Report 10 ホワイトデー前日から当日へ


 ホワイトデーの前日の土曜日の午後。
 雅貴は、キッチンにいた。
「恋美はゆうきちゃんと一緒に買い物に行ったし……」
 雅貴の前には、小麦粉・砂糖・卵・シナモン etc.etc………。
「母さんと親父は久しぶりの休日で2人揃ってデパートだし……」
 ちなみに、この2人のホワイトデーの2人っきりのデートは毎年のことである。
 雅貴は、エプロン姿で両手を合わせて叫ぶ。
「よし!!始めるかっ!!」
 小麦粉をふるいにかける。
 卵を割って、泡立て器でかき混ぜる。
 牛乳・砂糖を卵のポールに入れてよくかき混ぜて、更に小麦粉を入れてまたかき混ぜて。
 クッキー種が出来たら、適当な形に切ってオーブンで焼く。
 すでに余熱処理が完了しているオーブンの天板にいろんな形のクッキーを入れてじっくりと焼き上げる。
 その間に、ホワイトチョコの溶かし処理とテンパリング処理。
 いくつかの型に流して、冷蔵庫で冷まさせる。
「よし!!終わった!!」
 あまりにも簡単に書いたが、これで数時間はゆうに過ぎているのである。
 ただ、雅貴の手際があまりにもスムーズすぎて、それはまったく感じさせないが。
 調理道具の片づけをしている間に、オーブンがクッキーの焼き上がりを知らせる。
 雅貴は鍋づかみで天板を取り出して、クッキーをあらかじめ出しておいた皿に上げる。
 できたクッキーを、味見する雅貴。
 中はしっとり。外はぱりぱり。いい焼き上がりだ。
「上出来だな。」
 雅貴は呟くと、エプロンのポケットから透明な清潔ビニール袋を取り出して、クッキーをその中に入れる。
 袋をテープで止めて、それが目立たない様にリボンをかければ……。
「よし、完璧。」
 雅貴は満足そうな微笑を浮かべて言った。
 そして、冷蔵庫を見て言う。
「あとは……ま、夜だな。」
 雅貴は再び流しに向かうと、洗い物を再開し始めた。

「ただいまー!!」
 元気のいい妹の声が、玄関から聞こえて来た。
 自室にいた雅貴はそれを認めると、机の上の3つの包みのうち2つを持って、階下の玄関に降りる。
「よう、お帰り。」
 実は待っていたのだが、いつもと同じようにそっけない様に言う雅貴。
 そして持って来た小さな包みを、ちょうど玄関に荷物を降ろした明日香と恋美に渡す。
「え……。」
 驚きの表情をして、ポツリと呟く明日香。
 雅貴は更に言う。
「まぁな、毎年の如くにバレンタインのお礼って事で。1日早いけどな。」
 その雅貴の言葉に、恋美。ため息をついて言う。
「あたしの分と、明日香ちゃんの分。同じよね……。」
「え?別々のものが欲しかったのか?」
 きょとんとして言う兄に、妹は言う。
「そーゆー事言ってんじゃなくてね?もっと……ねぇ。」
 明日香に同意を求めようとするが、その彼女も同じようにきょとんとした顔をしている。
 そんな明日香に対して、恋美は小声で耳打ちする。
「だめよ!!そんなことじゃ!」
「え?」
 きょとんとしたままの顔の明日香に、恋美。
「だから!ここぞと言う時にアピールしないと、お兄ちゃんの心は動かせないって言ってるの!!見ての通りの
 ドンカンなんだから!!」
 そんな恋美に、明日香は顔を赤くして言う。
「な!何言ってるのよぉ……!!」
 そんな2人の様子に、雅貴はポツリと呟いた。
「お前ら……俺に何を期待してるんだ?」
『え?』
 思わずハモる、明日香と恋美。彼女たちに関わらず、雅貴は更に言う。
「そもそも、俺はそーゆー特別扱いって嫌いなんだよ!!ったく……。」
 そう言って、ぷいっと顔を背ける雅貴。
 その兄の様子に、恋美は叫ぶ。
「何よぉ!!お兄ちゃんがドンカンだからいけないんじゃないの!明日香ちゃんの想いにも気付きもせずにぃ!」
「な……お前なぁ、俺の苦労も分からずに……!!」
「何が苦労よ!!」
 突如として始まった兄妹の口喧嘩。明日香は顔を赤くしたままで恋美を後ろから押し止めて言う。
「れ、恋美ちゃん!!ちょっと、やめて!!お願いっ!!」
「だって、明日香ちゃん……。」
 膨れたままで言う恋美に、明日香。
「あたしなら、いいの!!お願いだからやめて!!第一、そんなの恋美ちゃんの思い込みじゃない!!」
 確かに。明日香は雅貴への想いを否定こそすれ、今まで一度も肯定してはいない。
 そこに隠された想いは分かっている。だが、その事を思い出して、言葉を止める恋美。
 そんな妹に雅貴は、ぽつりと言った。
「なんだってんだよ。毎年、これで済ませてんのに……。」
 そして恋美も、雅貴と同じような調子で言う。
「今年は、いつもと違うでしょ……?」
 そんな2人の様子を見て、明日香は心の中で呟いた。
(やっぱりこの辺、兄妹よねぇ……。)

 翌日。日曜日、ホワイトデー。

 雅貴は朝に起きると、残った包みを持って、階下に降りる。
 キッチンでは、朝食が並んでいた。
「おう、雅貴!!」
 威勢のいい父親の大貴の声が聞こえてくる。そう、彼が今日の食事当番だ。
「おはよ。親父。」
 雅貴は、そう言うと自分の席に座る。その横の席は恋美のものなのだが、休日の朝はまず間違いなく惰眠を
むさぼっている習慣だ。よって、その席は空である。
 更に横の席は、1ヶ月前に増えたばかりの明日香の席。既に彼女は起きて食事を待っている。
「おはよ。明日香ちゃん。」
 言う雅貴に、明日香。
「う〜〜〜。あ……雅貴さん。おはようございますぅ〜〜〜。」
 妙に不機嫌そうな、と言うよりも体中が起ききっていないような声を出す。
 実は明日香は低血圧で、朝は不機嫌らしい。本人いわく『夜型』なのだそうだ。
 だから雅貴は、あえてそれ以上は何も言わずにおく。毎度の朝の光景だ。
 メニューは、スープ・フレンチトースト・サラダ・目玉焼き・ボイルソーセージ。
 それを手際よく食卓にそろえていく父に、雅貴は尋ねる。
「母さんは?」
 息子の質問に答える大貴。
「新しいイリュージョン・マジックの練習だそうだ。徹夜したんじゃないか?今、寝てるよ。」
 そして、大貴は優しく笑みを浮かべて続ける。
「母さんの分のご飯は、きちんととっておかないとな。」
 雅貴・恋美兄妹の母である芽美は、実は日本の中では3つの指に。世界ランクでも10指に入るマジシャンで
もある。ただの主婦でも、ただの探偵助手でも、ただのマジシャンでもない、彼の母親のすごさには全く脱帽
である。最もそれを言えば、彼女は笑って「家族の支えがあるからよ」と言うのだろうが。
 それを思い、雅貴はフォークをソーセージに突き刺して口に含む。
 そんな息子に大貴。突発的に言う。
「そーいや、雅貴。中にあるホワイトチョコは……。」
「わーわーわーーーーーっ!!!!」
 大貴の言葉に、慌てて叫ぶ雅貴。父の口を塞いで、ちらりと明日香を見る。
 そんな息子を見て、父は微笑を浮かべて雅貴の手をどけて言う。
「あ、そっか。なるほどな………。」
 雅貴は、そんな父の様子に更に小さく叫ぶ。
「違うっ!!」
 だが、大貴。落ち着いた様子で雅貴に言う。
「ま、ま、ま。俺にもな、そんな時があったよ。たまにはな、素直になるのもいいぜ?」
「だからぁ……!」
 更に言おうとする雅貴だが、やめる。いろんな意味で、父にはまだかなわない。
 一方の明日香は、そんな男2人の様子にも介せずに黙々と食事を食べている。
 それなりの、微笑ましい朝の情景だった。

 昼に雅貴は、母の部屋をノックする。
 返事が無い。
 中に入る。
 母がベッドに眠っていて、その横には椅子に座ったままで眠りこけている大貴の姿。
 大貴の大まかなスケジュールは、雅貴も一応把握している。今日は休みだ。急な仕事が入らない限りは。
「結局、親父もつきあわされてたわけか。ゆうべの母さんのトリック作り……。」
 雅貴はため息をつくと、朝に持って降りたまま結局渡さなかった包みを、部屋の机の上に置く。
 包みの中身は、シックなセンスのいいスカーフだ。
 机の上のノートには、父親の文字でとてつもない量の方程式と幾何学模様が書かれている。
 その横には、母親の字でマジックのイメージが赤い文字で書かれていたりして。
 結局は現在(と言うか、この時代)の芽美のマジックの細かい計算は大貴によってなされているのだ。
 中学時代とは、えらい違いである。それだけ、成長したと言う事だろうか。
 ……雅貴はもちろん父の中学時代の事など知らないが。
 雅貴は大貴に毛布をかけると、そのまま母の部屋を出た。
 ノートの中身は見ない。マジックは、トリックが判るとつまらない。夢が無くなるからだ。
 玄関まで来た雅貴は、降りて来た妹とはち合わせする。
「おはよ、お兄ちゃん。」
「おう。と言っても、もう昼だがな。」
「いつもの事じゃない。明日香ちゃんは?」
 尋ねる妹に、雅貴。
「また、不動産屋巡りらしいぜ。」
「このまま、うちにいればいいのに……。その方がお兄ちゃんも嬉しいでしょ?」
 妹の言葉に、雅貴は乾いた笑いを上げる。肯定も否定もしない。昨日の今日で下手な事を言って妹の機嫌を
損ねたくはない。
 恋美はそのまま洗面所に向かう。その途中で、思い出したように雅貴に向き直っていった。
「きれいなハンカチ、ありがと。それと……昨日はごめんね。」
 そんな妹に雅貴は、微笑んで言う。
「別にさ、そんなこと気にしてねーよ。多分俺が悪いんだろ?よくわかんないけどな。」
 そういう兄に、恋美は抱きついて言った。
「だからお兄ちゃん、だーいすき!!」
「おいおい……。」
 雅貴は、苦笑して呟いていた。

 その後恋美は『あゆみの園』へ手伝いに行って、夕方ににこやかな顔をして帰って来た。
 その手に握られていたのは、クッキーの袋だった。
 その上で、リボンをかけられた包みがポケットから顔を覗かせていた。
 雅貴がそれについて尋ねると、恋美ははにかんでこう言った。
「えへへ……内緒の内緒だよ。」

 夕食後。雅貴は、冷蔵庫の中のホワイトチョコを叩く。
「うん。ちょうどいいかな。」
 その手には、昨日作ったクッキーの包みが握られていた。

 夜の10時。明日香は、パソコンに向かってパスワードを打ち込んでいた。
 そして、裏ネットに繋げるための特殊なルージュ専門のシステムが立ち上がる。
 ちなみに、飛鳥家の回線は使わずに自分専用に(無断で)繋げた回線なので雅貴たちにばれる心配は無い。
 その時、ドアがノックされる。
 その音で、明日香の心臓が跳ね上がる!!
 慌ててパソコンのスイッチを切り、返事をする明日香。 
「は…はい!!」
 だが、返事が無い。
 そろりそろりとドアを開ける明日香。
 外には、誰もいない。だが、ドアノブが少し重い。
 表に回り、ドアノブを見ると包みがぶら下がっている。
 中身を見ると、クッキーとホワイトチョコが入っている。そして、カードが1枚。
 それには、たった一言だけ書かれていた。

    『バレンタインデー、ありがと。』

 それを見た瞬間、明日香はそのカードの主に気付いていた。
 何しろ、明日香がそんな言葉を受ける心当たりは1人しかいない。1人にしか送っていない。
 明日香は、包みを抱いてポツリと呟いていた。
「あたしの方こそ……。」
 いつも、追いかけてもらっている。
 いつも、迷惑かけてる。
 いつも…………。
 明日香の瞳から、いつのまにか涙が流れていた。
 バレンタインデーの時と同じ。
 嬉しくて嬉しくてしょうがない涙が。
 明日香は気付いていないが、その涙にはもう一つ意味がある。
 包みを胸に抱く力を更に強くし、明日香は少しだけほろ苦くも甘い想いで、心の中で呟いていた。
(雅貴さん…………。)

 それは、28日間をはさんだ2つの14日の、ちょっとしたひとときの話-------。

FILE 17 THE END


© Kiyama Syuhei 木山秀平
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