Report 1 ルージュ・ピジョンの華麗なる引退
梅雨ももうじき明けようと言う、7月の初め。珍しく晴れた日の昼過ぎ。
明日香は、両手にたくさんのファイルを抱えて自分の部屋を出る。
階段を降り、リビングのドアを少し行儀が悪いが、足で開けて。
すると、そこには。明日香が居候している、この飛鳥家の奥さんである芽美が洗濯物を干している姿を見る
事が出来る。自分の娘とお揃いである、芽美のポニーテールがふわふわと揺れていた。
明日香は、リビングの中央にある机に、どさりと自らの抱えていたファイルを置き、洗濯物を干している、
芽美に。
「手伝います、おばさま」
言いながら洗濯物をほぐして上下に振るい、ぱんぱんと小気味よい音を鳴らす。
「ありがとう。助かるわ、明日香ちゃん」
にっこりと微笑みを浮かべて言う芽美。
しばらく2人は無言で洗濯物を干し続ける。
やがてそれが終ると、明日香は芽美より先に家へと上がり、冷蔵庫を開けて少し早い麦茶を取り出す。
2人分のコップを用意。麦茶を注いでリビングに持っていく。
リビングでは、ちょうど芽美が洗濯物を干し終わり、上がる所だった。
「お疲れ様でした。どうぞ」
にっこりとコップを差し出す明日香。
「ありがと」
コップを受けとって、芽美。先ほど明日香がファイルを山と積んだ机の横に座る。
そこでファイルの山に気付き、明日香に尋ねる。
「明日香ちゃん、これは?」
明日香は少し表情を暗くして答えた。
「これですか?これは……ルージュのファイルなんです。ルージュの元に届く、迷える人たちの悲鳴です」
「!!」
驚く芽美。
結城明日香。彼女には少し前まで『もう1つの顔』があった。
かつてはアメリカで活躍し、その後聖華市に渡って芽美の息子である少年探偵、アスカ3rdこと飛鳥雅貴と
対等の勝負をした少女怪盗・紅鳩(ルージュ・ピジョン)と言う顔が。
ルージュ・ピジョンは先日の『皆見邸宝玉争奪戦(File18参照)』にて、謎の組織の凶弾に倒れ、その後の
『海岸沿修道院廃虚崩壊事件(同File参照)』における、組織建造物の崩壊に巻き込まれてその命を落とした
と、目されている。
雅貴自身は行方不明と報告した。
だが、他ならぬ彼の報告から。そして現場崩壊の凄まじさから落命したものと判断された。
当然の事ながら、雅貴はルージュ=明日香である事は現在も知らない。
だが「ルージュは二度と現れない」事だけは確信していた。他ならぬ、ルージュ自身の言葉。それを言う
時の彼女の瞳の光。
雅貴はそれを見て、そう思ったのだ。
だからこそ。彼は上へルージュが落命した事を匂わせて報告を提出した。
彼女の新たな生活への祈りを込めて。
だが、彼女は死んだわけではない。いや、ある意味で死んだとは言えるのだろうが。
ルージュ・ピジョン。その正体こそ、現在飛鳥家に居候している飛鳥雅貴の彼女にして、雅貴の妹・恋美
の親友でもある少女、結城明日香。
だが、今の彼女は。父を殺された過去に縛られていた、その運命の未練を手繰る糸を断ち斬り、自らが既
に孤独に苛まれる者でない事に気付き、怪盗である事を辞めた少女。既にルージュではないのだ。
そして、とある事件で芽美のみがそれを知っている。
芽美もまた、かつて迷える子羊のために怪盗として活躍した者。
さすがに協力はしないものの、その事実を愛息とその彼女のために、自らの心にしまっていたのだ。
それは―――もしかしたら、彼らの立場がかつての自分とダブったそのためでもあったのかもしれ
ない。芽美の夫、飛鳥大貴はかつてアスカJr.と呼ばれた、芽美を追う少年探偵だったのだから。
それはともかく。
明日香の持って来たファイルは、その怪盗だった少女の元に舞い込んだ、助けを求める悲鳴のファイル。
明日香はため息をつきながら言う。
「まぁ……ルージュを辞めたと言っても、人の悲鳴が消えるわけじゃないし……。それなら、いっその事、
この聖華市にて最も信頼ある探偵事務所に回そうかな?と思うんですけど」
現在では、大貴はこの聖華市で押しも押されもせぬ信頼ある探偵―――興信書士(国家資格を持つ
探偵)である。芽美が怪盗でなくなった時「彼女のような怪盗が必要のない聖華市を」と、勉強を続けた成果
だった。
芽美自身もまた、そんな夫の手助けとなるべく、現在では資格も取って探偵業を手伝っている。
ファイルを手に取る芽美。ぱらり、ぱらりとページをめくる。
「こ、これは……!!」
内容に目を見張る。それは、まだまだ聖華の闇がなお深い事を痛感するファイルであった。
「おばさま……」
上目遣いに芽美を見る明日香。
芽美は不意に明日香の手を握り、言う。
「ありがとう、明日香ちゃん。これでまた、幾人もの迷える子羊が救われるわ。任せてちょうだい。全部解決
してみせるからね」
その言葉に明日香はまた一つ、少し救われたように微笑む。
それが――――世界から恐れられた怪盗ルージュ・ピジョンの華麗なる完全引退の瞬間だった。
公園でラムレーズンアイスを食べながら、ベンチに座りぼ〜〜っと空を見る雅貴。
ルージュ行方不明の報告書を出し、雅貴のルージュ捜査官としての仕事は終った。
もはや、彼は怪盗ルージュ・ピジョンの専任捜査官ではない。
一介の地方公共団体直属組織・捜査ボランティア団体・SEPの一員である。
だが、その団体にはもう一つの顔がある。
それは隠匿されやすい学校犯罪に対し、その事実を暴き警察の介入をよりスムーズにする、非合法の隠密
刑事事件捜査組織―――Students Ex-lent Police 略称 S.E.P.(セップ)である。
白いカードを持つ、それではない一般ボランティアに混ざり、緑色カードを持つ彼らStudents Ex-lent
Policeは、各市各学校に配属されている。
雅貴は、そのグリーン・カードを持つSEP。担当は、自らの通う『県立聖華南高等学校』だ。
だが、その学校も既に試験休みに入っており、実質的には完璧に夏休み。
今の雅貴は―――キッパリとヒマであった。
一時期は、ルージュが死んだという噂が広まり大騒ぎになった。
怪盗の死を悼む者たちが集会を組んだかと思えば、マスコミが雅貴の元に取材に来る。
ICPOからアメリカでのルージュ専従捜査官がエリザベス・キョウコ・リーがやってきて『嘘だ、あいつが死
ぬはずがない』などと問い詰められた事もあった。
だが、それももう過去の話。
雅貴はアイスクリームを食べきり、コーンを包んでいた紙をくしゃりと丸めて自分のポケットに突っ込むと
再び空を見る。熱い日差しの中でぽつりと呟く。
「平和だねぇ……」
今の雅貴の姿は、白Tシャツにジーンズ。思いっきりの夏ルック。
ベンチから立ち上がる雅貴。
今日は特にどこかに用があると言うわけでもない。ちょっと散歩をしてみたくなった。
それだけの話である。
(そろそろ家に帰ろうか)
そう思い、家に足を向ける。
やがて公園から商店街に差し掛かる。
その時、商店街にチンドン屋の楽団音がした。
彼らはピエロや怪しげなマジシャン、火吹き師、チョンマゲなどのさまざまな仮装で商店街を練り歩く。
あっちこっちでビラをばら撒くチンドン屋。
雅貴もまた、彼らのビラを貰う。
ビラを持ち商店街を歩きながら、雅貴はふと思う。
(そう言えば……俺と明日香ちゃんが付き合い始めて、もう一ヶ月近くか……)
何が代わったかと言えば、呼び方がちょっと代わっただけ―――なのかもしれない。
明日香は何も言ってこないし、雅貴自身もそうした事を気にする質では無い。
それはそれでいいのだが。それを友達、例えば唯一彼女のいる遠藤透に話すと「デートくらいしろ!!」など
と叱咤されてしまった。あの時は「よけーなお世話だ!!」と答えたのだが――――。
(デート……ね……)
せっかく付き合い始めたのに、この1ヵ月忙しくて、話もろくにできない時もあった。
ふ、と先程のチンドン屋が配っていたチラシに目が行く。
そこにはこう書かれてあった。
『新テーマパーク・アロマランド。今度の日曜、海岸沿いにオープン!!』
© Kiyama Syuhei 木山秀平
© 立川 恵/講談社/ABC/電通/TMS
(asuka name copyright from「怪盗 セイント・テール」)
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