Report 9 炎の借りを返す前


 明日香は、パソコンを前にしてOAチェアの背もたれにその身を預けると、大きく伸びをした。
「やーれやれ。侵入して、サーバ落して、別サーバからメールを出して……苦労するわ。」
 ゆっくりと呟くと、再びその身を起こす明日香。
 だが、自然とその顔がほころぶ。
 これで、またルージュと雅貴の追いかけっとが始まるかと思うと、嬉しくてたまらないのだ。
 互いの想いをかけた智のゲームを、明日香=ルージュは今まで以上に楽しんでいる。
 少なくとも、明日香自身はそう思っている。
 その奥に潜む別の想いも知らずに。
 口の奥から、密かに笑みが漏れる。
 ……その自分に自覚した時、明日香ははっとした顔になり、いきなり両頬をバチンと音が出るほどに叩く。
「もう!不謹慎よ!!ルージュ!!!今回は、遊びでふざけてるわけじゃないんだから!!」
 そして、自分の中の気持ちを吐き出すように息を吐く。
 少しうつむいて--------------。
 次に顔を上げた時、紅い明日香の瞳には既にルージュとしての引き締まった光が灯っていた。
「よし!!」
 明日香は、そう気合いを入れると胸の前で小さくガッツポーズを取った。

「そうか……そんな電話が……。」
 昼、恋美にかかって来た電話の内容を聞いて、雅貴はゆっくりと呟いた。
「どう思う?お兄ちゃん。」
 恋美の言葉に、雅貴はその母に似た瞳をつむり、少し難しそうな思案顔をする。
「お兄ちゃんにルージュからの予告状が来たと言う事は……ガセネタじゃないみたいだし……。もしかして、
 あの電話、ルージュからのものなのかな?」
 その妹の言葉に雅貴は、
「いや、違う。」
 はっきりときっぱりと否定する。
「えー!どうしてぇ!?結構いい所をついたと思ったのに!!」
 恋美の不満の言葉に、雅貴はこう答える。
「だって、意味がないだろ?あいつは、ここに予告状を送ってる。恋美。お前にそんな事する必要はないはず
 だぜ。だって……」
 そこで雅貴は一息つき、そして続ける。
「あいつは、そんな回りくどい事をするような奴じゃないからな。」
 恋美は、その雅貴の自身たっぷりの言葉を聞いて、言う。
「お兄ちゃん……まるで、ルージュの事、何でも知ってるって顔してるね。」
 その言葉を聞いた雅貴。顔をぼっと赤くする。そして、うろたえながら、
「ば、ば、ば……バカ言うな、恋美。いくら俺だって、そんな、ルージュの事を何でも解ってるだなんて、
 そんな事……。」
「はいはい。照れない、照れない。でも、それじゃ……誰がこんな事を………?」
 恋美の雅貴をなだめながらの言葉。それに雅貴は、火照った自分の顔を右手で扇ぎながら言う。
「誰かは解らねぇが……。ま、まっとうな人間とは思えないよな。」
 雅貴の言葉に、頷く恋美。それを見て、意を得たように雅貴は言葉を続ける。
「それでだな……俺、やっぱりまっとうじゃない人には怨まれやすい事してるから……。」
 雅貴の難しい顔を見て、恋美が雅貴の言わんとすることを呟く。
「罠?」
 その恋美の呟きを聞いて、雅貴は答える。
「かもな。」
 そのいくらかの覚悟のこもる言葉を聞いて、恋美。血相を変えて叫ぶ。
「ちょっと、お兄ちゃん!!それって……!!!まずいんじゃない!?」
 そんな恋美の叫びに、雅貴はとぼけた調子で呟く。
「まぁ、まずいしヤバイだろうな。無警戒のまま行けば。」
「……よく、そんなに落ち着いていられるわね。」
 恋美のいわばあきれも混じる呟きに、雅貴。
「だって、騒いだってしょーがねーじゃねーか。ルージュも来るし、行かねー訳にもいかねぇだろ?」
「それは……そうだけどさ。」
 恋美の心配そうな声に、雅貴は立ち上がり彼女の肩をぽんと叩く。
「大丈夫だよ。俺だって、もう素人じゃねぇんだから。そう……俺の謎だ。俺の謎は、俺が解く。」
 雅貴の言葉にも、恋美はただただ心配で兄をじっと見上げるだけだった。

「カリン。状況は?」
 暖炉の前、それに向かって白衣で立つ男。プロフェッサーである。
 その後ろで、彼の背中を見ながら書類を持っている一人のショートボブの少女。
 そう。カリンだ。
 カリンは、自らの持つ書類に目を移すと、プロフェッサーに報告する。
「コネクションのエージェントと、江上が接触するのは、明日の夜。明後日の午前3時です。エージェントは
 明日の午後4時の便で到着します。」
 その報告を聞き、プロフェッサーはこくりと一つ頷く。そして、カリンに言う。
「……本部(コネクション)のエージェントが来るんだ。誰かが行った方がいいだろう。」
「私が行きます。学校を早引けします。」
 素早く答えるカリン。
 プロフェッサーは、その口の端を上げて顔に微笑を浮かべる。
「そうか。」
 あくまでも、無関心を装い、冷たい口調を続けるプロフェッサー。
「ところで……頼んでおいた事はやってくれたかな?」
 その顔に微笑を浮かべたままで、プロフェッサーはカリンに振り向く。
 それは、一見した所は天使の笑みにも似たものがあるのかもしれない。
 だが、その笑みの意味する本当の所は、誰にも解らない。
 カリンは、たった一動作。
 先程のプロフェッサーと同じように、こくりと頷いただけであった。
 プロフェッサーは、微笑みを絶やさずに呟いた。
「なるほど……ありがとう。」
 その言葉に、顔を赤らめるカリン。
 普通なら、ここで「あ、いや……そんな……。私にはもったいない……。」と、言う所だろう。だが、カリ
ンはあえてそれをしなかった。
 なぜなら、プロフェッサーはそれを望んではいないから。カリンには、それがよく解っているから。
 ただ、出された言葉を受け止めるだけ。
 今のカリンに許されるのは、ただそれだけ。
 ただ、顔を赤らめたまま------カリンは再びこくりとその顔を下げた。
 そして、そんなカリンに背を向けて、プロフェッサーは呟く。
「頼むよ。」
 その言葉は、カリンには届いていない。そのように呟いたのだ。
 もしも届いていたとしても、カリンは聞いていないのだ。そうでなくてはならない。
「行ってよし。」
「はい。」
 プロフェッサーの言葉に、カリンは返事をすると部屋から出て行く。
 再び振り向き、そんなカリンの背中を見ながら、プロフェッサーは自分のロッキング・チェアにその身を委
ねる。
 そう。彼は知っている。カリンが、決して彼の期待を裏切らない事を。
 そして、カリンが------自分の事を一番良く知っている事を。

 翌日・PM4:00-------空港にて、カリンは一人の男を迎えていた。
「お待ちしておりました。ミスターヤロウ。コネクションの中でも最も信用厚いあなたに起こし頂けるとは、
 われわれ組織ハーブも、光栄の至りであります。」
 自分に近づく一人の少女の姿に、ヤロウと呼ばれた中年の男は訝るような顔で尋ねた。
「君のような子どもが、案内役かね?お嬢ちゃん。」
 カリンは、落ち着いたような顔で答える。
「はい。もちろん、運転などの方は信用できるスタッフに任せておりますが。」
 カリンの物怖じしない態度に、ヤロウは少し苛立ちの表情を見せる。
「お嬢ちゃん。君のような子どもが、我々の世界に入るのは、少し早いのではないかね?私は本部コネクショ
 ンより、あのお方の信頼を得てこの取り引きに来たのだ。ここの首魁であるタイム殿が来るのが筋ではない
 かね?」
 少しすごんだヤロウの言葉に、カリンはどこ吹く風で答えた。
「少なくとも、私はプロフェッサーの信頼と寵愛をもっとも受けているスタッフです。プロフェッサーご本人
 は、日本ではまだしも、他国のこの世界ではあまりにもご高名です。それに、あのお方を甘く見られては困
 ります。プロフェッサー・タイムは、あなたのおっしゃる『あのお方』の御孫でもあり、その実力も決して
 低いものではないのです。おいそれと出て来る方が、愚かだとは思いませんか?」
 そのカリンの涼やかな言葉を最後に、2人はじっと見詰め合う。
 殺伐とした、ある意味戦いにも等しい見つめ合いだった。
 その時-----ヤロウは、いきなり笑い出した。
 笑い交じりに、言葉を発していた。
「いやいや。たいした嬢ちゃんだ。たしかに、タイムの奴がその信頼を寄せ、ここに遣わすだけの事はある。
 いいだろう。君について行こうではないか。」
 カリンは、静かに頷くだけであった。

 恋美が家に帰った時、真っ先に覗いたのは兄の部屋である。
 そこには、早めに学校から帰って夜の為にゆっくりと眠る兄の姿であった。
 その兄を見て、恋美はゆっくりとため息をつく。
 止める事が出来ない事は、恋美もよく解っていた。
 とかく、この兄はルージュや事件が絡むと人がどこか変わるのである。
 それを母に相談したら、こう言われたものである。
「パパもそうだったもの。」
 と。

 明日香は、自らの部屋でルージュのコスチュームにその身を包んでいた。
 そして、鏡を見る。
 窓を開けて、口笛を吹く。
 どこからか、紅の色をした鳩たちが中に入ってくる。
 ルージュ・ピジョンは、その鳩たちに向かって再び口笛を吹く。
 鳩たちはルージュの前で整列する。
 ルージュは鳩たちに向かって言った。
「今日は……絶対に負けられないのよ!!雅貴さん----アスカ3rdにもだけど……組織ハーブにも!!!!」

 そう。待ち続けたのだ。
 ずっとこの時を待ち続けた。
 少しながらも------あの、父の敵に一矢報いる事が出来るのなら。
 待ち続けた。
 そして、ずっとこの時を。
 プロフェッサーに対して一矢報いるのなら。
 この命、落しても悪くはない。
 雅貴さんを巻き込んでしまうのは少し気が引けるが。
 どうしても、証言してくれる存在が必要なのだ。
 その代わり、守る。
 どんな事があっても、雅貴さんだけは。

 ……自分は、おそらく許さないだろう。
 罪無き人に涙を流させ、その涙に濡れた金を自分に出さざるを得ない状況にした人間を。
 自分は、おそらく許せないだろう。
 その人間たちを。
 自分を、ここまでにした者達を。
 ルージュは、ポツリと呟いた。
「仇は……きっと討つ……………。」


 そして、今夜……
 最後のシナリオが、着々と紡がれていく--------。

© Kiyama Syuhei 木山秀平
© 立川 恵/講談社/ABC/電通/TMS
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