Report 1 1996年・警視庁特別捜査課
20XX年。東京、霞ヶ関、警視庁裏。
国家公安委員会(警察庁)本部。
その地下に―――幾十ものチェックに守られた、誰も立ち入らない一画がある。
分厚い扉によって隔絶された、その階のフロアを丸々使用した部屋。
公に残される建設図には、その部屋の存在は全く記されていない。
そして、通常の神経を持つ人間なら、間違ってもその部屋に入ろうとは考えない。
そこに入れるのは、ごく一部の選ばれた人間。
それ以外の人間がここに入る事は、絶対にできない。
守るものもまた、そこに何があるかは全く知らされていない。
そんな部屋の扉の前に。刑事局長・大沢令は立っていた。
自らのIDカードを扉のカードスロットに差し込み、階級章と指紋と網膜パターンをカードスロットにあるコ
ンピューターに読ませる。だが、まだ足りない。
ドア横のテンキーに暗証番号を打ち込み「認証」と声を出してテンキーのコンピューターに声紋を読み込ま
せ、扉のノブ下の鍵穴に自分だけが持つ複製不可能の電子ウォードキーを挿し込み、回す。
そこではじめて。扉が開く。
部屋の中に足を踏み入れる令。
その途端、ドアが手も振れずにバタンと閉じ、ガチャガチャと再び鍵がかかっていく。出る時はまた、同様
の審査を受けねばならない。
一瞬、部屋の中が暗くなる。
一気に下から突風が吹き上がり、数多くのレーザーが令の体をなぞっていく。
それは、部屋に入るための殺菌と身体特徴及びDNA鑑定。
光は令の体を隅々まで。それこそ遺伝子の細部に渡るまで調べていく。
やがて光がやみ、再び周囲が闇となる。
次の瞬間。
部屋全体がグリーンに淡く光り、令の前にドアを示す。
令は先程のものとは別のウォード鍵を取り出してドアの鍵穴に差し込む。
カチリと言う音とともにドアが開く。
中に入る令。多少の肌寒さを感じる。
その部屋の中には、とてつもない大きさのスーパーコンピューターが。
世に散らばるSEPたちに情報を流すための中枢だ。
だが、今回の目当てはこれではなく。そのまだ奥。
そこには、とてつもない分量の紙ファイルやフロッピーが保存されている。
この時代、完璧にデジタル制御されている官公庁における、厳重に保管された紙ファイル。
それは―――コンピューターに入れる事さえできないブラック・ファクト・ファイル。
現実において厳然たるものとしてありながら、各種事情により、存在しないものとして扱われる事実の推移
結果を収めたファイル。
以前、雅貴によって焼かれたS-File群フロッピーもここから持ち出されたものだ。
これらのファイルは。事情を知る者にはこう呼ばれている。
Takagi File と。
このファイルとそれを納められている部屋は、かつて『警察庁最期の切り札(ジョーカー)』と呼ばれた少年
が創り上げたものだ。
彼の名は高木伸一。かつて『政界のドン』と呼ばれた、とある有名政治家を伯父に持つ超天才児。
僅か11歳でハーバード大学を卒業。犯罪心理学を修めた、帰国子女。
特例で受けた、国家公務員試験第1種試験を若干13歳でトップ合格。
同様に特例で、専門研修所・所轄での研修を経て、警部補として警視庁へ入庁。捜査1課2係に配属。
その後、その優秀さを発揮。俗に『ケイゾク』と呼ばれる、迷宮入り難事件を次々と解決。その才能を見せ
つける。
異例の短期間で警部昇進試験を合格し、FBI及びCIAへ2年の研修。
研修期間中、米国・日本にまたがる、とある組織が絡んだ国際的凶悪事件を解決。
その功績による選考で、警視へと昇進。警察庁刑事局・捜査第1課へ転属。ただし、研修は継続。
1996年。とある事件の捜査のため、研修を修了し、日本へと帰国。警視庁特別捜査課へ管理官兼任の課長と
言う、警察内でもとてつもなく特別な地位を得て出向。
そこから先は――――。
今回は、アスカ3rdではなく。後にSEPを創り上げた、そんな彼の。
あの、高木伸一の話をしよう。
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『当機はまもなく、新東京国際空港に到着いたします……』
1996年5月のゴールデンウィーク某日。
国際線のアナウンス。アイマスクをし、毛布にくるまっていた彼はもそもそと動き出す。
毛布からひょこっと顔を出したのは、まだ17歳の幼さが残る少年だ。
だが、彼が。日本警察の誇る最強の捜査官と。
米国研修中にFBIやCIAの各長官も舌を巻く程の活躍を見せた天才児だと、誰が気付くだろうか。
多少不機嫌だが、それでも消えぬあどけない顔。
どちらかと言えば『かわいい』と形容されるような顔だ。
そして、それにお似合いな168cmの小柄な体。
彼こそ高木伸一。
特例(と言うか、親戚の政治力)で警視庁に入庁し、その後は実力をもって若干16歳で警視まで上り詰めた、
『警察庁最強最悪のジョーカー』と、庁内で畏怖と揶揄を同時に込めた響きで呼ばれる少年である。
帰って来る。
警視庁内では、その噂で持ちきりだった。
婦警たちは色めき立ち、彼を直に知る警官は、尊敬の面持ちで。
だが、大抵の警官は『厄介者が戻ってきやがった』と言う気分をあらわに。
反応は三者三様であったが―――彼らは彼を待っていた。
その中でも一番落ち着かない部所があった。
警視庁捜査課群の中の一つ『特別捜査課』。捜査全4課のどれにも属さぬ、遊撃編成班。
最強のトップ・エリートたちを揃え、また、その少数精鋭の方針より、人数が少ないために、警視庁内では
正式名称の『特別捜査課』ではなく『特捜班』『特別捜査班』と呼ばれる事が多い部所だ。
その中でペンを握りながらファイルの山を前に頭を抱える一人の女性。デスクには『警部』の文字。
彼女の名は、北村楓。特別捜査課の課長が不在の間、この課を預かる『課長代理』。
警察学校(警察大学)をトップクラスで卒業の後、捜査3課1係にて数多く活躍をし、警部へと上り詰めた、警
視庁始まって以来、不世出のエリートである。
そんな楓の目の前を、21歳ほどの精悍な顔をした若い刑事が通り過ぎる。
捜査1課2係より転属された、狩野祐二巡査。
彼は能天気に笑いかけて言う。
「どーしたんですか?警部。浮かない顔ですねぇ」
楓はため息をつきながら。
「別に……」
とクールに言い放つ。祐二はニヤリと笑い。
「この間、意気込んで聖華市に行ったのに、怪盗を捕まえられなくて、しかもセイント・テールに仕掛けをま
んまと見破られ、それを逆手に取られ、聖華市長まで怒らせて、捜査を停止させられた……。それが屈辱な
んですね」
楓の握るペンがボキリと折れる。どうやら、祐二が言った一件。彼女にとってはかなりキてたらしい。
ぎろりと祐二を睨む楓。はっきり言って恐い。
「私は悪くないわ。ただ、聖華市にいたトーシロがつまらない邪魔をしただけよ」
だが、祐二は楓の苛烈な視線を、柳のように受け流して。
「……でも、課長のセイント・テールに対する指令は『今はただ情報を収集せよ』だけでしたよね」
その言葉に楓はバン!!と机を叩き叫ぶ。
「そんな悠長な事を言って、逃したらどうすんのよ!!奴を逮捕できるのは今しかないのよ??しかも、現行犯で
ね!!あんな奴の言う事に従ってたら、セイント・テールなんてすぐに逃げるわ!!あんたたち『ケイゾク』の
人間には解らないでしょうけどね!!怪盗ってのは一刻、一瞬が勝負なのよ!!」
「しかし、手柄を焦って先走るのはどうかと思うよ?楓クン」
祐二のものよりも、多少甲高い声。だが、楓はそれに気付かずに叫ぶ。
「ふん!!逮捕なんざ早い者勝ちよ!!」
「それに、君は事件をゲームとして考えている節がある。何度も言ったはずだ。事件はゲームじゃない。そこ
には、あらゆる人間の苦悩、嘆き、悲しみが混在している。それをゲームと思うのは、馬鹿のする事だと」
「なによ、狩野。経験不足のガキ警視の言葉なんか真似て」
「……悪かったね。経験不足のガキで」
その言葉に。楓の動作が止まる。
声の方向に振り向く楓。そこには祐二ともう一人。
特例にて警察庁刑事局より出向して来た、特別捜査課長、高木伸一警視。
高木警視はにっこりと笑うと、言う。
「キャリアな経験不足のガキでも、一応君より階級は上で、上司なんだけどね」
警察とは『階級』で成り立っている、特殊な官僚組織だ。
そして、階級制度を成り立たせている『形式』は2つ存在する。
一つは飛鳥刑事たちのような通常に警察学校を卒業したヒラの警察官が在する、巡査から始まる通常の階級
制度。
もう1つは、大学を卒業し、第1種国家公務員試験を受け、合格した『幹部候補生』が昇る、いわゆる『キャ
リア組』と呼ばれている者が在する、警部補から始まる階級。
ちなみに、警察の階級は下から巡査・巡査長・巡査部長・警部補・警部・警視・警視正・警視長・警視監・
警視総監の順となっている。トドメに言えば、伸一の持つ『警視』とは、小さい警察署なら署長を任される程
の階級。ノン・キャリア(キャリア組でない警察官)だと40歳程度まで無失点・最優秀でなければなければ、な
れない階級だ。
しかも。警察にはさらにもう1つピラミッドが存在する。
警察捜査事務の総司令、警察庁。各警察幹部の皆様が所属し、犯罪統計なども作成する行政機関。
ここには階級は存在しないが、警察機構のあらゆる事務処理と全国警察の上位指令系統が集中する。
……伸一は一応ここの粗暴刑事事件捜査を担当する部署から特命を受け、警視庁・特別捜査課に出向してい
る事になっている。
一方、この『若いのに年輩よりもエラくなれる制度』のせいでいろいろとよくない弊害が起こっているが。
閑話休題。
つまり、伸一は若年ながらも『階級制度』や上げた手柄の数の違いのおかげで楓以上にエラいのである。
しかも彼は制度の弊害に負けず、毎日を頑張っている『模範的キャリア』だ。もっとも、楓の言葉にもある
ように、経験の無さを時折揶揄される事もあるが。
そんな伸一の言葉に、楓はため息をついて言う。
「はい、はい。解りました、警視殿」
その言葉には間違いなく『この世間知らず』と言う響きが混じっている。
だが、それはいつもの事。伸一は楓の言葉を無視し、のほほんとした多少高い声で言葉を紡ぐ。
「それじゃ、情報ファイルを見せてもらいましょうか」
「うぁ、無視したわね!あいつと同じ、ガキのくせにっ!腹立つっ!!」
叫ぶ楓に、伸一。
「君の感想は聞いてないよ。僕が嫌いなら嫌いでいい。だが、仕事だけは『上官の指令に従って』『手柄を焦
らぬよう』『忠実』にやってくれ」
と言い放ち『管理官(課長)』と言うネームプレートが立ててある、独立した席に座る。
楓はバァン……と、自分の机にあったファイルの山を持ち上げて伸一の前に叩き付ける。
「どうぞ!!」
そして憮然とした顔で、自らの席に座り、再びペンを握る。先程の作業の続き。
それは―――発信機まで使いながら『怪盗 セイント・テール』を捕まえる事のできなかった始末書だった
のだ。
そんな楓に。あきれたように首を振りながら、力無く笑い。
そして、伸一は。祐二を呼び寄せる。
「彼女、いつになく不機嫌じゃないか。普段ならもっと余裕をかましてるはずなのに」
その質問に祐二。ため息をついて言う。
彼らは警視庁捜査2課時代における旧知の仲だ。
「……それがですね、警視。どうやら、警部、聖華市でヘマを」
「それは聞いたよ。そう言えば、あの街、中学生にセイント・テールの専任捜査官をさせてるとか……」
「そうです。なんでも、その中学生の方がよっぽど役に立つとか言われて、無能呼ばわりされて」
「あ〜、なるほど、それで……」
納得行ったように頷く伸一。さらに言う。
「どーせ、いつも僕にやり込められている腹いせに、その専任捜査官を完璧なまでに無能なガキ扱いでもした
んだろうね?しかも『自分はオトナの女だ』な〜んて主張して」
「……よく解りますね」
「すぐ読めるよ。彼女の行動パターンは。すぐに簡単なハイテクを使いたがる、めんどくさがり。エリートと
言われてその気になって、自分の実力を見誤る。オトナである事を主張したがる」
伸一の言葉に同意する祐二。
「そーですね。まったく、人をガキ呼ばわりして、実は自分がガキである事に気付いてないんですよ。彼女に
比べれば、警視の方がよっぽどオトナですよね?」
その言葉に、伸一は苦笑する。
「それは、言い過ぎだよ。僕だって経験不足なガキである事は否めない。それは自分がよく知ってる。そんな
見え透いた事をしても、君の出世には影響しないからね」
「ま……まさかぁ。そんな事、考えてもいませんよ」
そうしたごますりは、伸一のもっとも嫌いな事。それを思い出した祐二は、慌てて否定する。
伸一はそんな祐二から目を離し、叩き付けられたファイルに目を通す。
ぱらぱらぱらぱら……。まさしく速読。
数分後、ファイルを閉じる伸一。
デスクで目を閉じ、思考をゆっくりと逡巡させる。
何秒経過しただろうか?
やがて、彼の頭の中で1つの光が見えてくる。それは全面に広がり―――。
そして。立ち上がり、言い放つ。
「北村楓警部。明日にでも特捜の全員を集めてくれ。これからの捜査方針を示す」
始末書最期の一行を書き終えたと同時の言葉。
彼が部下の事をフルネームと役職で呼ぶ時。
それは、伸一が自分の指令を可及的速やかに進めて欲しい事を意味する。しかも最優先に。
そして。それが少しでも遅れれば、致命的な事になる。
これ以上失点を増やしたくはない。楓はしぶしぶと立ち上がり、インターフォンを取る。
明日の集合を、課内の全員に知らせるために。
© Kiyama Syuhei 木山秀平
© 立川 恵/講談社/ABC/電通/TMS
(asuka name copyright from「怪盗 セイント・テール」)
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