!」
 叫ぶ大貴。声を荒げ、雅貴を諭そうと叱責混じりに、必死の形相で。
「相手はタイムだぞ。おまえも知ってるだろう、聖華市を未曾有の恐怖に陥れた、ネットワーク・ジャック事
 件を!あの事件の主犯こそ、タイムなんだ!コレはお前がいつもルージュ相手にやってる『探偵ごっこ』と
 はワケが違う!!今回だけは駄目だ!下手をすれば、命のやり取りになってしまう!!」
 そして雅貴の瞳を見ながら、大貴。雅貴の両肩に自らの両手を置き。
「解ってくれ。危険なんだ。前にタイムが現れた時も俺の友人が殉職したんだ。奴は警官で、その覚悟はいつ
 だってあった。だがな、奴には臨月で入院中の奥さんがいたんだ!!解るか?万が一の時、哀しむのは残され
 た者なんだ。俺だってそれを心得て現場に立ってる。その覚悟の無い、いや、あっても。お前を危ない目に
 あわせるわけには……」
 探偵としても、親としても。雅貴を危ない目にあわせるわけには行かない。
 言いたいことは、雅貴にも十分伝わってきた。
 目を伏せる雅貴。
 言いたいことはよく解る。よく解るが────。
 横から芽美の声も聞こえる。
「そうよ、雅貴。ここはパパに任せて、ここで恋美を待ちましょう?」
 雅貴はその瞳を伏せたままで、手にじっとりと汗のにじんだ拳をにぎり、震わせる。
 その様子を見ていた明日香は、芽身に向かってゆっくり首を横に振る。
(多分、ムダですよ)
 明日香の仕草には、彼女のそんな呟きが、ありありと浮かんでいた。
 それを示すかのように雅貴は顔を上げ、父の瞳を見つめ返す。
 内に何者をも侵すことの出来ない、一本気な意思の光をたたえて。
 依然、緊張に震える声で。されどきっぱりと。
「ごめん、親父……母さん。俺、できないよ」
 その言葉に。両親の表情が驚愕に凍る。
 予想できていた反応だった。が、言わなければならない。
 雅貴は言葉を続ける。
「ホントにごめん。でも、俺には出来ない。このまま指をくわえて捜査の傍観者のままでいることは。それに
 俺はルージュ相手に『探偵ごっこ』なんてやった覚えは無い。少なくとも俺はすべての事件に対して『捜査
 官』として相対してきたつもり……いや、相対してきた。それに相手はプロフェッサーだ。甘くないことも
 解ってる。下手をすれば、確かに命だって危ないかもしれない。だけど……」
 言葉を切る雅貴。そっと明日香の方を見る。
 なぜか解らないが、そうしなければならないような気がした。
 明日香はゆっくりと何かを肯定するように首を縦に振る。
 そして雅貴は言葉を続ける。
「だけど、俺は行きたい。いや、行かなくちゃならないんだ。プロフェッサーが絡んでる。あのタイミングで
 奴が偶然に電話をかけてくるなんてコト、俺だって思っちゃいないさ。この事件、裏で糸を牽いているの
 は、間違い無く奴だろう。ならばなおさら、俺は行かないわけにはいかない。俺が出て来なかったらあい
 つは恋美に何をするか解らない。それに何より……あの野郎との因縁は、この俺の手で断ち切らなくちゃ
 ならないんだ」
 真剣な言葉。それが自らを危険に向かわせる決断と知りながら、雅貴はそれを止められない。止める
気も無い。それが雅貴を『アスカ3rd』たらしめているものなれば。
 雅貴は再び明日香を見る。
 明日香は解っているとでも言うように。だけど、本当は危険な目に遭って欲しくないとでも言うような。
 そんな複雑な表情を、一瞬だけ雅貴に見せる。
 だが、すぐににっこりと笑うと、言う。
「そうですよね。それが雅貴さんですものね。それに今回は恋美ちゃんの命だってかかってますもの。行っ
 て当然です。大丈夫ですよ。雅貴さんなら、きっと上手く出来ますから。信じてます」
「明日香ちゃん!」
 悲鳴を上げるように、明日香を非難する芽美。
 そんな彼女に明日香は、雅貴や大貴には聞かれぬよう、静かに耳打ちする。
「おばさま。聞きませんよ、雅貴さんは。さっきも言ったように、それが雅貴さんですし、それで聞くような
 人でしたら、少し前までわざわざあたしを追いかけて捕まえようなんて、しません」
 言いながら明日香。いつの間にか、その頬にわずかな朱のかかった、誇らしげな表情を浮かべる。
「でも……!」
 さらに抗議の声を上げようとする芽美に。
 明日香は力強く。悲壮とでも言うほどの決意を胸に秘めて。
「あたしだって、雅貴さんに危ない目に遭って欲しいなんて思っていません。でも、それが無い雅貴さんは、
 たぶん雅貴さん足り得ないのかもしれません。だったらあたしは雅貴さんのために雅貴さんを送り出し、
 雅貴さんのために雅貴さんを護ります」
 そこで言葉を切り、真剣な表情で続ける。
「大丈夫です、芽美おばさま。雅貴さんは絶対にあたしが護ります。だから、雅貴さんのワガママを許してあ
 げて下さい」
 必死。まさしくその言葉に値する表情と口調。
 明日香は芽美に。雅貴は大貴に。
 それぞれ自らの決意を述べる。
「あなたたち……」
 呟きながら、なおも彼らを引き止めようと思いながら。
 芽美には解っていた。もはや彼らを止められるものはない。
 かつて芽美が迷える子羊たちを、自らの幸せを打ち捨てても、救おうとしたように。
 どれだけ危険な目に遭っても、必死にセイント・テール=芽美を求めようとした大貴のように。
 もう、彼らは止められない。もしかしたらこのまま遠くへと行くのかもしれない。
 少なくとも―――雅貴も明日香も、今は立ち止まりはしないだろう。
 これは他ならぬ自分たちに迫っている『危機』なのだから。
 それまで解っていて。いや、いるからこそか。芽美は名残惜しそうな視線を雅貴と明日香に向ける。
 雅貴はそれに気付かずに。
「親父。母さん。プロフェッサーとの因縁は、俺に課せられた命題なんだと俺は思ってる。ヤツが裏で糸を引
 いていたいくつもの事件に関わって、ルージュから奴の事を聞かされて。俺は思った。この謎は、俺の謎な
 んだって。だから……俺に行かせてくれ。俺の事件なんだ。俺の―――アスカ3rdとして今までやって来て、
 未だ解けていない俺の命題。謎なんだ。俺の謎は、俺が解く!」
 その瞳は、紛れも無い。
 今まで『アスカ』を名乗り続けて来たものが持つ、まっすぐな光を湛えた瞳―――。

 アロマランド。数週間前、聖華市に出来た、新しいテーマパーク。
 既に、あらゆる警官がアロマランド内外に配備されていた。
 それは例えば、客に扮している者、スタッフに扮している者。
 そんな中、リナはアロマランドの警備室から通信機に指示を出す。
「いい?みんな。油断すんじゃないわよ。テキはどっからどう出るか、わかんないんだからね」
 打ちあわせによれば、そろそろ第一入り口のカメラに、雅貴の姿が見えるはず。
 カメラをじっと見つめるリナ。
 その後ろで部下の松平慎太郎が呑気な声で。
「取引を人海戦術で捉え、犯人を確保……上手くいきますかねぇ〜〜」
 言いながら、ポケットに手を突っ込み、小瓶を出す。
 小瓶の蓋を開け、中身の錠剤をジャラジャラと右手の上に数粒出して、口の中に入れる。
 それを苛立たしく見ながら、リナ。
「なによ。文句あんの?誘拐事件には、これが一番最善の方法で、これ意外に手は無いでしょ」
 きっぱりと言いきる。
 慎太郎はそれを横目で見ながら錠剤を噛み砕き、ごくりと飲み込みながら。
「うえぇ、苦ぇ〜〜。いや、確かにそうなんですけどねぇ……なんと言うか」
 何か含みを持たせたような、慎太郎の言葉。
 リナは眉を少しぴくりと動かせて、少し不機嫌な表情の言葉を慎太郎に放つ。
「何よ。何が言いたいワケ?」
 すると、慎太郎。厳しい表情をして言う。
「いや、別に。ただ、あの伝説の警視正なら、何と言うかなと思いましてね」
「伝説の警視正?」
 いぶかしげな表情を見せるリナ。慎太郎は不安そうにこくりと頷きながら。
「そうですよ。数年前に殉職された、高木警視正なら、何と言うでしょうねぇ……」
 慎太郎の放ったその言葉に。リナの表情が少し固くなる。
 それに気付かないドンカンな慎太郎。それとも、ドンカンなふりをしているだけなのか。
 リナは苦々しい顔をしている自分に気付く。
 こいつは、いつもそうだ。
(言葉も態度ものらりくらりしてて、全然はっきりしないんだから。それが、すっごくもどかしくて、イヤに
 なる時があるわ。ヘマはしないけど、手柄も立てない……なに考えてんだか、時々わかんなくなる)
 いつもの慎太郎に対する評価を心の中で呟きながら、一つ咳払い。
 落ち着きを取り戻して、慎太郎に言葉を投げる。
「あたしの警備体制に文句や疑問があるなら、ハッキリ言ったらどうなの?松平。少なくともあたしは、部下
 の意見に貸す耳くらいは持っているつもりよ」
 すると慎太郎。目を丸くして、手をぶんぶか左右に振り、敬礼しながら言う。
「い、いえいえ。自分は、警視のご見解に口を挟むつもりは何もありません!ただ、念には念を、と……」
 そんな彼の様子にリナは再びモニターに視線を移し、左手を口と顎を覆うように顔へと乗せる。
「ふぅん。念には念……確かにね」
 そこまで呟いた時。雅貴が警備室のモニターに映る。
 リナはすかさず厳しい表情に戻り、再び通信機に。
「雅貴くんが来たわ!いい、みんな。なんとしても、犯人を……」
 そこまで叫んだ時。警備室の全画面がいきなりブラック・アウトする。
「な……!?コレは!」
 思わず叫ぶ慎太郎。とっさの事に、一瞬、呆然とするリナ。
「何をしてる!モニターを早く回復させろ!」
 リナの代わりに慎太郎が指示を出す。
 だが、モニターを操作している捜査員は、必死にコンソールを叩きながら。
「ダ、ダメです、松平警部補。こちらからのコントロールが一切効きません!」
 報告を聞いて。慎太郎の頬につぅいっと汗が滴る。
「まずい……まずいぞ、コレは」
 今までにない、マジな表情を見せる慎太郎。
「もしかしたら俺たちは、とんでもないワナにかけられつつあるのかもしれない。どうする……?」
 考える慎太郎。その瞬間、稲妻に打たれたかのような激痛が、彼の脳内に轟く。
「痛っ!!」
 くらりっ……と目眩を起こし、足元を震わせながら、たたらを踏む慎太郎。
 おもわず両手で頭を押さえる。
 その時。慎太郎の上着から、先ほど彼が出していた錠剤の小瓶がポロリとこぼれ出る。
 小瓶は床に落ちても割れず、そのままコロコロとリナの方へと転がっていく。
 リナの爪先にコツンと当たる小瓶。
 それに我に返って、思わず拾い上げるリナ。
 小瓶のラベルを見つめる。
「ア、アザティロス……?主成分はアザチオプリンとシクロスポリン……?」
 その言葉に。慎太郎は顔色を変えてリナへと近づき。
「か、返して下さい、警視!」
 小瓶をリナから取り上げる。
 リナは慎太郎を見つめて。
「そう言えば……松平。アンタ最近よくその薬飲んでるトコ、捜査課室で見るけど……何よ、それ。栄養サプ
 リなんかじゃないわよねぇ。まさか……」
 疑惑の瞳を慎太郎に向けるリナ。慎太郎は小瓶の中身を再び数錠取り出し、噛み砕きながら飲み込む。
 頭痛がすぅっと慎太郎から引いて行き、顔色が元に戻る。
「まさか……何ですか?」
 続きを促す慎太郎。リナは一瞬躊躇しながらも続ける。
「まさか、麻薬とかそんなんじゃ……」
 その言葉が終わらないうちに。慎太郎は、ははっ……と漏らすように笑って。
「違いますよ、警視。僕は前に……前にある事件でちょっとケガしましてね。その時に病院からコイツを処方
 してもらったんです。それで、今もそれが続いてるんですよ。立派な医用処方薬です。お疑いなら、調べて
 みて下さい」
「そう……。いや、部下を疑う訳じゃないわ。でも念の為に、後で調べさせてもらうわよ。それはともかくと
 して」
 リナはそう言いながら、真っ暗になった画面を見つめる。
「何なの?コレは」
 慎太郎も画面を見つめながら、答える。
「多分コイツは電源じゃないでしょうかね。この一画すべてに届く電源を落とされているんです。ついでに外
 部との交信も試みてるんですが……無駄ですね。誰かがジャミングをかけているようです」
「ジャミング!?誰が?」
 叫ぶリナに慎太郎は答える。
「打ちあわせ時の飛鳥探偵のお言葉が正しければ、一つしか思い浮かびません」
 そこで。リナは初めて敵の名を口にした。
 個人的な怒りと怨嗟を含んだ、静かな声で。
「組織……っ『ハーブ』っ……」
 そう。数年前、聖華市ネットワーク・ジャック事件で警察の威信を地に落とし、そして最も愛する彼女の家
族の一人を奪った者たち。
 リナは眉を釣り上げ、身を翻してドアの方に駆け寄る。
 だが、ドアは開かない。
「な、なんでっ……!!」
 叫ぶリナ。慎太郎は苦々しく舌打ちをして呟く。
「計算済みだったんでしょうね……ヤツは。僕たちがここに陣取る事を。まずいですね、コイツは……」
 その時。コンソールを必死に叩いていた警官が呟く。
「す、すいません、警視。警部補。なんだか……息苦しくないですか?」
 その言葉に。慎太郎もリナも気付く。シュウシュウと何かが盛れ出る音。
「まさかっ!?」
 音の可能性に思い立ち、リナは換気口の方へ耳を近づける。
 彼女の推察通り―――音は換気口から出ていた。しかも中から外へと。
(そ、そんな……!?)
 背筋が寒くなる。その事実に。この警備管制室から空気が漏れ出ているという事実に気付いて。
(このままじゃ、全滅する!でも、どうすれば!?)
 思い悩むリナ。なんだか考えれば考えるほど、どんどん息苦しくなっていく。
 何もアイディアが浮かばない。目の前にちかちかと、酸欠者特有の星が瞬く。
(ど、どうすれば……どうすれば……)
 気がつけば。リナは藁をもすがる思いで、彼の事を思い出していた。
(助けて……)
 警察庁最後の切り札と呼ばれた男。
 名探偵飛鳥大貴の親友。
 聖華市に本拠を構える県警察特別捜査課・元課長。
 そして―――。
(助けて……あなた……)
 ふらっ……と。リナの体が地に崩れる。
 瞬間、誰かが自分の名を呼んだ。
 リナにはそれが、死んだはずの夫の声のようにも聞こえていた。

© Kiyama Syuhei 木山秀平
© 立川 恵/講談社/ABC/電通/TMS
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