Report 4 戦いの幕が開く


 緊張の面持ち。だが、それを相手に悟られてはいけない。
 交渉は常に、自らの精神を優位につけたものが勝つ。
 それを思い起こしながら、雅貴は受話器を取った。
「もしもし……こちら飛鳥もしくは羽丘ですが、どちらさまでしょうか?」 
 待つ。しばし待つ。
 実際は1秒も無い時間。だが、この僅かな時の、なんと長いことか!!
 そして返事は……。
「ハイハイ。コチラ、香草軒アルよ!ゴチューモンの品、何だったアルかね?ちと教えて欲しいのコトよ!!」
 その場にいる全員が、ド派手な音を立てて、思わずずっこけた。
 だが雅貴。即座に怒りとともに復活し、やつあたり気味に受話器に叫ぶ。
「ウチじゃないっ!!中華料理なんか注文してないぞ!!もう一回、よく調べてくれ!!」
 すると。中華料理屋は不服そうな顔をして。
「エ〜〜!!ソンなハズないあるよ!?聖華市護ノ森3‐8‐6の飛鳥雅貴サンね?間違ってないヨ!!」
「そんな事言われたって、こっちには覚えが無いんだ!!いたずらじゃないのか?とにかく、もう一度よく
 調べてからお願いするよ!!それじゃ!!」
 電話を切ろうとする雅貴。そのとたん、電話の向こうの口調が変わる。
「ア〜〜!!切っちゃダメね!まだ続きがあるんだから。困るよ、アスカ3rd。このプロフェッサーからの出前を
 台無しにしては……ね」
 瞬間。雅貴のいる部屋の中に戦慄が走った。
 あまりにも。あまりにも意外で。
 雅貴の声が震える。
「な……に?プロフェッサー……タイム……?」
 そう。相手は確かに自らを『プロフェッサー』と名乗った。
 受話器の向こうで彼の声が響く。
「そうさ、アスカ3rd.どうした?意外そうな声だね。だが、解ってしかるべきだったのではないかな?」
 余裕の声。自分の神経を逆撫でようとでもしているのだろうか?
 ふつふつと込み上げてくるものを何とか押さえながら、受話器に言葉を投げる。
「この事件……裏で手をひいているのは、お前だな!」
 途端に受話器の向こうで、喉を鳴らすような笑い声が聞こえる。
 それがまた、雅貴の神経を更に逆撫でする。
 受話器を持つ腕に力が入った。そのまま切ってやりたい……そう思い、受話器を耳から離そうとする。
 だが、その手を押し留める、もう1つのか弱い手があった。
 雅貴は自分を押し留めた手の持ち主を見る。
 明日香だった。明日香は雅貴の手を持ち、心配そうな顔でゆっくりと首を横に振る。
「駄目です雅貴さん。辛いでしょうけど……」
 囁くような言葉。ふ……と、雅貴の心から熱が失せた。
 まるで森の中にある小川の岸辺に吹く、清涼な風にあてられたかのように。
 冷静な判断力を取り戻す雅貴。その状態を見て、明日香は心の中で呟く。
(やっぱり、雅貴さんも恋美ちゃんの事でかなり動揺してたのね……)
 明日香と同じ事を、雅貴もまた、考えていた。
(まずいな……やっぱり、自分でも解らないほどに冷静な判断がつき辛くなってたのか……)
 それを初めて自覚して、雅貴は苦笑する。そして、受話器に向かって。
「ただの挑発なら……ムダだぜ。お前がこの『取り引き』の相手だと言うなら、受けて立ってやる。だから、
 早く条件を提示しろ」
 裏に『もうアツくなってムダな挑発には乗らない』と言う決意を秘めながら、言葉を投げる雅貴。
 その横で、雅貴を落ち着かせるようにそっと付き添う明日香。
 二人を見ながら芽美は、一人何かに納得するように頷いている。
 一方で大貴は焦るように、電話に繋いでいるパソコンのキーボードを叩きまくっていた。
「早く……早く。急げ!!」
 だが、大貴のそんな焦りをも見透かしたように、プロフェッサーからの涼やかな返答が帰ってくる。
「ふふふ……無理は良くないね。妹さんが誘拐された事で、君たちはかなり焦っているはずだ。少なくとも、
 冷静な判断は取り辛い精神状況にあるはずだね。私としては、ソレを楽しみたかっただけなのさ。この今の
 時点では、ね」
 その言葉に再びカチンと来る雅貴。だがプロフェッサーの言葉のある部分に引っかかるものを感じる。
「え……『今の時点』……?」
 いぶかしげな表情と共に思わず出た、雅貴の囁くような呟き。
 それを聞いたプロフェッサーは受話器の向こうで舌打ちをして。
「少しお喋りが過ぎたようだ。私とした事が……。とにかく、アスカ3rd.よ。今回の一件で、キミは神が。そ
 して、その神が用意する『運命』と言うものが、いかに残酷なものであるかを思い知るだろうよ。所詮、神
 は人の事など、退屈凌ぎのつまらぬオモチャ程度にしか考えていないのだからね」
「な……待て、プロフェッサー!!お前、やはり……!!」
 受話器の向こうでブチッと言う音がして、後に残るは発信音。
 大貴は苛立たしく端末を頭から剥ぎ取り、キーボードに叩き付ける。
「時間足らずの上、強力な逆探知妨害プログラム信号。逆探は不可、か。間違いない、ヤツだ!!あのガキ……
 戻ってきやがったのか!!」
 その言葉に驚いたのは、雅貴と明日香。
「親父!プロフェッサーを知ってるのか!?」
 叫ぶ息子に父は頷き、言う。
「忘れられるものか……声は変わっているが、あの、自らこそが神だとでも言いたそうな、フザけた口調。あ
 れだけは変わってねぇ……」
 そして、蒼褪めた真剣な顔をして雅貴に言う。
「雅貴。悪いが、この事件……もう、お前は関わるな」
 その言葉に雅貴は驚き、そして叫ぶ。
「な……親父、何言ってんだよ!!」
 その時。再び電話が鳴り響く。
 大貴が受話器に手を伸ばそうとするが、雅貴の動きが一瞬早かった。
 そうしないと、もう、これ以上事件に関われない。そんな気が雅貴にはしたのだ。
 ふたたび受話器を持つ雅貴。
「もしもし……」
 受話器の向こうから、エフェクトのかかった機械による変声が聞こえてくる。
『アスカ3rd……飛鳥雅貴ね。あたしよ、ルージュ・ピジョンよ……』
 その場にいる雅貴と明日香。それぞれの表情に、再び緊張が走った。

 岡山駅発、フリーゲージ・リニア・エクスプレス『みらい』。
 1990年代より開発が進められて来たリニアモーターカー特急とフリーゲージ・トレイン。
 日本鉄道のシェアのほとんどを占める某鉄道会社グループがその威信を賭けて、その2つを兼ね備え実用化
にこぎつけた、世界最速の陸上用特急である。
 この『みらい』の導入により、高松〜東京間(瀬戸大橋経由)およそ1時間足らずと言う、驚くべき数値を叩
き出した。また、コレの一世代前のフリーゲージ・エクスプレスにより、四国にも新幹線が導入されている。
 そのグリーン車に座る、一人の中学生ほどの少年。
 既に名古屋を過ぎ、一路東京へと向かうリニア新幹線。
 外を見ながら彼は電車の中だと言うのに携帯電話で誰かと話している。
 見た目、かなりサイテーなマナー違反者だ。
「あはは……解ってますって、木山先輩。御忠告、傷み入りますよ」
『甘く見てるな?確かに、裏情報では今の聖華市は、非常に静かだ。だが、それは……』
「嵐の前の静けさかもしれない、でしょう?ですから、ボクが聖華市に呼ばれるワケですよ」
『……やはり設立したばっかりの組織と言うのは、それなりに人手不足のようだね』
「どーゆーイミですか?」
 どこぞの同人作家の言葉に、目くじらを立てる少年。
 普段は父に似ていると言われる少年だが、そうした表情を作るとやはり、どこか母親に似た面差しを見るこ
とができる。
『いや、深い意味は無いさ。ただね……キミの事は、小学校の頃から私が兄貴分として慕っていたキミの伯父
 さんからもよろしく頼むと言われていたしね。心配なんだよ』
「心配御無用。ボクが聖華に行く事は伯父さんも了承済みですからね」
 伯父さん。少年にとっては、父方の伯父にあたる。
 彼はつい先日まで、岡山市郊外の上芳賀と言う所でマスカット&白桃農家をしている伯父の元で暮らしてい
たのだ。
 そして暇さえあれば、近所(と、言うにはちと遠いかもしれないが)にいる、気の合う同人作家の元へと入り
浸っていた。
 電話の相手は、その同人作家である。
 少年は同人作家の母校である中学に通っていたので、彼を『先輩』と呼んでいるのだ。
 さて、その先輩。もはや何を言ってもムダかと言うようなタメ息をついて、最後に締めくくる。
『解ったよ。それに、向こうには君の母親もいる。心配は確かに無用だろう。だが、重ねて言うがな』
「くれぐれも油断するな……そうでしょう?」
 そこまで言った時。少年の横に車掌が立ち、咳払いをする。
「お客様。申し訳ございませんが、携帯電話は……」
 お体の弱い方の装身具の起動を妨害する惧れがありますので、おやめ下さい。
 車掌がそう言おうとした所で、少年は電話を切り、言う。
「はい、申し訳ありませんでした。もう終わりましたので、電源を切っておきますね」
 素直に電源を切る少年。最後ににっこりと付け加える。
「もっとも、装身具に影響の出ないフィール波動電波形式のケータイなんですけど」
 フィール波動形式。少年の言葉にもあるように、装身具・医療機器に影響を出さないために近年開発された
最新の電波規格で、最近の携帯電話の電波も少しずつこの企画にシフトしつつある。
 少年の言葉に、車掌。ハッとしながら気まずそうな顔でその場を立ち去る。
 それを見送りながら少年。
「……未熟だなぁ。きちんと『ケータイによる会話がうるさく、他のお客様のご迷惑になるため、おやめ下さ
い』って言ってくれればいいのに。ま、もっとも……」
 少年は周囲を見回す。このグリーン車に、他の客は存在していない。
「こんなにガラガラじゃあ、言えないか」
 その時。アナウンスのよく出来た電子音が、少年の第1経由地の到着が近い事を告げる。
『ピンポンパンポ〜ン。次は東京。次は、終点・東京です。乗り換えのご連絡を……』

 飛鳥・羽丘家。緊張の中、電話を受ける雅貴。
「キミは……誰だ」
 すると、受話器の向こうから声が返ってくる。
『ルージュだと名乗ったはずだけど?』
 すると雅貴。少し考え、そして言う。
「オーケー、それなら、それでいい」
「雅貴さっ……」
 抗議しようとする明日香。いくらなんでも、そんな。そう言おうとした。
 だが、横から芽美がそれを止める。
 そして、明日香に囁く。
「大丈夫よ。この場は雅貴に任せておきなさい。あなた、言ったでしょう?『自分が信じた人を信じて』って
 ね。それは、あなたにも言える事よ」
 芽美の言葉を聞いて、頬を染める明日香。
 真っ赤になりながらこくりと頷く。
 そして明日香は雅貴にその視線を移す。
 雅貴は真剣な顔で、相手の正体を探ろうと、交渉に乗り出していた。
(雅貴さん……)
 今まで明日香は、事件に関わる雅貴の真剣な顔を、当事者以外の立場から見た事は無い。
 だが、今はそれを見る事が出来る。
 それがなんとなく、嬉しかった。場違いな感情だとは解っていても。
 ただ、そんな明日香の心は無視して、電話口の交渉は進んで行く。
「で。ルージュ……なぜ、君はルージュと名乗る?」
『その質問の意味は理解しかねるわね』
「なぜだ?」
『さぁ……ソレを突き止めるのが、あなたの仕事じゃないかしら?』
 受話器の奥でクスリと笑う声がする。
(遊ばれてるな……)
 雅貴は心の中で呟いた。悔しさで怒りが込み上げてくるが、ここで冷静さを欠く訳にはいかない。
 先程のプロフェッサーに対する無様なマネは、もう二度としたくない。
「確かに。しかし、知りたいね。君は本来……ルージュではないんじゃないかと思ったりするんだよ」
 しかし受話器の奥では、笑いを交えた余裕の声が響く。
『詮索している暇があったら、取引の商談を始める事ね。どうせ、逆探知するつもりでしょう?』
 その言葉に。雅貴は色を失い、父の方を見る。
 大貴は雅貴と同様の表情で首を振った。
 逆探知プログラムを仕込んでいるパソコンの画面には【Error】の文字が並ぶ。
 雅貴は顔をしかめ、渋々受話器に言葉を送る。
「解った。それじゃ、用件を言ってくれ……」
 相手は余裕の表情を声色に乗せて、話を進める。
『用件は、あなたが来る事。場所は……そうね。アロマランド第1入園口前に13時。来ればまた連絡するわ』
 そして、相手は電話を切った。

© Kiyama Syuhei 木山秀平
© 立川 恵/講談社/ABC/電通/TMS
(asuka name copyright from「怪盗 セイント・テール」)
禁・無断転載