Report 10 終章:Right Stuff


 P.M. 8:55
 夢見の聖杯が警護されている部屋の両横に、警官が配備されている。
 そこに、この屋敷のおかっぱ頭なメイドがお盆にお茶を乗せてやってくる。
 お盆は2層になっていて、下の層にお茶を入れた陶器のコップが円上に並べられ、その更に上にお盆を乗せ
て、その盆の上に同じように陶器のコップが下層と同じように並んでいる。
「皆さん、お疲れさまです。お茶をどうぞ……。」
 リズは水野氏に瞳を向ける。水野氏ははっとした顔で答える。
「あぁ、彼女は当家のメイドでね。先程皆さんにお茶を持ってくるように頼んだのです。今日は5時から入っ
 てもらっているのです。」
 その説明を聞いて、リズ。頭をぽりぽりと掻いて言う。
「困りましたね。勝手な事はしないで下さい。もしも隙を突かれて、睡眠薬を盛られたらどうするつもりです
 か?お茶は、ルージュの件が片付いてからにしてもらいます。」
「は、はい……。」
 肩を竦めてすまなそうに呟くメイド。
 リズはこの屋敷の電気配電盤の警護を行っている部隊に通信を送る。
「異常はないわね。」
「は、はい……。」
 いつものアスカ3rdではなく、ICPOの監査官が現場指揮を行っている事におかしな違和感は感じるが、とり
あえず命令通りに動いているルージュ対策班の面々。

 P.M. 9:00
 リズの時計がアラームを鳴らし、時間が来た事を告げる。
「さぁ……どう出るの?ルージュ・ピジョン……。」
 呟くリズ。その時。
 屋敷中の電気が消えた。
「えっ!!」
 意外な声を出すリズ。
 慌てて手探りで通信機を取り出し、配電盤を張っている捜査官に連絡を入れる。
「どう言う事!?電気が消えたわよっ!!」
「そ、それが……配電盤には異常が無いんです!!おそらくはこの屋敷に引かれている地下ケーブルを切断され
 て……!!」
 通信機から来る捜査官の言葉。リズは慌てて叫ぶ。
「早く予備電源に切り替えなさい!!」
 それと同時に、ルージュの声が響く。
「リズ。『夢見の聖杯』はありがたくいただくわ!もう、いいかげんにあたしの事は諦めてちょうだい!」
 そしてガラスが割れる音。なぜか漂う火薬の香り。外では犬の吠え声。
 そこで予備電源が作動する。
 リズが見たのは、部屋の中に散乱するガラス。割れた窓。
 そして「夢見の聖杯」が部屋から消失していた!!
「くっ……。」
 リズは歯ぎしりして通信機に叫ぶ。
「ルージュが逃げたわ!!全員、すぐに屋敷の外に出てルージュを捜索しなさい!!非常配備を……。」
 だが、その言葉は通信機から流れて来た別の言葉で中断する。
「いや、ルージュのやつはまだ、屋敷の中だ!!5-B班は総員ルージュ捕縛のために屋敷の周囲を固めろ!!」
 その言葉は、アスカ3rd---雅貴の声。
 絶句するリズに対して、通信機から声が聞こえてくる。
 その声は、その場にいる捜査官全員の一致した声。
「了解しました!!アスカ3rd!!!」
「や、やめなさいっ!!ルージュ・ピジョンの得意技には変装や声色もあるのよっ!!」
 慌てて叫ぶリズに、通信機からまたもや声が響く。
「いや、それは無いよ。なぜなら……。」
 後半の台詞は、通信機とリズの後ろ。両方から聞こえて来た。
「この言葉は間違いなくこの俺が出した物だからね。」
 後ろを振り向くリズ。そこには通信機を持った雅貴と木下警視、高宮警視。そしてもう一人。
 警察庁刑事局長、大沢令がいた。国会答弁が終わった後にすぐさま聖華市にヘリを飛ばしたのだ。
 雅貴は通信機を下ろし、一歩前に出てリズに言う。
「君には悪いがね。少なくともここでのルージュの一件は、この俺の事件だ。俺の謎は、この俺が解かせても
 らうよ!!」
 そして、雅貴は一息ついてメイドに近付く。メイドは2層のお盆を持ったままだ。
 メイドはその体を硬くする。
 雅貴はメイドの盆の上層を持ち上げる。そして下層の円形に並べられたコップたちの真ん中にある杯を拾い
上げる。
 その杯は「夢見の聖杯」だ。
 雅貴はにっこりと笑ってそれを自らの手に持ったまま、メイドに向けて言った。
「これは、どう言う事かな?ルージュ。ま、言わなくても解るけどね。君はまずここに来たメイドとすりかわ
 り、その直後に窓に弱い爆弾を仕掛けた。先程のガラスの割れる音は爆弾によるものだ。それから、犬が吠
 えたのは人が来たからではなく、先程の爆発で立ち込めた火薬の匂いに反応したからだ。君は停電と同時に
 そのブラックカラコンのメイド姿で直に『夢見の聖杯』を盗った。だから暗視装置付きのスパーク・ボール
 も、反応しなかった。その靴の裏地にはゴムが使われているんだろ?ゴムは電気を通さない。その靴が絶縁
 体となって、君の体を守った。それだけの事だ。違うかい?」
 すらすらと答える雅貴の言葉に、メイドはため息をつく。そして言った。
「さすがね。アスカ3rd。リズとは大違いよ。ホントに、あなたがいるとやりにくいわ。」
 メイド-----いや、ルージュは慌てずに下層の盆と、上に乗っているお茶の入ったコップを雅貴に投げつけ
る。当然お茶は雅貴にかかる。
「あぢいぃぃぃぃぃぃっ!!」
 思わず悲鳴を上げる雅貴。
 その隙を突いて、ルージュはその身を翻して走り出す!走りながら自らの変装を解いていく!
「待て!!ルージュ!!」
 「夢見の聖杯」を高宮警視に投げ渡してルージュを追う雅貴。
 高宮警視は、慌ててその聖杯を受け取る。
 一方、リズは通信機でナンシーに連絡を取る。
「ナンシー!どこ??」
「あなたに指示された通り、外よ!!ルージュ・ピジョンなんてどこにもいないじゃない!!」
「ああああああああああっっっっっっ!!!!!」
 頭を抱えるリズ。
 そんな彼女に、令は容赦無い言葉をかけた。
「これでよく解っただろう?君よりも彼の方がルージュ・ピジョンに関してはより良い対策を取れる。君の無
 能さがよく解るよ。どうやら……。」
 そこで咳払いする令。そして、言葉を続ける。
「解任されるのは、君のようだな。この一件はICPOの方に書面で報告しておく。」
 リズはガクリとうな垂れる。そんな彼女に令は言う。
「またアメリカにてFBIが担当する別の事件で頑張ってくれたまえ。エリザベス・キョウコ・リー捜査官。」

「待てっ!!ルージュ!!」
 屋根の上を追ってくる雅貴。そんな彼にルージュはにこりと笑いかける。
「どうなるかと思ったけど……大丈夫みたいね。」
「何?」
 追いかけっこをしながら、2人の会話は続く。
「何でもないわよ。ほんっとに、あなたも諦めない人ね。アスカ3rd!!」
 雅貴は不敵な笑みを浮かべてルージュに言う。
「ああ。そうさ。諦めないのが、血統でね。俺は絶対にお前を捕まえてみせるっ!!」
 ルージュはいつもの調子を取り戻すように不敵に笑い、そして高く高く飛翔する!!
 もはや周囲に飛び移れる屋根はない。だが、ルージュの姿は周囲の屋根と同じ高さの中空に浮かぶ。
「またもや綱渡りかっ!!」
 雅貴もルージュの後を追う様に飛翔する。だが、高さが足りない。
 スタミナを保っておかないと、いざというときにルージュを捕まえられない。
 が------。
 ベシッと言う音がして、雅貴はルージュの前に立ちはだかる強化ガラスに行く手を阻まれた。
「ぶっ!!!」
 雅貴の前で、右後頭部のリングで髪を結わえている、紅い瞳の少女が笑う。
「ガラスに気付かなかったの?じゃあね。アスカ3rd。」
 ルージュは雅貴の前で「ばいばい」とでも言うように右手を振る。
 ガラスは雅貴を乗せたまま、ゆっくりと前に倒れ、黒い綱の上に乗り----そこで回転ドアのようにガラスは
くるりと回り、雅貴を下に落とす。
「そんなのありかああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
 雅貴は、下の道路に置かれたマットレスに落ち、そんな彼の横ではガラスも落ちて粉々に割れる。
 身を起こす雅貴。上を見上げる。
 そこには、ルージュの姿!!
 身を翻すルージュの背に、雅貴は叫んだ。
「ルージュ!!俺は……俺がお前を捕まえるんだ!!!俺が捕まえるまで……誰にも捕まるな!!俺が必ず、お前を
 捕まえてやる!!だから、それまで……それまで……誰にも捕まるなぁっ!!!!!!」
 雅貴の叫びにルージュは綱の上で振り向き、不敵な笑みを崩さぬままで言う。
「心配しなくても大丈夫。あたしは、誰にも捕まる気は無いわ……もちろん、あなたにもねっ!!」
 そして上空を去っていくルージュ。
 雅貴は、なんとなくスカッとした気分でマットレスの上に横になった。
「そう言うと思ったよ……。」
 そして雅貴は大笑いした。すごく気持ちのいい笑いだった。

 翌日。聖華国際空港。
 雅貴は、スカッとした声で礼儀として心にも無いような事を言う。
「1週間も期間があるんでしょう?もう少しいればいいのに。」
 そして言葉を続ける。こちらは本心だ。
「そしたら、聖華市のいろんな観光スポットとかをご案内するのに。」
 そんな雅貴にナンシーは言う。
「いえいえ。いいんですよぉ。そもそもあなたに無礼な事を言ってしまったわけですし。」
「あなたがたの役目なら、それも仕方ないでしょう。」
 にこやかに言う雅貴。
 一方のリズは-----陰鬱にぶつぶつと何事か呟いている。聞き取れないが、放っておく雅貴。
 その時、空港にアナウンスが響く。
『Asian Pacific Airline ニューヨーク行き 1430便 12番タラップより乗り込みを開始いたします……。』
「それじゃ……」
 そう言うナンシーに、雅貴は笑って言う。
「解りました。それじゃあ、お元気で。」
 その時、リズが顔を上げて雅貴に言う。
「いろいろ言って、悪かったわね。確かにあなたはすごい捜査官よ。馬鹿にした事は謝るわ。」
 そして、握手を求めてくる。その手を握る雅貴。
 2人は握手を交わし、そしてリズは言葉を続ける。
「あなたの言った言葉の意味、よく考える事にしてみるわ。まだ、解せない所もあるけどね。」
 雅貴は、にこりと笑う。それだけでも、大した進歩だと言うように。
「俺も完全じゃない。俺の言った言葉も、全部が正しいとは言い切れないですよ。でも、俺は自分を信じてい
 ます。俺には、それしか出来ないですからね。」
 その雅貴の言葉にリズ。
「アスカ3rd。それでも、あたしはまだルージュを諦めたわけじゃないのよ。」
 リズの瞳に、挑戦的なまなざしが灯る。
 雅貴はそれを、堂々と受ける。
 リズの言葉は続く。
「ルージュの一件を繋げてみると、後ろにある組織が見え隠れしているの。私はそれを追う。そう……これか
 ら私は『組織ハーブ』を追うわ。やつらを追えば、どこかでルージュに繋がる……。」
 雅貴はリズと同じように挑戦的に笑って言う。
「その前に、俺がルージュを捕まえてみせますよ。」
 そして、2人は再び堅い握手を交わす。
 リズは微笑みを見せて雅貴に言った。
「あなたとは、長い付き合いになりそうね。アスカ3rd……。」
 そして捜査官たちは互いに別れ、それぞれの道を行く------。

 雅貴はウィングにてリズとナンシーの乗った飛行機を見つめていた。
 そして、昨日自分がルージュに言った台詞を思い出し、口の中に含むように呟く。
「俺が捕まえるまで、誰にも捕まるな……。」
 それは、彼の父が以前彼の母に叫んだ言葉。
「何言ってんだろうな。俺は。ったく、馬鹿らしい。」
 照れくさくなり、苦笑して、それでも飛び立つ飛行機を見つめながら雅貴は呟く。
「ルージュは、俺が捕まえる------。」
 飛行機を遥か上空に眺めて、雅貴はくるりと回れ右して歩く。
 燦然と輝く空を背に、雅貴は歩き出す。
 自らの守る街、自らの捕まえる相手のいる街に帰るために-------------。

FILE 16 THE END


© Kiyama Syuhei 木山秀平
© 立川 恵/講談社/ABC/電通/TMS
(asuka name copyright from「怪盗 セイント・テール」)
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