Report 1 チョコをチョコっと……


 くつ…くつ……くつ………。
 鍋の中身は、煮立ち出した茶色の粘性液体。
 明日香は、それをゆっくりとかき回す。
 そして手前のビンをとり、中身を流し込む。
 黒色の粉末が液体の中に入る。
 ぴしっ
 明日香の動きが止まる。
 ギギィっと言う軋んだ動作で手もとのビンを見る。
「黒砂糖……よねぇ。これって……。」
 だが、ビンのラベルは描かれてあるドクロのマークとその下に書かれた名称で力いっぱい明日香の言葉を否
定していた。
 ラベルに書かれていた文字は-----。

  『黒色火薬』

 慌てて鍋から離れる明日香。次の瞬間、閃光が走る!!
 そして鍋は。台所を巻き添えにして、ものの見事に吹っ飛んだ。
 めちゃくちゃになった台所を前に、呆然とする明日香。
「………。」
 事の起こりは、数日前の聖ポーリア学院----------。

 隣のクラスの章子と美奈が、恋美と明日香のクラスへと2人を誘いにやってくる。
 恋美の席で談笑していたに明日香たち対して、章子が声をかける。
「ねぇねぇ。知ってる?今日、あたしの家でバレンタイン・セールがあるの。来る?」
 そう切り出した章子に、恋美が答える。
「え〜〜!!そうなの?」
「そうなのよぉ。今年は、おばさん特製のパフチョコの新製品が出るらしいわっ!!」
 美奈も叫ぶ。
「行く、行くぅっ!!絶対行くっ!!」
 キャピキャピしながら叫ぶ恋美たち。明日香はそんな彼女たちに不思議な視線を送る。
「……何をそんなに沸いてるの?」
 恋美たちの盛り上がりが、ぴたりと止んだ。
 恋美、章子、美奈。3人の視線がギギィっと軋んだ音を立てて明日香に向く。
「明日香ちゃん……?嘘……。」
「冗談でしょ……。」
「信じられない………。」
 そんな視線に明日香は抗議の声を上げる。
「な、何よっ!!バレンタイン前に緊張する事はあっても、そこまで盛り上がる事なんて無いじゃない!!」
 そんな彼女に、恋美は言葉をかける。
「明日香ちゃん……バレンタインを知らないの………?」
「馬鹿にしないでよっ!!男女問わない、愛する人へのプレゼントの日でしょう??恋愛している人間以外は、縁
 の無い日。」
 そういう明日香に、3人は「信じられない」とでも言うような目を向ける。
 しかし、章子がすぐに納得するように。
「ほら。明日香ちゃん、外国から来たから……。」
 その言葉に、美奈。
「あぁ、そっか……真剣勝負しか無いのよね。向こうのバレンタインは。」
 2人の言葉に、恋美。
「へぇ、そうなんだ……。」
 明日香は、そんな3人を順に見つめて言う。
「何?何よ?一体、何?」
 3人はうろたえる明日香を取り囲む。そして美奈が明日香の肩を叩く。
「明日香ちゃん……。」
 その後を続けるように、章子が叫ぶ。
「だめ!!だめよ!!そんなことじゃ!!」
 そして、一息ついて再び言葉を続ける章子。
「バレンタインデーに参加しないなんて、日本の女の子の恥よっ!!こういう物は、義理でも言いから参加する
 事に意義があるの!!」
 既に目が暴走モードに入っている章子。そんな彼女に恋美と美奈は、同じ事を心の中で呟く。
(それは違うでしょ……。)
 だが暴走モードに入っている章子に、そんな突っ込みをする事は危険である事を2人は長年の付き合いから
良く知っていた。だから、何も言わない。
「そ、そうなの!?」
 そんな恋美と美奈の心境もよく解らずに深刻な顔をして章子に尋ねる明日香。
「そうよ!!だから、これからあたしが日本の正しい女の子のバレンタインについてレクチャーしてあげる!!明
 日香ちゃん、この『山本総菓子店』の娘であるあたしのレクチャーなら大丈夫!!大船に乗ったつもりでいて
 ねっ!!」
 妙な異世界を作り上げそうな雰囲気を醸し出す章子と、それに巻き込まれている明日香。
 恋美と美奈は、ため息をついてまったく同じ事を呟いた。
『大丈夫……じゃないわよねぇ………。』

 その日の放課後、山本総菓子店洋菓子部門『Yamamoto Factory』にて。
「いーい、明日香ちゃん!!日本のバレンタインデーのチョコは、お世話になっている人への感謝を表す『義理
 チョコ』と、好きな人に送るための『本命チョコ』の2つの種類があるのっ!!」
 章子の叫びに明日香は真剣にいちいち頷く。
「義理チョコは出来合いのものでもいいけど、本命チョコは手作りが基本よね!!」
「そうなの?」
「もちろん!!」
 そんな2人の様子を見て、チョコの入った買い物かごを持つ恋美と美奈。
「一応、章子もまともな事言ってるわよね。」
「ねぇ、美奈ちゃん……。なんで章子ちゃんあんなに熱入ってるのかしら。」
 恋美の質問に美奈。
「決まってるじゃない。章子の家にとっては、この時期が一番の掻き入れ時だから……。」
「なるほど……生活、かかってるもんね。大変だぁ。」
 感心そうに章子を見つめる恋美。そんな彼女に美奈は言う。
「ところで、恋美ちゃん。どうするの?」
「え?」
 美奈は少し興味津々な表情を見せて恋美に問う。
「今度のバレンタインデーよ。お父さんとかお兄ちゃんとか……他には?」
 恋美は、その言葉に少し顔を赤らめる。そして答える。
「や……やだ……義理チョコ以外の予定は無いよぉ……。」
 美奈は、ふと恋美の持つかごの中を見る。
 彼女のかごの中には、手作りチョコ用のスタンダートな板チョコしかない。
 長い付き合いで、恋美は母の影響により、兄や父に対するチョコでも手作りチョコにする事は知っている。
 だが。
 そのチョコの量が毎年買っているそれよりも多いと思うのは、美奈の気のせいだろうか……。
 そんな中にも、章子の声は更に響く。
「義理チョコってのはね、言わば『蝦鯛』チョコよ!!いっぱいばらまけば、いっぱい男の子から見返りが来る
 わっ!!バレンタインのチョコレートは、ばらまけばばらまくだけ後で見返りが来てとってもお得!!」
 章子の迫力に明日香はどんどん押されていく。そして、明日香は視線を恋美たちに向ける。
 その視線の意味を、恋美たちは如実に感じ取っていた。即ち、明日香は。
(そ、そうなのぉ……?日本のバレンタインって、そんなに即物的で底意地の悪いもの?)
 そんな明日香が気の毒になり、恋美は明日香に近寄ってこっそりと耳打ちした。
「あのね、明日香ちゃん。確かにそんな女の子もいるよ。でも、明日香ちゃんは明日香ちゃんなんだから。そ
 んなのに左右される事も無いと思うよ。明日香ちゃんが、そういうの好きじゃないなら、しなければいいん
 だし。それにね『義理』と言いながらも実は『本命』をあげる子もいるし……。章子ちゃん燃えてるから、
 妙な反論はしない方がいいけどね。商売人モード入ってる章子ちゃん、なかなか止められないの。」

© Kiyama Syuhei 木山秀平
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