Report 6 挑戦と陰謀と


「はい…はい。しかし、母上。賛成しかねますな。いえ……そんなつもりは。祖母上も一体……。はい。はい。
 解りました。」
 白衣に左眼帯の青年は、ロッキングチェアに座りながら電話を置いた。
 その19世紀の終わりから20世紀初頭の英国風アパートメントの一室を思わせる雰囲気の部屋には、実は世の
ハイテクの粋が凝らされている。
 それだけではない。この部屋こそは、最近聖華市の闇の中で着実に勢力を伸ばしている裏組織『ハーブ』の
首魁・暗号名(コードネーム)プロフェッサーの自室兼司令室なのである。
「ふう……困ったものだ。美術品売買はリスクが大きすぎる。母上も祖母上も、元は怪盗であったならその辺
 の事は判っているだろうに。まったく……。我々は確かにコネクションの末端だがその使命はもっと……。」
 その時、ドアがノックされた。
「誰だ。」
 プロフェッサーの静かな、されど鋭い誰何の声にドアの向こうから答えが返る。
「カリンです。プロフェッサー。頼まれていた紅茶を……。」
 そう。その声は確かにプロフェッサーの側近の一人である香鈴(カリン)のものだった。
「入れ。」
 プロフェッサーは短く答える。
 ドアが開き、カリンが入ってくる。
 カリンはプロフェッサーの前まで行き彼の前にある机の上、電話の横にティーカップを置く。
「タイムティーか。」
「はい。」
 にこやかに答えるカリン。
 プロフェッサーは、無言でティーカップに指を掛けると、中に入っている紅茶を一口すする。
 カリンは、無言を保つ。
 彼女は、知っている。プロフェッサーは余計な事を言わない。
 そして、自分の言葉も待ってはいない。
 プロフェッサーは、プロフェッサー・タイムはそのような事はしないし、カリンもそれを望んではいない。
 しかし、その日のプロフェッサーはいつもと少し違っていた。いつも浮かべる不敵にして知的な微笑みが無
い。無邪気にして、邪悪な微笑みが無い。いつに無くげんなりとした顔をしていた。
 そして、彼はその顔に苦笑を浮かべながらポツリと呟いた。
「タイムではなく、ラヴェンダーやローズマリーを飲み下せたら、かなり気が楽になりそうだ。」
 ……タイムも、ラヴェンダーもローズマリーもハーブの種類の一つである。
 が、この組織の中でその名は、特別な意味を持っていた。
 だが、カリンは沈黙を守る。
 自分は何も聞いていない。そうなのだ。プロフェッサーは、自分がそれを聞く事を望んでいない。
 報われない想い。それでもいい。
 ただ、ただ、プロフェッサーの側で彼女はつっ立っていた。
 そして、プロフェッサーは微笑する。それは、カリンがいつに無くドキリとその胸を高鳴らせるほどに素敵
な笑みだった。そして、今までにカリンが見た事の無いやさしい笑みだった。
 そして、プロフェッサーはカリンに言う。
「カリン。頼まれて欲しい。」
 カリンは、ゆっくりと頭を下げた。
 ただ、ただ、愛する人の為。ただ、ただ、思いを寄せる貴人(ひと)の為。

 翌日。
 聖ポーリア学院・中等部。
 大沢香鈴は、自分のクラスである2年C組でじっと窓の外を見ていた。
「香鈴さん。何してるの?」
 いきなり声を掛けられて、香鈴の心臓がドキリと跳ね上がる。
 思わず振り向く香鈴。そこには、同級生の倉見真美がいた。
 香鈴は真美の過去について少しだけ知っていた。
 組織が目を付けていた不良であった事も。
 しかし、組織が彼女をスカウトしようとした矢先。
 下部組織がごたごたを起こし、彼女はそれに巻き込まれた。
 その時に、真美を助けたのが聖良であった。
 彼女はその事が原因で不良である事をやめて、シスター見習いとなってしまった。
 それを知った時は、香鈴も思わず舌打ちをしたものである。
 もっとも、カリンとしては学校では組織の為に表立って動けない。
 こういう所で表立ち目立ってしまうのは、組織の一員としては愚の骨頂であるからだ。
 結局、組織は彼女をスカウトできずに逆にSEPに取られてしまったのである。
 閑話休題--------。
 香鈴は真美ににこやかに言う。
「何でもないわ。倉見さん。」
「そう?何かあったら言ってよね。助けにはなれないかもしれないけど、それで気が楽になると思うから。」
 それは、シスター見習いである真美の仕事である。
 香鈴は、真美の言葉にこくりと頷き、そしてまた窓の外に目をやる。
 その間に真美は、少し香鈴から離れて自分の席で聖書を読み始める。これは、聖良から渡された宿題。
 難しい顔をして、頭を掻く真美。
 そして、窓の外を見る香鈴の視線の先では、赤いリボンで結ばれたポニーテールが揺れていた。
 下では、ちょうど1年生の屋外体育の授業中。
 香鈴は、ポツリと呟いていた。
「妹さん……ねぇ。」
 その呟きは、真美には聞こえる事はなかった。

「あー。少し寒かったけど、いい汗かいたぁ。」
 恋美は大袈裟に叫ぶと、女子更衣室で着替えを始める。
 他のみんなも既に着替えを始めている。
 恋美は、グイッと上着を脱ぐ。
 下着姿となった彼女を見て、側にいた制服姿の明日香がポツリと漏らす。
「健康的ねー。」
 今日は、明日香は火事の傷が治りきっていないと、体育を見学していたのだ。
 そんな彼女に、恋美は微笑んで言う。
「それが、あたしの取り柄だもん。それとも、何?ガキっぽいとか言いたいの?別に慣れてるからいいけど。」
「そんな意味、無いわよ。本当に、感心してるだけなのよ。」
 少しだけ焦ったように言う明日香に恋美は、はにかみ笑いを浮かべて言う。
「判ってるよ。明日香ちゃん。だって、明日香ちゃんそんなこと言う人じゃないって知ってるもん。」
 その言葉と表情に明日香。
「あー!からかったわね!!」
 そう叫ぶと恋美に飛び掛かる。
「きゃ!!」
「こーしてやる、こーしてやるぅ!!!」
 明日香は、そう叫びながら恋美の体をくすぐり出す。
「きゃははははは!!!やめて、やめてぇ!!」
「やめるもんですか!ほら!!謝りなさいよぉ!!」
「やははははは……死んじゃう…笑い死にしちゃうよぉ……。」
「ほらほら!!どうするの!?」
「にゃはは……ごめーん!!ごめんってばぁ……あははは……だから、もう許してぇ…………!!」
「よーし!よろしい!!」
 そう言って、明日香が恋美から離れようとした時。

  パシャ!!

 いきなり、フラッシュの光とシャッター音が更衣室に響く。
『え??』
 一瞬後、恋美と明日香の間抜けな声が重なって先程のシャッター音と同じように更衣室に響く。
「ふっふっふ。ばっちり撮らせてもらったわよ〜〜〜。」
 更衣室の入り口に立って、不敵に笑うその娘は恋美と明日香の良く知る顔であった。
 隣のクラスの川崎美奈だ。恋美の昔馴染みでもある。
 美奈の後ろから、もう一人の少女が顔を出す。
 恋美の昔馴染みのもう一人。山本章子だ。
 2人ともその母親が恋美の両親の中学時代の同級生である。
「しっかし、恋美と明日香ちゃんがね〜〜〜〜〜。」
 美奈の言葉が響く中、恋美も明日香もいきなりの展開に絶句して動けない。
「これで、明日の1面はもらったわっ!!!」
 章子の言葉に、恋美と明日香の呪縛が解ける。
『ちょっと待ったああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!』
 息もピッタリ、ナイスコンビネーションで章子と美奈に詰め寄る恋美と明日香。
「どーするつもりよ!!その写真!!!」
 息巻く明日香に章子はへーぜんとして、
「決まってるじゃない。明日の1面!タイトルは『学園に芽生えた禁断の愛!!茨の道の行方は!?』う〜ん。しび
 れるわ〜〜〜〜。」
 とのたまう。
「じょおっだんじゃないわよっ!!そんなことされてたまるもんですかっ!!あんた、親友を売る気??」
 怒髪天を突く勢いで叫ぶ、明日香の悲鳴交じりの言葉も、片手にカメラを持ったまま、軽く受け流そうとす
る章子。
 一方、恋美と美奈は淡々と話をしていた。
「ねぇ。本気?」
「う〜ん。あたしとしてはどーでもいいんだけどね?編集長の章子がこうまで乗り気だと……。」
「章子ちゃん、暴走するとなかなか止められないものね。」
「あたしもだけどねぇ。あそこまでひどくは無い……と、思いたいわねー。」
 そして、2人は揃ってため息をついた。
 しかし、その間にも明日香と章子の論争はますますヒートアップしていって、このままだと掴み合いの喧嘩
になりかねない様相を呈している。
「我が聖ポーリア学院新聞部の偉大なる先達の言葉に従っているだけよっ!!あたしは!!」
「何よ!!それっ!!」
 明日香の叫びに、章子は握り拳をぐっと固めて力いっぱいに叫ぶ!
「『捏造は、スクープ記者の基本っ!!』」
「んなおばかな先達の言葉があるかああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「だって、あるんだもん!!」
 ……それは、その『偉大なる先達』の若気の至りゆえの大間違い発言なのだが……。
 それを、今の章子に言ったって無駄だろう。
 ついに2人の手が出ようとした時、恋美が間に入る。
「まぁまぁ。明日香ちゃんも章子ちゃんも。落ち着いて。」
「恋美ちゃん!!どうしてそう落ち着いてるのっ!!」
 叫ぶ明日香に、恋美は微笑を浮かべて自分の右人差し指で左の手のひらを指差す。
「いい?明日香ちゃん。よく見ててね?」
 いきなりの恋美の言葉に、毒気を抜かれる明日香。
 恋美は、左手を握るとその手を振って叫ぶ。
「ワン!ツー!」
 そして、一気に叫ぶ。
「スリーーーーーーーッ!!!!!!」
 すると……何も起きない。
「あれ?」
 不思議そうな顔をする恋美。
「おっかしいなぁ……。」
 恋美は首をかしげて自分の手を見る。そして、章子のほうを見る。
「どーしたのよ。」
 そして、美奈もじっと恋美を見つめて呟く。
「まだ、恋美のママみたいには行かない?」
「うーん……。」
 恋美は、また首を反対にかしげてふに落ちないような表情をしていた。

© Kiyama Syuhei 木山秀平
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