Report 6 少年は飛び立つ


 通話を終え、カリンは携帯電話のスイッチを切る。
「タイム様……か。ふふっ、懐かしいな」
 笑みを浮かべ、嬉しそうに笑う。
 ただ懐かしさだけに笑っていたわけではない。
 プロフェッサーがあの時の事を。自分を拾ってくれた時の事を忘れていなかった。
 その事が解って、嬉しかったのだ。
 カリンを引き取った後、タイムは彼女をコネクションのスクールに入れた。
 そこが一般組織員を養成する場所ではなく、始めから選ばれた幹部候補を育てる為の超エリート養成施設だ
と入った後で知った。そして、彼女は最初は娼婦を装う暗殺者の養成施設に入れられるハズで、それをタイ
ムが強硬に反対して、彼女をエリート施設に送り込んだと言うのを知ったのも、また後の事。
 彼女が幹部候補としてスクールを主席で卒業し、無事にタイムの元へ戻る時に、教官から聞かされたのだ。
「最初はどうなるかと思ったが、彼の選択は正しかったわけだ。結果的に組織は君と言う。たった3年足らず
 正規課程の三分の一の期間でスクールの全課程を主席で卒業すると言う、不世出の才能を得る事が出来たの
 だからね。新記録だよ。結局、君は彼の元へ戻るのだったな。今後とも彼と共に組織に忠誠を誓ってくれ」
 と。その言葉が気になって、タイムの元に戻った際に、片手間で調べてみたのだ。
 自分の情報で特に機密性も無かったため、幹部候補の彼女には、過去の資料を調べる事は簡単だった。
 この事実を知った時。どれだけの嬉し涙が出た事か。
 そしてプロフェッサーと共に下部組織『ハーブ』に出向し、この聖華市で。
 普通の同年齢の子と同じように、普通の学校に。
 名門で名の通っている聖ポーリアに通えと言われた時。
 幼い頃―――タイムに出会う前では全く考えも出来なかった。
 まさか、普通の学校で普通に普通の勉強が出来るだなんて!!
 聖ポーリア学院中等部に入り、普通の中学生として、普通の生活を送る。
 たとえそれが組織幹部候補としての修行の片手間だとしても。
 嬉しかった。幸せだった。
 それなりに流行を話し合える友達も出来て。
 学院に通い、取り入れられる知識は全て取り入れた。勉強し、人間関係について学び。
 今、カリンの周囲では、早い友人はもはや高校入学試験を済ませ、学院の高等部や名門高校への入学内定を
貰っている者もいる。それ以外の者も入試準備でおおわらわ。カリン自身ももはや学院で得られるものは無い
と思っていた。そして、この、プロフェッサーからの作戦指示。
(そう……いよいよタイム様に報いねばならないのよ……)
 心の中で呟いて、近くの柱を見る。
 そこには雅貴の妹にして、飛鳥探偵の愛娘。恋美が座った状態で縛り付けられていた。
 体の力が抜けており、くたりとしている。気を失っているのだ。
 既に恋美にかけた催眠術は解いている。
 もともと長い間催眠状態にし続けると、精神崩壊を起こしかねないほどのキョーレツな事後暗示だ。
 今の時点でそれは非常に困る。
「まぁ……感謝して欲しいものね。あたしにとってはプロフェッサーがすべて。あなたがどうなろうと関係
 ないけれど……あの方が。タイム様が望んでいるのですもの。あなたの兄との『対決』を、ね」
 そして瞳を閉じるカリン。意識の裏で、最も敬い、そして最も愛している人の顔が浮かぶ。
『カリン。私の期待に応えてみせろ。お前が私の一番の部下。そして右腕たるに相応しい人間だと言う事を、
 見せてやれ』
 心に残るその言葉。いつだって思い出せる。
 カリンはまさしくそれを拠り所にして、辛いスクールの訓練を幾度と無く乗り越えて来たのだ。
 プロフェッサーの。タイムのためなら、自分は天使にも悪魔にもなれる。
(だって、あたしはあの人に救われた。そしてあの人があたしを『生き』させてくれた)
 もしもタイムがいなかったら。今のカリンは鞭に打たれる昔の自分を思い出し、身震いする。
 おそらくは希望も何も無い、暗い独房のような小さな部屋の中で。
 歪んだ男たちの欲望を、何の疑問も持たずに人形のように、受け止め続けていたのだろう。
 そしていずれは望まぬ子を孕み、その子があの時の自分と同じ境遇で痛めつけられるのを何の不思議も感じ
ずに、ただ冷ややかな瞳で見つめ。そして、老いて死んでいく。人間として生きる事はできず、人形として。
 それは決して『生きている』人間の生き方ではない。人形の生き方など。
(あの人はいつも言っている。「運命と戦っている」と。ならば、あたしも……)
 自分も運命と戦いたい。その力をタイムはくれた。神の定めた運命のレールに抗えるだけの力を。
(プロフェッサー。タイム様。あたしは……あなたに自らの全てを捧げます。なぜならあたしは)
 声に出さず、口の中でそっと呟いた。
 愛しているから、と。誰よりも何よりも、あたしはあなたを愛しているから、と。

 東京駅に降り立った少年は、山の手線のホームへと進み、有楽町に向かった。
 有楽町駅から、地下鉄有楽町線に乗り換え、目的地に向かう。
 行き先は、東京都霞ヶ関2-1。
 晴海通りと桜田通りがぶつかる角っこにある、大きな建物。
 皇居外苑、桜田門の目の前。
 少年は有楽町線桜田門駅で降りると、2番出口から地上へと顔を出す。
 そこには威風堂々とした、テレビなどで良く見る特徴的なビルがどでんと構えていた。
 その場所からその通称を『桜田門』と言い、桜の大紋を振りかざす、国家警護の象徴。
 名を警視庁。この東京23区内と周辺域の治安を預かる、第1方面管区担当警察の総本部。
 彼は臆する事無く、この建物の中へと入っていく。
 彼の胸には少年の写真を附した、グリーンのIDカード。
 カードには大きく『S.E.P.』の文字が刻まれている。
 入り口にいる警護の警官に挨拶をし、少年は中に入った。
 すると、目の前に年輩の女性。彼の母親より、10歳程度年上……だろうか?
 少年は素早く女性の胸にあるIDカードとバッヂを見る。
 バッヂには『M.P.D.』の文字。この警視庁の事。
 IDカードには、女性の名前と所属。そして階級があった。
 すなわち『北村 楓 / 警視監 / 警察庁刑事局』と。
 少年はにっこりと笑って、言う。
「お聞き及びの事とは思いますが……S.E.P.の高宮理(たかみや・さとる)です。聖華市までの同行をお願いし
 ます」
 楓は眉をひそめて。
「……そっくりね。気に入らないわ」
「は?」
 訝る理。そんな彼に、楓は言う。
「アンタ、そっくりなのよ。警視……高木警視に」
 理はビックリしたような表情で楓に尋ねる。
「父を知ってるんですか!?」
 楓はふっ……と笑い、言う。
「部下だったわ。彼が警察庁に入庁したばかりの頃の、ね」
 驚きが広がっているような表情を見せる理。思わず楓に尋ねた。
「そ、そうなんですか!?あの、父はどんな人だったんですか?ボク、父の事を全く知らないんです。ボクが産
 まれた時に死んだんだって聞かされてて……。どんな人だったんですか?」
 ある種の期待に満ちたような言葉。楓はうっとおしそうに言う。
「……ヤな奴だったわね、あたしには。言ってる事は正論だったかもしれないけど……」
 その言葉に、理は少しシュンとして。
「そ、そうですか……」
 そんな彼に楓。言葉を続ける。
「まだ話は終わってないわよ。たしかにあたしにはヤな奴だった。でもね……」
 でもね。楓の言葉はそこで途切れる。
 しばしの間。
 次に楓が言葉を紡いだ時、その声には何かを諦めるような、そして苦笑いでもしているような。
 でも、何かを懐かしむように気持ちいい響きがあった。
「でも、素晴らしい有能な捜査指揮官だったわ。殉職した時……全国の警察官が、彼の遺影に向かって敬礼を
 送ったほどに、ね。今から考えれば、彼を本当に疎ましく思っていた人間なんかいなかったのかもしれない
 わね。このわたしを含めて。特に現場の警官たちは……彼の殉職を聞いた瞬間、泣き崩れたものよ。あなた
 の父親はね、この日本警察の伝説の1つなのよ」
「そ、そこまで……」
 まさかここまでとは思わなかった。びっくりすると共に、感慨が理を包む。
 そんな彼に楓。
「あなたがこれから行く聖華市は、その高木警視が終焉を迎えた場所。そして、あなたの母親がその銃後を守
 る土地。高木警視と双璧を成す『生きる伝説』飛鳥大貴興信書士が守護する地。もしかしたらあなたも、伝
 説にまみえるかもしれないわね」
「……伝説に、ですか?」
「そう。あなたが伝説を見るのか、それともあなたが伝説になるのか。でもね……」
 そこで楓は、ふっと笑い、理に視線を合わせて、顔を近づける。
 ともすれば触れるかもしれない互いの顔の距離。
「できるなら……生きなさい。あなたが伝説になる必要はないのだから。そうでないと私たち警察は、あなた
 のお父さんに、あの世で顔向けできないわ」
 楓がそう言った瞬間。2人の目の前で屋上ヘリポート直通エレベーターが開く。
「乗りなさい。屋上にヘリを待たせているわ。残念ながら、同行は無いのよ。こっちも忙しくてね」
 言いながら楓。理にホルスターのついた銃を手渡す。
 旧式の電子クラッカー銃。それは、1995年に特別捜査課が使用していた装備だった。
 銃のシリアルナンバーは『00(ダブルオー)』。
「これを渡しておくわ。あなたのお父さんが使っていた電弾銃よ。そして……」
 もう1つ。肩に掛けるように紐のついた、大きな一抱えほどの筒型のケース。
 所々に何か丸いものが入っているポケットがついている。
「頼まれていた、あなたの『切り札』よ。全くもって、あなたの一族は……」
 呆れたような楓の言葉。それに、にっこりと応える理。
 2つの装備を受け取り、理は頭を下げて言う。
「ありがとうございました」
 エレベーターの扉が閉まる。踵を返す楓。
 しばらくして。警視庁庁舎の窓から、警察ヘリの飛び立つのが見えた。
 楓の横に、一人の男が立つ。
「……行ったようだね。高木くんの忘れ形見が」
 楓はその男を知っている。思わず男に敬礼する楓。
 男は笑い、言う。
「あぁ、いい。構わんよ」
 男の名は大沢令。その役職は警察庁刑事局長。
 日本刑事事件捜査の最高峰に立つ男である。
 令はヘリを見上げて言う。
「高木くんと高宮くん……その2人の資質を受け継ぐ少年だ。アスカ3rd.の下ならば、大丈夫だろう。今まで
 は捜査補助的な任務の方が多かったからな。聖華市で鍛えられると思うよ」
 言いながら。令はヘリに向かい、ぴしりと敬礼した。楓もそれに続く。
 2人の捜査官に見守られながら、1人の捜査官のタマゴは東京の空を高く高く、聖華市の空へ向かって舞い上
がる。
 だが、今。聖華市に巻き起こりつつある急を告げる風雲を、まだ誰も予想してはいなかった。

© Kiyama Syuhei 木山秀平
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