Report 1 異 変


 聖華市ネットワーク・ジャック事件。その犯人は、大貴の目の前にいた。
 だが、大貴はその真実をすぐに受け入れる事はできなかった。
「君、なのか……本当に、君、なのか……?」
 大貴の目の前にいるのは、10歳にも満たないであろう少年。
 彼は眼帯をした左目をさすりながら右手に銃を持ち、言う。
「そうだよ、飛鳥探偵。全ては、あなたをおびき出すために、この僕が仕組んだ事……」
「なぜだ……どうして!!」
 目の前の少年の起こした事件により、聖華市に在する全てのコンピューターが異常動作を起こした。
 信号機。航空管制塔。救急システム。POS。その他、あらゆるコンピューター・システム。初期の各種交通
機関における事故と、救急システムの混乱により、多くの死傷者が、出た。
 その後、各システムはストップ。見事なサイバー・テロと言える。
 聖華市警察は、この事態に対し、各分野の精鋭を要する、特別捜査課を投入。
 一方で、興信書士・飛鳥大貴にも、出動を要請した。
 今、大貴は。その犯人におびき出されて、この場にいる。聖華市工業区の廃工場に。
 大貴の叫びに。少年は微笑を浮かべて。
「僕のママのちょっとした復讐と……面白いゲームだったから、かな?」
「復讐……ゲーム!?ゲームだとっ!?数多くの人間を殺しておきながらっ!!」
 大貴の胸に、怒りの炎が燃え上がる。同時に。大貴の背後で大きな爆発。
 少年は、無邪気な笑みを浮かべて。
「面白かったよ。みんな、僕の掌の上で、狙った通りに踊ってくれるから。スリルも抜群だった。まるで自分
 が神にでもなったような、そんな気分だったね」
「てめぇ……!!」
 大貴の眉が吊り上る。一歩を踏み出そうとする。が。
「おっと。動いちゃ駄目だよ。もしも抵抗すれば、聖華市中にある、全ての病院に仕掛けられた爆弾を、爆発
 させる。本当に、全ての病院に、爆弾を仕掛けてあるんだ。今、僕が起こした事故により、殆どの市民が手
 近な病院や診療所に担ぎ込まれている。もしも僕がこのモバイルのリターン・キーを押したら……どうなる
 か、解ってるよね?」
「…………!!」
 動きを止める大貴。にこやかに、目の前の少年は、言葉を紡ぐ。
 そこに1つも邪気は無く、それが天使の言葉のようにも聞こえる。だが、大貴は。それが天使の皮を被った
悪魔のものである事を、まさしく、今、思い知る。
「あなた一人の命と、聖華市民全員の命を天秤にかけるんだ……面白いだろ?あなたにとってどっちが大切な
 のか。どちらに転んでも楽しめる、カルネアデスの板さ。そうだね……あなたには愛する妻がいる。成長を
 楽しみにしている息子がいる。先日には、娘が生まれたばかりだ。君が聖華市の全ての人間を犠牲にして生
 き延びたとしても、誰もそれを知る事は無い。何を戸惑う必要がある。そうだろう?」
 カルネアデスの板。溺れている男が板を持ち、何とか命を永らえている所へ、もう一人、溺れた男が寄って
くる。だが、その男が板を握れば、完全に板は沈んでしまい、2人とも死んでしまう。そこで。板をつかんで
いた男は、やってきた男を突き飛ばし、自分だけ命を永らえた。後に男は裁判にかけられたが、その行動は、
自らが命を永らえるためにやむなく行ったもの。男は他人の命を糧に生きてしまうという、重い十字架を背負
いながら、悔いながら生きている。それに、2人だけ死ぬよりも、1人が永らえた方が、まだ、まし。誰でも命
は惜しい。それは、生きるものとして当然の事。そういう理由で、男は無罪となった。
 これは、現在の刑法でも『緊急避難』と言う、特例として残っている。
 だが、警官・消防などと言った『他人を守る』職業には、これは倫理的に適用されない。
 いや……そうでなくても、このケースではそれは当てはまらないだろう。
 目の前の少年は、それをすべて承知の上で。
 大貴自信の命を楯に、どちらに転んでも過酷な選択をさせようとしている。
 いや、聖華市全員の命と彼が述べた時点で、その天秤は大きく傾く。
 大貴には自らの命を聖華市の人間たちと引き換える事などできない。
 それに、どちらにしても、彼は大貴を殺すつもり―――。
 全てを見越して、なお大貴自身を苦しめるために、あのような言葉を吐いたのだ。
「悪魔め……!!」
 大貴はぽつりと呟く。彼の歐悩を、少年は楽しそうに見つめている。
「あなたがどっちを選んでも、僕としては面白いね……さぁ、どうする?」
 少年の持つ銃が、黒く光る。やがて。少年はにっこりと笑って言った。
「タイム・オーバー……それじゃ、死んでもらおうかな。安心して。あなたの命さえ貰えれば、約束は守るつ
 もりだよ?」
 少年が銃を持つ手に、力が入る。その時。
「飛鳥あああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
 何者かの叫びが。少年が銃の引き金を引く。
 身を固くする大貴。銃声が鳴り響く。
 その銃弾が、大貴に届く―――事は、なかった。
 一瞬の沈黙。大貴の前には、警察の制服に身を包んだ、小柄な男性が立ちふさがっていた。
 その男性は、流れるような動作で、自らの持つ電気弾銃を構える。
 どしゅっ……!!男性の持つ銃から、電気弾が発射され、少年の持つモバイルを打ち抜く。
 バリバリバリ……と言う音とともに、大容量の電流で、モバイルはオーバーヒートを起こし、その機能を停
止する。少年は、大貴の前に立ちふさがった男を睨み、叫んだ。
「高木……高木、伸一っ!!」
 そう。大貴の前に立ちふさがったのは、聖華市警察特別捜査課、管理官。高木伸一警視正だった。
 伸一は、少年に向かって、叫ぶ。
「警察庁指定犯罪組織・A-45号。ICPO指定犯罪テロ組織、ハーブ・コネクション構成員、暗号名(コードネー
 ム)タイム!!不正アクセス防止法違反、並びに、殺人未遂の現行犯で、逮捕する!!」
 その言葉と同時に、パトカーのサイレンの音。伸一と大貴の後ろから、機動隊が突入してくる。
「ぐ……モバイルが壊れては、爆発させる事ができない。ちきしょう、覚えてろ!!」
 モバイルをその場に捨て、身を翻すタイム。
 機動隊が伸一と大貴の脇を摺り抜ける。伸一は、声を大にして叫んだ。
「追え!!私に構うな!!奴を……タイムを追え!!」
 その指示に従い、タイムを追う機動隊。
 再び静まり返る、廃工場の中で。大貴は身を起こし、伸一に声をかける。
「高木……?」
 同時に。伸一の体が、ぐらりと後ろに倒れ、大貴に身を寄りかからせるような状態になる。
「お、おい、高木!!」
 慌てて伸一の体を抱える大貴。その時。大貴は伸一の胸に、ぬるりとした何かが出ているのを感じた。
 自分の手を見る大貴。そこには、赤くべっとりと、伸一の血が。
 よくよく周囲を見ると、自分たちは、伸一の左胸から流れたものが作る、血溜りの上にいる。
 伸一は苦しそうに、大貴を見て、微笑んだ。
「飛鳥……無事か……よかった……」
 その呟きに大貴。震える声で伸一に。
「高木……お前、なんてコトを!!」
 伸一は微笑みのままで。
「大丈夫。こんなの……」
 ところが、そこまで呟いた伸一の表情がかすかに歪む。
「やっぱキツいね。まいったなぁ。急いでたから、装備を揃えきれなかったんだ……」
 少しずつ弱まっていく伸一の声。
 それに気付き、大貴は伸一の制服を破く。
 絹を割く音とともに露わになる、心臓にまで達している傷口。
 伸一の装備に、防弾チョッキは―――無かった。
 彼の言う通り。他ならぬ彼自身が、事を急ぎすぎて防弾チョッキを揃え損ねていたのだ。
 涙の滲んだ震える声で大貴は呟く。
「お、俺が……俺が独断専行で、お前を無視して動いちまったから……」
「それは違う……僕だって、連中の最終的な狙いがキミだとは気付けなかった。僕のミスだ」
「違う!俺の、俺のせいだ!!済まない、済まない高木ぃっ!!」
 涙ながらに叫ぶ大貴に、伸一は遠のきつつある意識を何とか保ち、必死に言葉を紡ぐ。
 彼の負担を軽くしようと。彼に―――自分の事で哀しんで欲しくはない。
 その事によって、彼の力を削ぐような事があってはならない。
「謝るな……」
 必死に表情を。笑い顔を作る伸一。
「市民を守るのは、警官の義務だぜ……。そのためなら、命だって惜し、く、は、ない、さ……」
 少しずつ。伸一の意識が遠のいていく。
 必死に留めようとしても、力が足りない。もう、体に、力が入らない。
「あぁ……眠い……なんか、さ……疲れちまったな……」
「高木、高木……?待て。待てよ!!眠るな!!行くな!!この街には……この国全体にも、お前を必要としている
 人がいるんだぞ!?刑事局長が言ってたじゃないか!!『変革の種をまき、それを育てるためのバトンを渡し
 ていけ』と!!これは誰でもない、お前に言ったコトなんだぞ!?それに……高宮のヤツはどうするんだ?あい
 つの中にいる新しい命だって、お前を待っているんだ!!『頑張らないと』って言ってたのはお前だろ!」
 必死に伸一を呼びとめる、切迫した大貴の声。
 だが。伸一の体から漏れる力は、それを留める術を既に失っているかのように、流れ出る。
 彼の体を支えている大貴にも、その有り様がしっかりと伝わって来た。
「よせ!!逝くな、高木!!逝かないでくれっ!!」
 ふと。周囲がブラック・アウトする。
 大貴の両手には、伸一の体。
 目の前にスポットライト。その中央に伸一がたたずむ。
 彼の体は大貴がしっかりと抱き締めている。と、言う事は目の前の伸一は……。
 伸一は大貴ににっこりと微笑みかけると、小さなエコーがかかる声で言った。
「あとは頼んだよ、アスカ……」
 そして伸一は大貴に背を向け、ゆっくりと遠ざかっていく。
 同時に。大貴の抱えている伸一の体から、ついに体温までも消えていく。
 それは伸一が遠ざかっていくのと同期するように、少しずつ。少しずつ―――。
「待て、たか……」
 高木。そう言おうとした。だが、言えない。
 体中が硬直し、身動きが取れなくなってしまう。
 遠ざかりつつある2人。そのバックには、2人が出会ったロンドン警視庁の取調室から、今までの事が走馬
灯のように浮かんでは消えていく。
「待てよ……待ってくれ……高木……」
 必死に絞り出す声。だが、もはや彼には届かない。
 それでも。大貴は必死の思いで。渾身の力を込めて叫んだ。

「高木いいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっ!!!!!!!!」
 自宅のベッドの上で大声を上げ、ガバッと跳ね起きる大貴。
 我に返り、周囲を見回す。夫婦の寝室。横では妻が眠っている。
「ゆ、夢……。また、この夢か……」
 体中に脂汗がにじんでいる。
 手の甲で流れた汗を拭う。
 大きくため息を吐き、ゆっくりと頭を横に振る。
 すると、横から芽美の声が。
「あなた……」
 図らずも芽美を起こしてしまい、しまったと表情を歪める大貴。
「あ、悪い。起こしちまったな」
 すぐに謝る。芽美は不安そうな顔をして。
「また、あの時の夢?」
 妻の質問に、大貴は何も言わない。
 それは肯定の沈黙。過去に置いて来たはずの親友の死は未だに夫を縛っている。
 芽美もそれが解っている。もはや1度や2度ではないのだ。
 ここ数年、大貴は年に数度、必ずこのような夢を見て、飛び起きている。
 夫を慰めるように、そっと大貴を抱き締める芽美。
 大貴もまた、芽美の肩を抱く。
 今日の夢は、今までよりもなおクリアーに見えた。
 それが大貴自身の不安感を増す。
 いやな予感がした。
 また、聖華市であの悪夢が蘇るような。
 そんな、予感が―――。

 年の瀬も押し迫った12月。
 聖華市海岸沿いに誘置された新設テーマパーク『アロマランド』。
 時は閉園後、深夜。場所はパーク中央に鎮座する『癒しの女神の塔』。
 塔の中は小さな植物園状態になっており、数多くの草木が自然の香りを醸し出している。
 中央に鎮座しているのは、先端の鋭く尖った槍を天に掲げる少女の像。
 そんな塔の先端にたたずむ青年が一人。
 左目に眼帯。闇夜に冴える白衣を着た彼の名は『プロフェッサー』タイム。
 かつて幼き頃に自らの真の名を捨て、それ以降は闇の中に身を投じた少年。
 彼にとって。いや、彼の一族にとって、この場所・聖華市は。
 いまだ決着のついていない闘いの舞台だった。
 塔の上に絶妙なバランスをもって立つプロフェッサーは、微笑を浮かべて一人呟く。
「ついに、ここまで来た……この街に」
 塔の上からは、聖華市がよく見える。
 聖華市から、この塔はどのように見えるだろうか?
 景観保護区から外れた場所にある塔。
 普通に街から海を眺めれば、目立たぬ場所に立っている。
 だが。この塔だけを注視してみれば。
 結構禍禍しく見えてしまう物かもしれない。
 さらに皮肉っぽく。プロフェッサーは口の端を歪める。
「決着をつけようか、アスカ……」
 それは3rdとJr.両方の事を言っているのか。
 それとも、他の誰かの事を指しているのか。
 そんな疑問に構わず、口の中で転がすように、プロフェッサーはなおも呟く。
「運命の闘いを完結させてしまおうじゃないか?代理闘争の幕開けだ」
 喉の奥を転がすように笑うプロフェッサー。
 13年前、コネクションの立案したプランに多少のアレンジを加えて、聖華市を襲った。
 彼にとって、それなりに面白いゲームだった。
 だが、プラン通りには成らなかった。
 聖華市に在する2人の捜査官によって、組織の目的は阻止されてしまった。
「途中でゲーム・オーバーになってしまったが……今度はそうは行かない」
 涼やかに笑うプロフェッサー。
 そして、夜の凍てつく外気をゆっくりと吸い込み、それを一気に吐き出すように叫ぶ。
「Ladies and Gentlemen!我々『ハーブ』の犯罪魔術(クライミナリィ・マジック)の世界にようこそ!!!」
 その口調は、まさしく。
 これから手品を披露するマジシャンのそれと全く同じものだった。
 更なる大音声で、プロフェッサーは声を張り上げる。
 それは―――彼の、彼による、運命への宣戦布告にも聞こえた。
「Now It's Show Time!!」
 両手を大きく広げて笑いながらの大見得。
 プロフェッサーの笑いは、聖華の夜へと不吉に消えて行った。

© Kiyama Syuhei 木山秀平
© 立川 恵/講談社/ABC/電通/TMS
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