Report 4 炎の中に企みが踊る


 バックドラフトが起きて、明日香は外に投げ出された。
 見事な反射神経で、着地する明日香。この辺は、さすがといった所か。
 上を見ると、先ほど明日香が外に出た窓から、ものすごい量の炎が吹き出ている。
 すさまじい火事場の熱さだというのに、明日香は冷や汗をかいて呟いた。
「あ…危ない所だったわ……。」
 そう。明日香はバックドラフトが起こる瞬間にその勢いを利用して外に出た。
 そして部屋から炎が吹き出る前にその軌道から脱出して着地したのだ。
 怪盗ルージュ・ピジョンたる彼女だからこそ出来る荒業である。既に神業と言ってもいいかもしれない。

「い、今のは!?」
 雅貴は慌てて階段の上を見上げる。
 既に家の中は完全な火の海。雅貴が入っていった玄関も、もう十分に火が回っている。
 母屋に走る火の手に、雅貴は一瞬たじろいだ。
 そこへ、先程の爆発。
 雅貴の頬に冷や汗が走る。
「ゆうきちゃん……。」
 明日香への心配。それが思わず雅貴の歩みを1歩進める。
 しかし、それを見計らったかのように雅貴に炎が襲い掛かる!!
「うわぁっ!!」
 思わず玄関からの出口に向かう。しかし、そこは雅貴の入って来た玄関口ではない。
 雅貴は知らないが、それは美術館となっているアトリエへ続く出口である。

 美術館となっている離れのアトリエに入る明日香。
 アトリエも、既に火の海となっている。
 しかし、しかし。入っていった瞬間。
 明日香は自分の目が信じられなかった。
 アトリエに作ったミニホール中央に伏したまま動かない人の姿。
 あやだ。
 明日香の体から、血の気が引く。
「あやおばさん!!」
 慌てて駆け寄る明日香。あやを抱き起こす。
 だが、すぐにほっとする。あやが気絶しているだけだとわかったからだ。
 そして、明日香は顔を上げる。すぐに顔をしかめた。
 無い。
 あるはずのものが無い。
(やっぱり……。)
 明日香は、舌打ちをする。
 壁に掛けられている絵が、一つも無くなっているのだ。
 いや、壁の絵だけではない。
 他にも、床の上や壁に立てかけてある未整理の絵もあった。
 それも消えている。
 明日香は思わず呟いた。
「あやおばさんを気絶させ、絵を運び込み、火をつけてそのどさくさに紛れて逃げるなんて、なんてサイテー
 な奴らなの……!!ひどい!!許せない!!!!泥棒の風上にもおけないもっとも卑しい手口じゃないの!!!!!!」
 ぎりぎりと怒りに震える奥歯を噛み締める。
 火が回り、アトリエの梁が、がらがらと崩れ落ちていく。
 明日香はあやを背負うと、前に進もうとした。
 その時-----足元が崩れる。
「きゃあっ!!!」
 明日香の右足が床下に抜ける。それでも、体全体が落ちる事はない。
「あー。びっくりした。」
 左足で体を支え、右足を引き上げようとする明日香。
 だが、ある事実に気づく。
(う…そ……。)
 顔を青くして、明日香は叫んでいた。
「足が抜けないっ!!!」
 しかし、まだ明日香に降りかかる状況の悪化はとどまる所を知らない。
 明日香は気づいていないが、先程まで出ていた汗がすっかり引いている。
 いや、違う。汗になるべき水分が、もう明日香の体の中に残っていないのだ。
(あ…れぇ………??)
 喉の渇きが限界に来ている事に、明日香はようやく気づいた。
 それだけではない。体の熱さがもう既に絶えれる限界を超えている。
 急速に意識と視界がぼやけていく。
 明日香は、その場に左の肩膝をついた。
 そう。
 脱水だ。しかも急速な。

「きゃあっ!!!」
 アトリエから、聞き覚えのある声-----しかも、悲鳴だ-----が聞こえて来た。
「ゆうきちゃん!!」
 雅貴は叫ぶと、声のする方向へと走り出す。そう。アトリエに向かって。

 脱水症状が起きて朦朧とした頭で、明日香は必死に自分の体を前に進めようとしていた。
 だが、足は抜けずにただ空回りするばかり。
「う……あ……。」
 あやを背負ったまま、ついに倒れる明日香。
(怪盗ルージュ・ピジョンが……こんな所で倒れるなんて……!!)
 愕然とする明日香。しかし、次の瞬間にはどこか悟ったような笑みを浮かべる。
(これで、あたしも終わりか……。でも、でもあたしは明日香として死ねる。ルージュじゃなくて。それだけ
 でも、もしかしたら幸せなのかもしれない。そうよ。泥棒として死ぬよりかは……。)
 そして、諦めたように目を閉じる。
(アリシア……あたしも、やっとあなたの元に行けるわ……あたしたち泥棒なんかしちゃったから、神の御許
 へは行けないかもしれない。でもあたしたち、これでずっと一緒よね。アリシア……。)
 そこまで思った時、不意に恋美の顔が脳裏に浮かぶ。
(恋美ちゃん……あなたと出会ってから、あたしの生き方にもずいぶん潤いが戻って来たわ……あなたのおか
 げで、あたしは自分の今までの一生で最高の幸せを感じる事が出来た……。あなたも、アリシアに負けない
 くらいの最高の親友だった……。)
 明日香の意識はどんどん遠くなっていく。
 そして、あるかないかの意識でうわ言をポツリと漏らす。
「ま……さ………す……きで……。」
 その時。バタンと言う音がする。
 明日香の意識は闇の中に完全に落ちた。

 雅貴は乱暴に離れのアトリエのドアを開ける。
 その目に飛び込んで来たのは、炎の中で倒れている2人の人影。
「ゆうきちゃん!!」
 雅貴は慌てて明日香の側に駆け寄る。
 明日香の上にかぶさっているあやを起こして外に運び出す。
 アトリエの外にあやを出すと、その足で急いで明日香を運び出す為にアトリエの中に取って返す。
 ふたたび明日香の側に駆け寄る雅貴。
「ゆうきちゃん!!!」
 叫ぶ雅貴。しかし、明日香の体はぐったりしたまま動かない。
 慌てて雅貴は、明日香の体をゆすってなお叫びつづける。
「ゆうきちゃん!!しっかりしろ!!ゆうきちゃん!!目を覚ませ!!おい!!!!!」
 炎が迫っている。一刻の猶予も無い。
 とにかく明日香を外に出そうと彼女の体を引っ張る雅貴。
 だが、その時に妙な抵抗を感じる。明日香の足元を見ると、そこには床を突き抜けている彼女の足が!しか
も火は彼女の足に迫っている。慌てて雅貴は明日香の足首を掴んで引っ張る。力の抜けた明日香の足は、すん
なりと床の穴から抜ける。
「ゆうきちゃん……明日香!!」
 雅貴の叫び。それに明日香の意識が引き戻される。
「あ……ま…さき……さん…………。あ…やおば……さん……。」
 明日香の呟きに、雅貴はやさしく力強く答える。
「大丈夫だ!!もう運び出したよ。」
「よか……った………。」
 そして、明日香の意識は再び闇の中へと落ちる。
「ゆうきちゃん!!くそっ!!」
 雅貴は毒づくと、明日香を背負ってアトリエの外に出る。
 それと時を同じくして、炎に包まれたアトリエは崩れ落ちた。

© Kiyama Syuhei 木山秀平
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