Report 10 2004年 / 8年の約束 (中断転章)


 誠は呆然と、誰もいない部屋を見つめていた。
 今は2004年の初め。先日、芽美からついに大貴が戻ってくると話に聞いたばかり。
 いや、正確には。芽美自身から「あたし、アスカJr.と……大貴さんと結婚する」と、聞かされたのだ。
 その時は、ポーカーフェイスで笑い、祝福したが、心の中では嵐が吹き荒れていた。
 長い片想いの一人相撲を、やめねばならないと。そう、ついに思い知った時。
 同居していた少女は、誠を優しく慰めてくれた。
 あの日、偶然に出会った記憶喪失の少女が。
 彼女は誠を元気づけ、今日もまたバイトへと送り出してくれた。
 出る前に「今日は誠さんが元気になってくれる手料理、頑張って作るからね」と。
 そう言ってくれた。だから、がんばった。だが。
 彼が返って来た時、部屋の中には誰もいなかった。
 呆然と、誠は、暗く寒い部屋の中でたたずんでいた。

 少し時間を戻してみよう。
 真珠は誠の部屋で、掃除をしていた。
 掃除機をかけ終わり、スイッチを切る。
「やれやれ……やっと終わった。誠さんったら、マジックの仕掛けの後、きちんと片付けないから……」
 しょうがないなぁ、と笑いながら、プラグのコンセントを抜く。その時。
 コンセントの金具部分が指に触れ、ぴっ!と言う痺れを伴う痛みが真珠を襲った。
「痛っ……!!」
 慌てて手を引っ込める真珠。その際にバランスを崩し、後ろに転ぶ。
「きゃ……!!」
 狭い室内の中央に置いてあるちゃぶ台に、頭をぶつけてしまう。
 ごちん!!と言う、派手な音が響いた。
 そのまま、真珠は気絶してしまう。
 数分後、気がついた時―――。
 むくりと起き上がった真珠は、見慣れぬ部屋に一人たたずんでいた。
「……な、何!?何やってたの、あたし!?」
 いまいちよく思い出せない。たしか、高木伸一の手によって、とんでもない電気ショックを与えられた事ま
では思い出せるが、それ以降がさっぱり思い出せない。
 自分の格好を見下ろす。可愛いトレーナーに白いふりふりエプロン。普段の自分なら、絶対にしない格好。
「な……何なのよ、これっ!!」
 叫ぶと、アパートの外に出る。
「とにかく、ママと連絡を取らなくちゃ……」
 そのまま道を走る真珠。
 彼女がこの部屋に帰ってくる事は、二度となかった―――。

「そっか……思い出したのか、全部……」
 ぽつりと呟く。誰もいない部屋で考え続け、ようやくその可能性に思い至った。
 絵梨佳に時々、言われていた。
「好きにならない方がいいよ。彼女が全て思い出した時、きっと君の事やここでの生活は全て忘れるから」
 と。言われた時は、本気にしていなかったが、その最悪のケースが今、この時、起こってしまったのだ。
 タンスをそっと開け、奥にある服を取り出す。
 それは空から真珠が降って来た時に彼女が着ていた服。
 誠は、それをきゅっと抱き締める。
「長く、僕たち、居すぎたんだな……。もう、僕には……何も……残ってない……」
 芽美がマジシャンとして全国ツアーを行うようになり。
 誠自身も腕が上がって来たため、独立話が出ている。
 羽丘一門のツートップと言われるように、双方の腕は互いに並び称されるほどになっていた。
 もはや、師匠・羽丘源一郎に劣らぬとも言われる彼らの実力は、揺らぎようが無い。
 これ以上、誠が源一郎や芽美の元に留まる必要性は―――無い。
 飛鳥大貴が聖華市に返ってきて、誠はもはや、芽美のそばに居る事は、絶対にできない。
 彼女の側に、自分が常駐できる役割が無いのだ。
 そこまで追いつめられて、誠は、自分に役割を与えてくれる少女の事に気付いた。
 その矢先に、少女は誠からすり抜けていってしまった。
 誠は、手にしている真珠の服に涙する。
「僕には、もう、何も……残ってない……ないよ……助けて、真珠……」
 その言葉は、少女には届かない。周囲の空間に溶け込み、消えるだけ。
 暗く寒い部屋に、誠の嗚咽だけが悲しく響いていた。

 2003年、クリスマス。
 飛鳥大貴はロンドンの下宿で頭を抱えていた。
 そこへ、毎度の如く、シャンパン片手に伸一が入ってくる。
「じんぐるべ〜る、じんぐるべ〜るっとぉっ!!やぁ、飛鳥っ!!不景気だなぁ!!今日はクリスマス休暇だよ!?い
 つもだったらサンタがヤードに事件の山を靴下釣り下げなくてもぶち込んでくれるけど、今年は珍しく、休
 暇だよ!!さすがに日本には帰れないけど、この休日を楽しもうじゃないか!!」
 明るく叫ぶ伸一だが、大貴は相変わらず暗い。
 伸一はテーブルにシャンパンを置いて、頭を抱える大貴の肩を揺すり、尋ねる。
「どーしたんだよ……」
 少し心配そうな口調。そんな伸一に、顔を上げる大貴。滂沱の涙を流して。
「高木いぃ〜〜〜〜〜」
 伸一の両腕をしっかりと掴み、叫ぶ。そして、言葉を続ける。
「芽美が……芽美が、別れようって……俺、あいつに資料を送ってくれって頼んだんだ。そうしたら、あいつ
 最初は快く引き受けてくれたんだけど……今朝電話したら……そう……」
 語尾も弱々しく、大貴はふらりと立ち上がり、呟く。
「死のう。あいつを哀しませちまった。俺にはもう生きてる資格が……」
 冗談ではない。その証拠に、表情が非常にアブない。伸一が来る前に、かなり自分を追いつめたようだ。
 思い込んだら一本気の大貴である。このままでは、本当に下宿の屋上から身を投げかねない。
 伸一は慌てて大貴の腕を引っつかみ、叫ぶ。
「のおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!待て!待て!!待て、飛鳥ああぁっ!!!」
「離してくれ、高木……俺は死ぬ。死んで芽美にお詫びをしなけりゃならねぇ……」
「だから待てっつーのぉっ!!」
 伸一は必死に大貴の前に回り込んで彼の両肩を掴み、虚ろな目をしっかりと見て絶叫する。
「死ぬ前に、冷静に考えて!!いつも言ってるだろ!?行動前に考えろとっ!!そろそろ学んでよっ!!」
 学んではいるのだが、自分自身の事に関してはまだまだな大貴。伸一の言葉を呆然と聞く。
「いいかい!!資料送付を引き受ける前まではフツーだったんだろう!?だったら、資料を見るかどうかして、何
 か変わったのかもしれない!急に態度が変わったとするなら、とりあえずその資料が怪しいっつー可能性を
 考えてみよう!!」
「資料……」
 大貴の曇った瞳に、ほんの少し光が灯る。
「そうだよ!!前にそこに置いてた資料と、今度、芽美ちゃんに送ってもらった資料及びその周辺にあった資料
 で、何か変わった事はなかったの!?」
 とにかく、大貴の気を自殺から逸らそうと必死の伸一。
「例えば、芽美ちゃんの知らない間に、追加資料が増えた、とかっ!!」
「ンなコト言ったって、芽美に頼んだ資料のある場所には、後はセイント・テール関係のファイルしか無いん
 だけどよぉ……あ!!」
 そこで大貴の瞳に理知の光が戻ってくる。それに気付き、伸一は叫ぶ。
「あるね!?あるんだね!!芽美ちゃんにショックを受けさせるような資料がっ!!!」
 大貴はぽつりと真剣な顔で呟く。
「確か……前に調べた、怪盗ルシファー関係の資料が……」
 その資料なら、伸一も見た事がある。いくつかの資料集めに伸一自身も協力した。
 芽美の母が怪盗ルシファーで、大貴の父・飛鳥友貴と一時期において互いを意識していたと言う内容。
 その内容を思い出して。伸一はまたもや絶叫する。
「……の、大マヌケぇっ!!最近、君、聖華市に帰ってないだろ!!僕の考えが確かなら、そろそろ彼女の不安が
 最高潮なんじゃないか!?そんな時に、あんなファイルを見たら、誰だって心揺らぐだろーがああぁっっ!!!
 言うよ!!そりゃあ言うよっ!!『別れよう』って、僕でも言うよ!!」
 最後の方は、もはや絶叫と言うのも及ばぬ大怒号だった。大貴は表情を歪め、呟く。
「……っ、不覚!!じゃあ、もしかして……」
 伸一の言葉に、大貴はやっと思い当たる。芽美の言葉が、たぶん自分の将来を考えてのことだと。
 そのくらいは解るくらいに、大貴も成長していると言う事か。
 そんな彼の心中はともかくとして、伸一は脱力し、言う。
「飛鳥。君、帰れ。何はともあれ、すぐ帰れっ!!」
「え?でも、事件があるし、これが終わったら探偵修行も終わりになるから、それが終わってからでも……」
 戸惑う大貴に、伸一。
「やかましいっ!!今の君にそんな余裕があるかっ!!君の担当事件なら、しばらくの間なら僕が処理できる!!君
 の仕事は僕が全部引き受けるし、君のとこの所長にはしっかり話つけておくから、飛鳥!!君は今すぐ聖華に
 帰って芽美ちゃんに謝ってこいっ!!」
 叫んで下宿の外に追い出す。
「二度と自殺なんか考えるな!?ンな事したら、地獄まで追いかけてブッ殺してやる!!」
 かなり矛盾したセリフだが、それだけ伸一の凄まじい怒りと親友に対する思いやりが伺える。
 バタン!!と大貴の目の前で荒々しく閉じられるドア。
 大貴は立ち上がると、ため息をついて。
「やれやれ……でも、まぁ……俺が悪いか……」
 そう。伸一の言う通り、芽美に誤解された自分が悪い。そう考えて、ズボンを払う。そしてまた、呟く。
「高木の言う通り、謝りに行こう……。このままあいつを哀しませたままなんて、嫌だ……」
 そう言うと、大貴はその足を空港に向けるのであった。

 2004年、1月。大貴はまだ、聖華市にいた。
 自宅から長距離電話。相手は伸一。
 伸一は、電話の向こうで叫ぶ。
『なんだって!!結婚!?』
「ああ。いろいろあったけど、俺、芽美にちゃんとけじめをつける意味で、結婚を申し込んだ。高木、お前に
 はいろいろ心配かけたからな。一応、お前だけにはきちんと話しておこうと思って……」
『そうか、ありがとう。これこそ、雨ふって地固まるって奴だね。おめでとう、飛鳥っ!!』
「ははは……ホント、すまねぇ。いろいろと心配かけさせちまって」
 そう。伸一に追い出された後、大貴は律義にも聖華市に戻り、芽美と話をして、結婚しようと言う所まで、
落ち着いたのだ。
「で、事件のコトだけど……」
『あぁ、事件、な。大丈夫だ。今の所は、何とかなってる』
 言う伸一だが、その言葉に混じって、オフィスの凄まじい喧騒が聞こえてくる。
 時折、伸一が受話器を放して「そのファイルは1に!!え?聞き込み?すぐにレポートに回せ!!2回線?逆探を!」
などと指示を飛ばすのも聞こえている。大貴の事件、伸一の受け持ち事件。この全てを、フル稼動で処理して
いるらしい。伸一自身の負担がかなり大きくなっている状況が伺える。
 やはり、もう一度ロンドンに帰って始末をきちんとつけねばならないだろう。
 その後で、帰る手続きをとる。今の大貴は、大学院も卒業し、探偵事務所の養成課程も終え、立派に独立開
業できる腕を持っている。これなら、日本に帰っても何とかなるだろう。
「すまねぇな。芽美の両親にも、ちゃんと挨拶しなきゃならないし……。それが終わったら、そっちに帰れる
 と思う。それで、事件とかの整理をつけて、今年の春には、聖華市に戻ろうと思うんだが……」
『そうかぁ。結婚するんだもんな。それがいい。ちょっと寂しくなるけど……まぁ、気にしないで、互いに頑
 張ってやってこう』
 陽気に返す伸一。大貴も同様の口調で。
「おう。そっちも気をつけてな」
『じゃ、またな。相棒』
「また」
 相手が電話を切り、発信音がなる。息をつき、電話を置く大貴。
「やっぱり、大変か……。いそがなきゃならねーな」
 ぽつりと呟いていた。その時。電話のベルが鳴る。
 慌てて受話器を取る大貴。
「はい、もしもし。飛鳥です」
『もしもし。私、結城と申しますが、大貴さんはいらっしゃいますでしょうか……』

「暇を貰いたい?」
 羽丘家のリビング。いるのは、源一郎と誠だけ。
 芽美と映美は、買物に行っている。
 誠は頭を下げて言う。
「はい。奇術団に帰る話も独立話も出ているのですが、どちらにせよ、お暇を頂きたいと思いまして……」
 源一郎は、彼にしては珍しい厳しい目をして、誠を見据え。されど、のんびりとした口調で。
「それは、また……非常に急だねぇ」
 誠は頭を下げたまま。
「はい。申し訳ございません。師匠には世話になっておきながら、何もご恩を返す事ができず……。でも、こ
 れ以上ここに居れば、私は師匠や芽姐に甘えてしまう事になってしまうと思います。ですから、この際、お
 暇を貰い、自分を見詰め直してみようと」
 その言葉に。源一郎は少しだけ思案するような表情を見せる。そして、誠に尋ねる。
「でも、ウチを出てどうするつもりだい?稼ぎ場所はなかなか見当たらないと思うんだけど……」
 その質問に。誠は答える。
「ドサ回りに出てみようと思います。羽丘奇術団の結城誠ではなく、ただの結城誠として。道端でパフォーマ
 ンスをしたり、場末の酒場でマジックをしたりして……」
 源一郎は少し表情を歪めて言う。個人のドサ回りの厳しさは、かつて自分も味わった道。
 稲城奇術団から離れた時に、自分もやった事なのだ。だから、よく知っているだけに、あえて尋ねる。
「厳しいよ?」
「承知しています」
 ゆっくりと顔を上げる誠。その目には、決意の光が見て取れた。
 源一郎はため息をつき、言う。
「……解りました。君の決意は固いみたいだね。ならば、止めても無駄でしょう」
 と、同時に。リビングの戸棚を開き、ごそごそと引っ掻き回す。
 源一郎が元の位置に戻って来た時、その手には黒い手帳が握られていた。微笑を浮かべ、言う。
「これが、僕の最後の教えと思って欲しい。このトリック・ノートには、僕と芽美と君の成果がある。君にも
 当然受け取るべき権利のある遺産だよ」
 そう言って手帳を差し出す源一郎。それを受け取る誠。その中には、羽丘一門・門外不出のマジックの数々
がつぶさに記されていた。源一郎が定番として来たトリックもあれば、芽美の考え出したトリックもある。そ
の中には、誠が考え出した物もしっかりと記されている。いわばこれは、羽丘一門の基本マジックの虎の巻と
言えるものなのだ。今ある羽丘マジックのほとんどが、このトリック・ノートに記されているマジックの発展
形と言える。
 誠は、中身をぱらぱらと通し見た上で、慌てて叫ぶ。
「師匠、そんな……!!トリックは、マジシャンにとっては最も大事にしなくてはならない金の卵!!例え師匠と
 弟子と言えども、こんな事は……!!」
 そして、突き返そうとするが、その手は源一郎によって押し留められる。
 源一郎はやさしく誠に言った。
「構わないよ。その中身は、君自身の頭の中にあるものだろう。言わば、忘れない様にするための備忘録のよ
 うなものと心得ておいてほしい。僕も芽美も、同じ物を既に持っているからね。それに、これは……君に対
 するお詫びの意味もあるんだ」
「お詫び!?」
「知っていたよ。君が芽美に惹かれていた事は」
 その言葉に。誠の体がビクッ!!と震える。それを見越して、源一郎は続ける。
「実際、僕も芽美が望むなら、それが一番いいと思っていた。芽美もいつまでもコドモじゃあないからねぇ。
 どこの誰とも知れぬ馬の骨に娘をくれてやるくらいなら、愛弟子である君にやるのが一番いいかもしれない
 と。だが、芽美が選んだのは……別の人だったんだろう?酷な事を言うようだけど……君は芽美の心に触れ
 る事はできなかった。そうなんだろう?」
 誠は。震え続ける体を必死に動かし、こくりと一つ頷く。
 源一郎は少し痛々しい表情を浮かべ、誠の肩をぽんと叩いて。
「本当に、済まないね……」
 その言葉を聞いた瞬間。誠の瞳からぽろりと一つ、涙が零れる。
 源一郎は立ち上がり、誠に背中を向けて、サッシから庭を眺めながら。
「もう一つ、酷な事を聞いていいかな?」
「なん……ですか?」
 涙混じりに尋ねる誠。源一郎は背中を向けたまま、言葉を続ける。
「娘の心を射止めたのは……どこの馬の骨だい?」
 その質問に。誠はハンカチを取り出し、涙を拭いながら。答える。
「アスカJr.……飛鳥大貴さんです。師匠」
「飛鳥刑事の息子さん……か。確かに、彼は市長の信頼も厚い秀才……。そうか……」
 誠から、師匠の表情は伺えない。果たして、師匠の心中はいかほどのものなのか―――。
「師匠……」
 誠の呟きと同時に、源一郎は振り向き、言う。
「ありがとう。これで、多少は心の準備ができたよ。だけど、君には、本当に……」
 力無く首を振り、源一郎の言葉を途中で遮るように呟く。
「いえ、いいんです。悪いのは、全て僕です。勝手な思い込みをした僕なんです……」
 誠は立ち上がると、頭を下げて。
「本当に、申し訳ありませんでした。師匠……」
 最後の方は、再び声が涙で震えていた。その手には、手帳がしっかりと握られている。
 誠は顔を上げると、ソファーの横においてあるズダ袋を持ち上げ、その中に手帳を入れ、もう一度頭を下げ
て、外へ出ようと背中を向ける。源一郎はたまらず誠の背中に叫ぶ。
「結城くん!!もしも、帰りたくなったなら、いつでも帰って来て欲しい!!僕も、芽美も、君の……そして、君
 に繋がる人の席を、いつでも空けておくからっ!!それだけは約束するからっ!!」
 誠は小さく頷くと、その叫びを振り切るように外に出た。
 まさしく、その瞬間が。誠が永遠に羽丘一門と袂を分かつ瞬間になろうとは。
 その時は当事者である彼ら自身も、知る由も無かったのだ。

 羽丘家を出てから、誠。携帯電話を取り出して、飛鳥家に電話をかける。
 番号は、以前に芽美から聞き出していた。
 待たずに、相手が出る。
『はい、もしもし。飛鳥です』
「もしもし。私、結城と申しますが、大貴さんはいらっしゃいますでしょうか」
『俺だよ、結城くん。どうしたんだ?』
 明るく気さくな大貴の口調に、少しむかっ腹が立つ誠。
 だが、それをぐっと抑えて。
「いえ。特に大した用と言う訳でもないのですが……今晩、空いてますか?」
 そう尋ねてみる。大貴は相変わらず気さくな声で。
『今晩、か?えっと、挨拶は明日だから……あぁ。今晩は、空いてる。でも、どうしたんだ?』
 挨拶。芽美の両親、師匠夫婦への挨拶だろう。携帯を握る手に、ぎゅっと力が入る。
 誠は、必死に感情を抑えて、言う。
「いえ。少し、折り入って相談したい事がありまして。今夜8時にBAR『裏切り者』でお待ちしています」
 そこで電話を切る誠。
 携帯をポケットにねじ込み、大きく深呼吸する。
 羽丘家のある方向に向き直り、もう一度大きくお辞儀。そして。ぐるりと回れ右をして、小さく呟いた。
「さて……悔いを残さない様に……」

 19:45。BAR『裏切り者』。
 そこのカウンター席で、誠は手帳の切れ端を右手に、カクテルのグラスをじっと見つめていた。
 カクテル名『大地震(アース・クェイト)』。とてつもなくキツい逸品である。
「……呑まないのか?小僧」
 マスターの佐々木が尋ねてくるが、誠はただ無言でカクテルを見続けている。
 しばし沈黙の時間。他に客はいない。
 誠の澄んだ紅瞳がカクテルをじっと映す。そこに浮かぶは一体なんなのか……。
 暗い店内は誠の心中を表しているのだろうか。とてつもなく沈んだ空気が淀んでいる。
 19:50。ドアが開いた。
 入って来たのは、大貴。
 カクテルのグラスに映る大貴の姿を見て、誠はぽつりと呟いた。
「早いですね。まだ……10分ありますよ」
 その言葉に、大貴。誠の後ろに立ったままで。
「俺たちの業界じゃ、行動は10〜15分前が基本だ。本当に大事な事は30分前からその場に待機している」
 と、答える。
 佐々木は大貴を一瞥して。
「なんだ。友貴んトコのガキじゃねぇか。今日は何を呑みに来た?」
 その言葉に大貴。佐々木に。
「いや、呑みに来た訳じゃないんです。俺はこいつに相談事があるって呼ばれて。で、どんなことだい?他の
 人に聞かれちゃあまずい事なら、場所を移してもいいけど……」
 大貴がそこまで言った時。20:00を指した掛け時計の鐘が鳴る。
 誠は手に持っている手帳の切れ端をくしゃり、と握り潰しながら立ち上がる。ぐるりと体を回転させ、勢い
をつけ、右の拳を前に突き出す。
 バキィ……!!と。誠の狙い通りに、派手な音がした。
 誠の拳は、ものの見事に大貴の顔面を捕らえていた。
 大貴の体が吹き飛び、後ろにあるボックス席に投げ込まれる。ガラガッシャン!!と、またもや激しい音。
 机の上のメニューや灰皿を、誠の拳の勢いに任せて、大貴の体がなぎ倒したせいだった。
 大貴は身を起こし、叫ぶ。
「な……何しやがるっ!!」
 そんな大貴に。誠はニヤリと笑って、言った。
「最低の男になりに来たんですよ。嫉妬心から、恋した人の彼氏を殴る、情けない横恋慕ヤローになりに来た
 んです。芽姐に軽蔑される男になりに来たんですよ」
「何!?」
 目を見張る大貴。そんな彼に関わらず、誠はあっさりと言い放つ。
「覚悟しといて下さい。殺すつもりでやらせてもらいます」
「結城、お前っ……!!」
 叫ぶ大貴だが、その間にも誠の拳が迫ろうとする。大貴は慌てて、横に転がり、ソファの上に。
 テーブルを殴る誠。と、同時に、左手が大貴に迫る。
 慌ててかわそうとするが、本来大貴は世紀末的運動神経と言われるほどの人間。かわしきれずに捕まってし
まう。
 誠はそのまま大貴の胸倉を掴むと、持ち上げてネック・ハンキング・ツリーの体制に。そして、BARの壁に
大貴を押し付けて、叫ぶ。
「なんで、あんたなんだ!!」
 誠の腕に力が入る。大貴の息が詰まる。
「うぐ……!!」
 窒息で赤くなる大貴の顔。それにもかかわらず、誠は叫ぶ。
「なんで、あんたなんだよ!!なんで、俺じゃないんだ!!あんたが芽姐にどれだけ苦労させてると思ってんだ!!
 あんたのせいで、芽姐がどれだけ泣いたと思ってんだ!!あんたは芽姐に優しくしてない!!絶対、してない!!
 なのに、なんで、芽姐はあんたを選ぶんだよ!!仕事仕事で、全く帰ってこない、芽姐を全くいたわってない
 あんたを!!俺の方がよっぽど、本気で芽姐のコト、考えてんのに!!芽姐が泣くたびに、俺がどれだけ辛さと
 無力を味わったか!!あんたに解るのか!?どうなんだよ!!」
 最後の方は、涙声になっていた。なおも続く誠の言葉。言葉だけでは足りず、叫ぶたびに誠は大貴を殴りつ
ける。今までの鬱憤を晴らすように。
「ほんのちょっと、あんたの方が先に出会ったくらいで、なんで芽姐はっ……!!」
 そこまで言って。誠の動きが止まる。大貴の顔は青白くなりかけていた。
 だが、大貴はまだ落ちてはいなかった。膝を突き出し、誠の鳩尾に食らわせる。
「ぐぇっ……!!」
 思わず、大貴から手を離す誠。
 今度は大貴が誠に掴み掛かり、叫ぶ。
「ふざけるな!!お前に、俺たちの何が解るっ!!俺たちは、これまで必死の思いで互いの道を尊重しながら、そ
 れぞれに一緒に歩める道を探して来たんだ!!出会ってから、俺はあいつを必死で追いかけて来たんだ!!その
 想いが、お前に解るのか!!俺たちを、ただ見ていただけのお前に、わかんのかよっ!!」
 思いの丈の絶叫。そんな言葉が、ぴったりの大貴の言葉。
 大貴はなおもそれを続ける。
「俺は、あいつの手を絶対に離さない!!俺は、あいつの側にいてやりたい!!あいつは普通の女で、俺だって普
 通の男なんだ!!だから、俺にはあいつが必要だ!!俺には芽美が必要なんだ!!そして、芽美は俺を選んでくれ
 た!!俺はあいつのそばにいたいから追い続けて、やっとあいつが俺のそばにいてくれてるんだ!!そのために
 どれだけの事があったか、お前には絶対に解らない!!俺には、芽美が必要だ!!だから、俺は、芽美を絶対に
 幸せにするんだっ!!」
 そう。今回の騒動で、大貴は自分にとって最も大事な人を。そして、守るべき人を見出す事ができたのだ。
 大貴はその想いのこもった拳を振り上げて、一気に誠へと繰り出す。それは、誠の顔を確かに捕らえた。
「お前の拳なんか、痛くねぇ……。俺にとっちゃ、お前の拳より、芽美を失う方がよっぽど痛ぇんだよ!!」
 もう一度、そう叫びながらの大貴の拳が誠を捕らえる。カウンターの下に叩きつけられる誠の体。
 失神してもおかしくないほどの熱い拳。だが、誠はゆらりと立ち上がる。
「だったら……」
 最初は小さく。誠は、呟き、そして。
「だったら、仕事ばっかやってないで、マトモに芽姐を支えてやれよおおおぉぉぉぉぉぉっっっ!!!」
 再び、誠の拳が大貴に迫る。大貴はそれに応えるように、絶叫した。
「そのために、俺は仕事をして来たんだ!!芽美を守るために!!芽美を失わないために!!俺があいつの代わりに
 なれるように、頑張って来たんだ!!お前に、そんな事を言われる筋合いはねぇっ!!」
 そして―――。
 バキィッ……と言う、大きな音。
 双方の拳は、互いの顎に。
 伝説の、クロスカウンターと言う奴だ。
 双方、仰向けに倒れる2人。そんな彼らに、佐々木。
「お前ら、人の店で暴れるな!!」
 叫ぶが。それが彼らの耳に届いたか。
 先に立ち上がったのは、誠。ようやく顔を上げた大貴に、マウント・ポジションを仕掛ける。
 仰向けになった大貴の上へ、馬乗りになる体制。そして、誠は、幾度も大貴の顔を殴りつける。
 バキッ、バキィッ……と言う、鋭い音が店内にこだまする。
「解りたくない!!解るもんか!!あんたの言い訳なんか……!!なんで、なんで……っ!!」
 涙を流しながら、幾度も大貴を殴る誠。大貴もただ殴られるだけじゃなく、応戦しようとするが、この体制
では力も入り辛く、抵抗もままならない。
 いくら大貴が頑丈だとはいえ、このまま放っておけば、間違いなく死んでしまうかもしれない。
 誠が言った「殺すつもりで」と言うのは、本気だった。それを察知して佐々木。カウンターから出て誠の腕
を掴む。
「いいかげんにしろ、結城誠!!」
 誠の拳が止まる。ふと、誠の瞳が、大貴の瞳に合わさる。
 あれだけ殴られ、顔が歪みながら。大貴の瞳の光は衰えていなかった。
 いや。衰えるどころか、なおもまだ、強く輝いている。
 その光に。誠は、心のどこかを射抜かれたような気がした。
 それにかぶさるように、大貴の言葉が響く。
「お前に解ってもらおうなんて、思っちゃいねぇよ……。だがな。芽美は。芽美だけはそれを知ってるんだ。
 俺には、それで、十分だ……。お前が何をしようと、想いだけは断ち切らせねぇ……。俺は、芽美を……」
 大貴の言葉は止まったが、強き瞳の光は未だ失せてはいない。気絶していると解るが、それでも、なお、そ
の探偵としての。そして、愛おしい人を守ろうとする、一本気な青年の心の覇気は、途絶えてはいなかった。
 佐々木に抑えられていた、誠の腕から。力が抜ける。
 誠は涙の枯れた瞳から、なおも痛む心を絞り出すように。
 いや、痛む心が出したモノは、誠の体から力を奪う。大貴によって、誠の心にとどめを刺されてしまった。
 佐々木はぽつりと言う。
「お前の負けだ。誠」
 誠の腕を引っ張り上げ、カウンターの、もといた席に座らせる。
 そこには、相変わらず。カクテル『大地震』が鎮座している。
 誠は。それをぐいっと一気に呑み干した。
 焼ける喉。痛む心に焼き鏝を押したような、永遠の敗北の烙印。
 その後ろで。佐々木が大貴を介抱する。
 誠は。もはや枯れ果てたはずの涙をなおも流し。ぽつりと呟く。
「負けた……僕の、負けだ……始めから、絶対に勝てないと、解っていたんだ……僕は、負けたんだ……きっ
 と、一生かけても……絶対に、勝てないんだ……」
 流れた涙は、赤かった。血の涙だった。
 その時。BARのドアが再び開く。
「こんちは……って、何!?コレ!!どうしたのっ!!」
 入って来たのは、リナ。誠はそれに気付き、立ち上がって脱兎の如く『裏切り者』を飛び出す。
「あっ!!ちょっと、アンタ!!待ちなさいっ!!」
 叫んで追おうとしたリナ。だが、その動きを制止する声が飛ぶ。
「待ってくれ、高宮っ!!あいつを追わないでやってくれ!!」
 それは。意識を回復した、大貴が発したものだった。
 振り向くリナ。疑問の声を上げる。
「どうしてよ、アスカ!!あんた、ひどい怪我してるじゃない!!アイツにやられたんでしょ!?なのに……」
 だが、大貴は誠の拳で腫れた瞼ながらも、真剣な瞳で。
「頼む、高宮……これは、非常に個人的なコトなんだ……大したコトじゃあないんだ。これは、ちょっとそこ
 で転んだだけの事なんだよ」
「転んだだけ、って……!!どう見てもその傷は、殴られてできたものじゃない!!」
 信じられない。そう、表情に浮かべるが、大貴は。
「お願いだ。この事は、誰にも言わないでくれ。きっと、皆が。特に芽美が苦しむ事になる。だから……」
 芽美を心配させたくない。苦しめたくない。そんな必死の懇願に、リナ。ため息をついて、こくりと頷く。
「解ったわ。あたしは何も、見なかった。その怪我は、ただそこの路地で転んだだけ。それで、いいのね」
「済まない、高宮……佐々木さんも……」
 佐々木もまた、解っているというように頷く。痛む体で頭を下げる大貴。小さくぽつりと呟いた。
「あいつが俺だったら……。その思いは、きっと、痛いほどよく解るから……」
 結局、この夜の一件は。佐々木とリナ。そして、大貴。三者の心の奥深くに固く固く封印されたのである。
 彼ら以外の、誰にも知られる事の無いままに。

 翌日。ニューヨーク行きの初便。その乗客名簿に「マコト ユウキ」の名前があった。
 目撃者の話によると『怪盗ラヴェンダー・ニューヨークにあらわる』と言う記事の載った英字新聞を片手に
していたと言う。
 そして、それが。羽丘一門のツートップとして、芽美と共に将来を嘱望された天才マジシャン、結城誠が日
本に。そして、日の当たる、表の世界に残した、最期の足跡となったのである。

 同時刻。伸一は、警察庁刑事局からの通話を受けていた。
「……本当ですか?それは」
 その言葉に応えるのは、警察庁刑事局局長補佐、大沢令。
『本当だ。数ヶ月後に、辞令が出る事になっている。同時に、研修は修了だ。英国警察には、既に話をつけて
 ある。その頃には、私も刑事局長になっているだろう。これからも、頑張ってくれたまえ』
「解りました。ありがとうございます」
 そこで電話が切られた。伸一は受話器を置き、ゆっくりとため息をつく。
「そうか……ついに……」
 ついに、何か。それは、まだ伸一の心の中に秘められたままだった。

 4月15日。大貴は全ての事件を追え、英国から聖華市へと足を向けていた。
 もう、再び英国に戻る事は無い。もう少ししたら、芽美との結婚が待っている。
 そっと、飛び立ったばかりの飛行機の窓から、外を見る。
 頭の中で。英国での暮らしが、ぐるぐるとよぎっていく。
 一番思い出すのは。やはり、相棒としてやって来た伸一の事だろうか。
 だが、その肝心の相棒は、見送りにさえ来なかった。
「高木の奴……」
 ぽつりと呟く。すると、隣の席でアイマスクをしていた青年がむくりと起き上がり、マスクを取って言う。
「僕がどうしたって?」
 響いた言葉に振り向き、絶句する飛鳥。
「なっ!?な……な……」
 何かを言いたいが、うまく言葉にならない。伸一はいつもの微笑を浮かべて、大貴に。
「はい、落ち着いて落ち着いて。大きく息を吸って〜〜吐いて。落ち着いて」
 伸一の指示に従い、深呼吸をする大貴。落ち着いて、言葉を出す。
「何でお前がここにいる!?」
 その疑問に。伸一はにっこりと笑って、大貴に一枚の紙を示す。
 差し出された紙を引ったくり、目を皿の様にして。中の文面を何度も読み下す。
 その内容を。伸一は、ゆっくりと声に出した。

『辞令 警察庁刑事局・高木伸一。
    上記の者、2004年4月20日を以って、管理官として聖華市警察・特別捜査課への出向を命ずる』

「聖華市で、初めて発足する特別捜査課を指揮する事になったって事だよ。なんでも聖華市の森中市長が、僕
 の警視庁とヤードでの実績をかってくれての事らしい。実はメンバーも既に選抜済みなんだ。彼らに対する
 辞令は、もっと後に出るんだけどね。これからが楽しみだよ。聖華市には、腕っ節暴走少女はいても先走り
 警部はいないだろうし。僕はね……正直、彼女にすっごく期待してるんだ」
 にこやかに言う伸一。辞令を持つ大貴の手がぷるぷると震えている。
 そんな彼に構わず、伸一は続ける。
「ま、803号事件の余波のせいで、出世や昇格はできなくなっちゃったけど。こういうのも悪くないと思う」
 そう。結局、伸一への被害を完全に拭い去る事はできなかったのだ。それを知ったのは、つい最近の事。
 もはや伸一は、中央に嫌われて、これ以上の出世は望めなくなってしまっている。
 令はそれを見越して、伸一を聖華市へと遣ったのだ。さらに『出向』だから、所属は未だ中央にある。
 聖華にいながら。中央の一員としても動ける、遊撃的ポジションを、令は伸一に課したのだ。
 大貴は伸一の言葉を聞きながら、座席に深く腰を下ろして、呟く。
「そんなのありか……ったく、とんでもねー腐れ縁だぜ……」
 言葉とは裏腹に。その表情には、嬉しそうな笑みが浮かんでいた。

 数ヶ月後。大貴と芽美の結婚式。
 伸一は、礼拝堂の入り口で、2人が出て来るのを待つ。ライス・シャワーを浴びせるためだ。
 その横には、自分と同じように、新郎新婦を待っている女性の姿。リナだ。
 先日、特捜への辞令を貰ったばかり。そんなリナに、伸一、尋ねる。
「まだかな、新郎新婦は」
 リナはあきれた様に。
「まだよ。来賓、みんな外に出てないじゃない」
 そうした会話の中。横から声が飛ぶ。
「嘘ぉっ!!高宮さんが男の子と親しそうに話してるっ!!」
「うわ、マジっ!?ねぇねぇ、誰なのよ、そいつ!!」
 涼子と恭子。Noiseな2人。伸一とリナにずずいっ!!と近寄ってくる。
「だ、誰が男の子……っ!!」
 伸一が叫ぶが、その横にいるリナが肘で小突き、小声で。
「高木!!反論のポイントが違うわよ!!」
 と、囁く。そして、リナ。伸一を押しのけ、2人の前に出ると。
「あのね。こいつは高木伸一警視って言って。今度のあたしの上司なの。アスカJr.の留学時代からの友人で
 もあるわ」
「え〜〜っ!!上司!?職場恋愛なの!?」
「すっご〜い!!」
 なおも黄色い声で叫ぶ2人。そんな彼女たちの後ろから、カメラのフラッシュと共にあの男が。
「何ぃっ!?高宮さんに恋人ぉっ!?スクープさせてくれぇっ!!!」
 そう。スクープに燃える新人記者、佐渡真人。その神経逆撫での言葉に、カチンと来るリナ。
「いいかげんに……」
 ひゅう……っ、と言う呼吸の音が聞こえ、リナの拳が佐渡に繰り出される。
「しろ〜〜〜〜っ!!」
 ドカン!!とでも言うような音。吹っ飛ばされる佐渡。それと同時に、Dan!Dan!!Dan!!!と言う銃声がリナの
後ろから響き、佐渡の体に、ビシ!ビシ!!ビシ!!!と言う、何かがぶつかる派手な音。
 振り向くリナ。そこには「まだかな、まだかな?」と、そっぽを向き、すました顔で新郎新婦を待つ伸一の
姿。そのわざとらしさに、リナ。そっと伸一の側に寄って、鼻をひくつかせる。
「……硝煙の香り?」
「ただのショック弾だよ。非致死非傷害性の、害の無いシロモノだから、大丈夫さ。この間、科捜研の友人か
 ら、試作品を譲り受けてね。弾頭は昇華揮発性の結晶で、発射と同時に空気との摩擦で消えてしまうんだ。
 そして、衝撃波だけが容疑者に届くって寸法になってるらしい。もっとも、威力が弱いために、もう少し改
 良が必要だとか言ってたから、採用はもう少し先の事になるんだろうけどね」
 伸一の、誰にも聞こえない様に言った小さな呟き。科捜研の友人。それが深月恭一と言う名だという事を。
科捜研随一の、マッド・サイエンティストだと言う事を、リナはまだ知らない。
 一方で佐渡は、吹っ飛ばされた礼拝堂の芝生の上で気絶し、目を回していた。
 そんな佐渡を後ろ目に見て、Noiseな2人。
「ねぇ……このことについて追求するのって、よした方がいいかな……」
「うん。残念だけど、あたしたちも命は惜しいから……」
 と、互いに呟き会う。
 そのうち。わぁっと言う喚声。大貴と芽美が。新郎新婦が出て来たのだ。
 にこにこと幸せそうな笑みを振り撒く新婦。緊張に、少し動作や顔が固くなっている大貴。
 2人にライス・シャワーを浴びせる伸一たち。
 やがて、芽美が手に持っているブーケを投げる。
 きゃあっ!!と、女性たちの黄色い喚声が響いた。
 ドドド……と、周囲の人々が動く。
「うわ!!」
 押されてしまう伸一。ドン!!と、リナに当たる。
「た、高宮くん……」
 顔を上げる。そこには、すぐ近くにリナの顔。
「高木……」
 図らずも。互いに見詰め合ったようになってしまう2人。そんな2人の間に、ぱさっ、と。何かが落ちた。
 芽美が投げた、ブーケ。
 おもわず伸一とリナ、2人とも同時に手を出して、そのブーケを持ってしまう。
『えぇっ!?』
 Noiseな2人が大声のハモりで、叫ぶ。
『そんなぁ!!あたしが取りたかったのにぃ!!』
 花嫁の投げるブーケを取った女性が次に結婚できる。そんな言い伝えがあるためだ。
 伸一とリナは、互いにブーケをその手にしたまま、じっと見詰め合っている。
 なんとなく―――互いの顔に朱が注しているようなように見受けられた。

  ☆ ―――― ☆ ―――― ☆ ―――― ☆ ―――― ☆ ―――― ☆ ―――― ☆

 20XX年。聖華警察捜査2課長、高宮リナ警視は、岡山市の某所にある、高木家の墓に参っていた。
 殉職した夫の、一族の出自が岡山であるため、彼の墓もここにあるのだ。
(そう……あの時、ちょっと気恥ずかしくて。ブーケを2人で取っちゃったんだもの。あの時はまだ、互いに
 ちょっとだけ意識していただけで……。あの時はあたしたち、まだ『友達』だったんだもんね……)
 墓の前にしゃがみ込みながら拝んでいるリナの横で、もう一人。
 今年、中学3年生になる息子の理も、墓に手を合わせている。
 警官は危険が多い仕事のため、あえて、息子を夫方の親戚に預け、離れて暮らしているリナ。
 機会があれば必ず、理の元に行き、このように墓に参っている。
(伸一……理も、大きくなったわ。あたしも、頑張ってるから……)
 心の中で、呟く。
(だから、安心しててよね)
 そして、立ち上がるリナ。
 理に言う。
「お父さんへの報告は済んだ?」
 その質問に。彼女の息子は、にっこりと笑う。
 外形はリナによく似ているが、その笑い方や仕草は、父を彷彿とさせるものがある理。
 その彼の笑いが、伸一にかぶり。少しじんとしたものが込み上げてくる。
 息子はそんな母の心中も知らず、笑みを浮かべて言った。
「うん。頑張ってるって、言ったよ」
 理は、父の顔を知らない。理が生まれた頃に、伸一は聖華市を巻き込んだ大事件で、逝ってしまった。
 友人を守るために。そして、聖華市を守るために。
 それは、愛する人たちがいる。リナたちがいる街を守るために。
 理は片親がいなくてもまっすぐに育っている。当然、理の事を預かっている、親戚が立派な人たちだと言う
事もあるだろう。
 だが、リナは、理の側に常に伸一がいて、見守ってくれているような、そんな気もしているのだ。
 空を見上げるリナ。
 日本でも雨の降る日が少ないと言われている『晴れの国』の空は、彼女の息子を見守りながら、今日も清々
しく、青く輝いていた―――

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© Kiyama Syuhei 木山秀平
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