Report 9 ダブルAsukaの華麗な休日


「明日香ちゃん。行ける?」
 玄関から雅貴の声がする。飛鳥夫妻は今日も朝から仕事で、今は家にいない。恋美は未だ寝床の中。
 明日香は朝から何度も自室で自分の格好をゆっくりとチェック。
 抜けるような青空色のシャツ。胸に虹のワンポイント。
 そして、デニムのスカート。黒の靴下。
 爽やかに、かわいらしく。
 にっこりと笑ってみる。
「うっし……カンペキ!!」
 そう呟く明日香。その背中には、まるで炎を背負っているかのようにも見える。
 低血圧のはずが、今日は朝から気分がいい。これは一種の奇跡である。
 少なくとも、明日香自身にはそう思える。
「明日香ちゃ〜ん」
 玄関の呼び声が少し大きくなる。
 明日香は部屋を飛び出しながら慌てて返事する。
「はいはいはい!!すぐに行きま〜っす!!」
 急いで階段を駆け降り、玄関に。
「待ちました?」
 尋ねる明日香。雅貴は、親指と人差し指を平行に出すと。
「ちょっとね」
 と微笑を浮かべながら言う。
 すると、明日香。真剣な顔で謝る。
「ご、ごめんなさい!!」
 一方、雅貴は冗談のつもりだったから、慌てて両手を振って。
「あ、明日香ちゃん。冗談だよ!!そんなに待ってないって!!」
 明日香は恐る恐る顔を上げる。
「本当ですか?」
 真剣な顔で頷く雅貴。明日香はほっとした顔を見せながらも、ちょっと膨れて言う。
「でも、こっち真剣だったんですよ?『女性の準備は長いから』とか『待つのが男の仕事』とか、そんな言葉
 に甘えちゃうのって、絶対に嫌だから……。それを、からかうなんて……」
 すると雅貴はさらに慌てて。
「い、いや!!そんなつもり、無かったんだ!!たださ、やっぱりちょっと待っちゃったし、その、あの……」
 しまいにはしどろもどろになってしまう。そんな雅貴を見つめて、明日香はぷっと吹き出す。
 そして、にっこりと笑みを浮かべて言う。
「冗談ですよ」
 その言葉に、一瞬だけ雅貴の表情が呆然としたものになる。
 次に、その表情はほっとしたものに変わる。
 だが、結局からかい返された事に気付き、ばつの悪いものになり。
 大きくため息をついて、情けなくぽつりと呟くしかなくなる。
「明日香ちゃあ〜〜〜〜ん」
「でも、これでおあいこですよ?」
 にっこりした笑い。それを見るとほんわかとした気分になって、雅貴は何も言えなくなる。
(……結局、俺って明日香ちゃんには弱いって事なのかなぁ?)
 心の中でぽつりと呟く。そのまま考え込みそうになるが。
「雅貴さん?」
 明日香の声で、思考の底から現実に引き戻される。
「どうしました?」
 明日香はそう言うと、心配そうに雅貴の顔を覗き込んでくる。
 雅貴はにっこりと笑って。
「なんでもないよ」
 と言うと、玄関のドアを開いて。
「さ、行こう」
 と促す。明日香は頷くと、雅貴が開いてくれた玄関のドアをくぐる。
『行ってきま〜〜す!』
 飛鳥家の玄関に、2人の声が響いた。誰もいないが、一応の礼儀。
 そして、玄関のドアに鍵をかける。
 しばし道を歩く。が、ふと雅貴。昨日、恋美に言われた事を思い出す。
(「明日香ちゃんの格好、褒めてあげてね?」だったかな……)
 そっと明日香の格好を見る。
「明日香ちゃん」
「はい?」
 雅貴の方に顔を向ける明日香。
 一方の雅貴は、声をかけてみたものの、何と褒めていいか、いまいち言葉が出ない。
「えっと……」
 とりあえず、思った事を言って見る。
「今日の服、似合ってるね」
 その言葉で。傍目からも解るほどに明日香の頬へ朱が走る。
「あ、ありがとうございます……」
 嬉しそうに笑いながら言う明日香。
 その仕草に雅貴。ちょっと胸がどきんと高鳴る。
 2人は真っ赤になりながら、並んで道を歩く。
 双方とも、互いの顔が直視できない……そんな気分。
(どうしよう……どうしよう……)
 悩む雅貴。一方で明日香も同じ事を考えていた。
(このままじゃ間がもたないよぉ……)
 勇気を出して、明日香は雅貴の顔を見る。
 その明日香に視線に気付いて、雅貴。さらに混乱に陥ってしまう。
(な……ど、どうする??うあ〜〜っ!!)
 その時。ふと互いの手が触れた。いつのまにか互いの距離が更に近付いていたのだ。
 それに気付き、慌てて「ごめん」と離れようとする雅貴。
 だが、それができない。
 明日香も同じ事を考えていたが、できない。
 互いの手は、触れたり離れたりを繰り返す。
 どき、どき、どき、どき……。そんな鼓動が互いに触れるたび、手を通して伝わってくるように感じた。
 錯覚かもしれない。でも、違うかもしれない。そんな淡い感覚。
 確かめたい。そう思った。
 先に行動を起こしたのはどっちだったか。
 それとも、両方が同時に行動を起こしたのか。
 互いの手が吸い寄せられるようにぴたりと張り付く。いや、互いの手が握られる。
 とくん……と、互いの音一つ。
 そっと明日香を見る雅貴。そっと雅貴を見る明日香。
 互いにほっとしたような顔。鼓動の共有。
 顔はまだリンゴのように。だけど、心は安らぎ、落ち着いている。
 2人はずっと無言で、手を握ったまま、道を歩いていた。

 浅永駿英美術館に入る2人。
 あいもかわらずの抽象的な絵画や彫像を見上げる。
 だが、明日香自身にとっては非常に安らぐ絵だ。
 そして同じ事を考えている人間は多い。
 受付で聞いた話では、結構流行っているとの事。
 明日香=ルージュにとっても、骨を折った甲斐があると言うものである。
 静かにじっと絵を見る、雅貴と明日香。
 その時。横から声が掛る。
「あら。もしかして……明日香ちゃん?まぁ、まぁ!アスカ3rdまで!!」
 声の方を見る明日香。そこには温厚そうな、中年女性(マダム)―――館長の角井あやの姿。
 あやは雅貴と明日香を交互に見て、微笑を浮かべ。冗談交じりのつもりで尋ねてみる。
「もしかして、今日はデートかしら?」
 すると明日香。にっこりと笑い、元気良く返事をする。
「はい!そうなんです!!」
 その言葉に、あやは目を丸くして驚く。
「あら、あら。まぁまぁまぁ!!それじゃ、お邪魔だったかしら?」
 そんなあやに雅貴は首を横に振り。
「いいえ。そんなことないですよ」
 と答える。だが、あやは申し訳なさそうに。
「いえいえ。若いお2人の邪魔はできませんよ。忙しくて何もできないけれど、ゆっくりしていってちょうだ
 いね?」
 と、その場を離れていく。
 そんなあやを見て、明日香。ぽつりと呟く。
「あやおばさん、なんだか生き生きとしてる……」
 雅貴はその言葉を受けるように言う。
「そうだね。ルージュのおかげ……ってヤツかも」
 明日香は驚いたような顔で言う。
「おかげ……ですか?」
「うん。ルージュがいなかったら、この美術館も建たなかったかもしれないからね……」
 あやの持つ絵を取り戻したのはルージュ。
 たぶんその事を言っているのだろう。なんとなく誇らしい思いもする。
 しかし、明日香。すぐに少し厳しい顔をして。
「でも、やっぱり雅貴さんが活躍したからですよ」
「そうかな?」
 少し照れたように笑う雅貴。
「そうですよ」
 同意する明日香。心の中で呟く。
(雅貴さん……しょせん怪盗は怪盗。怪盗に寛容になっちゃ、駄目ですよ……)
 それはある意味、明日香にとって身を切る痛みにもなる心の呟き。
 そして、明日香にとっては絶対に忘れてはならない、みずからを切り刻む刃―――。

© Kiyama Syuhei 木山秀平
© 立川 恵/講談社/ABC/電通/TMS
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