Report 10 終章:そして……炎の借りを返す時


「どこに行かれるのですか?」
 雅貴は、江上の会社の車庫で問答をしていた。
 その問答の相手は、この会社の社長と秘書-----江上たちである。
「どこに行こうと、私の勝手だろう。」
 雅貴は、じっと江上を見る。そして、呟いた。
「第8埠頭じゃないですか?」
 江上たちの顔に、緊張が走る。
「貴様……なぜ、それを!!」
 秘書が、雅貴の後ろに回る。ちょうど雅貴が挟み撃ちにされている構図だ。
 それでも、雅貴は騒がずに続けていた。
「先程、絵を数枚車に積んでいましたねぇ。あなたの持っている、」
 と、そこで雅貴は江上の持つアタッシュケースを指差す。
「そのアタッシュにも、いくらか入っているのではないですかね?」
 江上たちの顔の緊張が、更に厳しいものとなる。
 雅貴は、ため息をついて江上たちを安心させるように猫なで声で、されど強い語気で言う。
「ご安心下さい。中身は何かなんて、野暮な事は聞きませんよ。ただ……ねぇ。ルージュから予告状がありま
 してね。既に第8倉庫には警官を配備させています。私が行かないと、配備替えは出来ませんし……。」
 雅貴は、そこまで言うと自分のSEPカードを取り出して江上に示した。
「それに、私は県知事より正式に任命されたルージュ・ピジョンの専任捜査官です。拒否する事は、これは即
 ち県制令への非協力と言う形にもなりますが……?」
 このあたりは、既に手慣れたものである。
 江上は、苦々しく雅貴を見据える。
 秘書も、困った顔をして江上を見る。
 江上は、市長とも親しいが、県知事までの人脈はない。
 ギリギリと歯をきしませる。
 その状況に追い討ちをかけるように、雅貴はPHSを取り出してダイヤルを回す。
「もしもし?慶正の理事長……和泉先生をお願いします。」
 雅貴の電話先は、慶正学園の理事長にして同学園中等部と高等部にて選択科目の音楽発展(ダンス)の講義と
環境学を担当している和泉氏である。
 (慶正の教育カリキュラムは一部選択制である。この時代のカリキュラムは学校の特色により、中学でもあ
  る程度の選択の幅を持っている。)
 この人物、実はこの国で1,2を争う実績を持つイズミコーポレーションの社長でもある。
 慶正学園は、このイズミコーポレーションと、聖ポーリア学院、同慶正福祉会、そして文部省(&聖華市及び
関連地方自治団体)が共同(人材も)出資している第3セクター式の学園(財団法人)なのである。
 雅貴は、実は彼の環境学と音楽発展の講義をしっかりと受けている。
 余談になるが、この講義。ものすごく人気が無いのだ。
 特に音楽発展。まじめに授業をとる人間がいなかったのでほとんどゼミ形式で進んでいた。
 こういう所から「和泉先生」と雅貴の交流が始まったのである。
 --------閑話休題。
「あ、もしもし?あー。因幡先生。あ、どーも。和泉先生は?会議中……。え、終わった。はい……。」
 PHSの向こうと雅貴の間でそういう会話があったと思うと(ちなみに因幡先生とは、いわゆる「和泉先生」の秘
書であり、なんだか2人には、他人にはよく解らない絆があるとか。ついでに言えば、彼も慶正学園で教鞭を
執っており、専攻は数学である。ちなみに、時々高等部の歴史神話講義の一部を受け持つ事もある。)いきな
り明るい声でPHSにしゃべり始めた。
「あ、お久しぶりです。和泉先生。え?なっちゃんでいいって?いやー、そーゆー訳にも行かないでしょう。は
 い?今度来てくれ……いやー、遠慮しときます。まだきれいな体でいたいですし。ははは。で、昼に……は
 い。ええ。目の前にいます。お願いしますね。」
 雅貴は、そう言うとPHSを江上に渡す。
 江上は、何が起こったか要領を得ない顔でPHSをその耳に当てる。
『やあ。江上クン。』
 そこに出たのは、江上の表の顔の1つである『江上画廊』の超大口お得意様であるイズミコーポレーション
社長の声だった。
「はっ!!はい!社長!!」
『そこにいる飛鳥君ね。彼、なかなか頼りになる少年探偵だからねぇ。使ってやってはくれまいか。』
 若いながらも、威厳たっぷりの声に江上はびびりまくりである。なぜなら相手は超お得意。下手に機嫌を損
ねたくはない。当然、江上の返事は決まっていた。
「はっ!!はいはい!!!!社長がそうおっしゃるのなら、喜んで!!!!」
 そして、PHSを雅貴に帰した時、彼の顔には笑みが浮かんでいた。
 再びPHSを頭に当てる雅貴。その上機嫌の表情で社長と話している彼を見て、江上は心の奥底で呪わしく舌
打ちをした。

 第8埠頭。
 そこには、数日前から一隻の船が停泊していた。
 その船の横に黒塗りのリムジンが止まる。
 そこから一人の男が外に出る。
 今日---いや、既に前日か。午後4時に空港に到着したミスターヤロウである。
 その彼に、リムジンの中から声がかかる。
「私は、手伝いが出来ませんか……。」
 その声を発したのは、白衣に左眼帯をした一人の青年。
 そう。プロフェッサーである。
 その彼に、ヤロウはにこやかに答える。
「なぁに。ただ単に取り引きだけだ。君の手を煩わせる事もあるまいよ。」
「しかし、ミスター。気を付けて下さい。妙な奴等がうようよしていますよ。」
 プロフェッサーには、そこらに刑事がいる事が解っていた。
 当然である。自分がそう仕向けているのだから。
 だが、ヤロウはそんな事は知らないし、気づいていない。
「解っているとも。だが、心配御無用。何しろ私もコネクションにその人ありと唄われた人間だ。」
「嘘はよしましょうよ。この世界、名が売れてしまえばおしまいです。私も……あなたもね。だからこそ、祖
 母上も母上もあなたを信頼しているのでしょう?裏世界で名を出さずに目的を遂行できる、ミスターヤロウ
 と言う人間を。私の忠告は、万が一とお思い下さい。」
 そこまで静かに言うプロフェッサー。その言葉に、ヤロウはニヤリと答えた。
「……解っているじゃないか。」
 それと同時に、プロフェッサーが彼につけたボディーガードとともにリムジンから降りるヤロウ。
「では、私は行きますよ。」
 プロフェッサーはそう言うとリムジンのドアを閉めて、運転手に行くように促す。
 その場から去るリムジン。ヤロウは、それをずっと見送っていた------。

 リムジンは、ヤロウの死角に入るとすぐに取引の現場が見えやすい場所へと移動した。
 その場所は、取引現場からはちょうど死角となる。
 その場所には、ちょうどカリンが待っている。
「失礼します。」
 そう言って、リムジンのドアを開けてプロフェッサーの隣に座るカリン。
 無言の彼女に、プロフェッサーは笑みを浮かべて呟いた。
「さぁ。茶番劇の始まりだ。ふふふ……Now It's Show Timeってか。」

 午前3時10分前。
 ヤロウは、すでに停泊している船の甲板に上がっていた。
 20世紀後半から、ヤバイ場合、船上での取り引きが当たり前の事となっている。
 すぐに他の国へとんずらが出来るからだ。
 きちんと航行許可が出来ていれば、どこの国に行こうともその国以外の他国の警察は手出しが出来ない。

 プロフェッサーは、リムジンから双眼鏡をじっと覗いていた。
「さあ……。踊ってくれ……アスカ3rd………。君なら母上たちの逆鱗を逆なでしても、そう影響はないんだ
 よ。何しろ、母上たちは君を初めから殺すつもりでいるんだからね。セイント・テールに絶望の二文字を傷
 として心に埋め込み、その傷にさらに塩を擦り込みたいとのたまうあの母上たちだからね……。」
 プロフェッサーのその言葉、決して冗談でも何でもない事は、組織に身を置く人間なら全員解っている。
 だが、それでもカリンはプロフェッサーの瞬間浮かべた陰鬱な笑いに身震いを感じずにはいられなかった。
 その笑いは、自らも破滅に導こうとする……自滅への笑いにも思えたからだ。

 3時10分前。
 江上の車が、埠頭に到着する。
 車から降りる江上。雅貴もその後に続いて車から降りる。
 ヤロウは、甲板からその様子を見て瞬間顔を強張らせる。が、すぐに江上に甲板に昇るように言う。
 江上は頷くと、秘書とともに船に乗り込もうとする。
 その後ろから雅貴もついていく。
 その状況に困った顔をしてヤロウを見上げる江上。
 だが、ヤロウは雅貴も共に甲板に上げるように江上にゼスチャーした。
 江上と秘書は船に乗る。雅貴も後を追う。
 周囲にいる数人の捜査官が雅貴に続こうとして船に近寄る。
 だが、捜査官が近づく前に船はその桟橋を上げてしまう。
 捜査官たちを取り残した形で、船は出港する。
 船の中に、雅貴の味方はいない--------。

「なるほど。ヤロウはアスカ3rdを海の藻屑と消すつもりか。まぁ、それもいいだろうが……。」
 プロフェッサーは、楽しげに口の端を歪める。
「奴にそれが出来るとも思えんがね。」
 嬉々としたプロフェッサーにカリンは言う。
「船を出しますか?」
 プロフェッサーの答えは決まっていた。
「当然だとも。カリン。」

 船の甲板で。江上は雅貴に向かって言った。
「君も、つくづく馬鹿だねぇ。アスカ3rd。」
 雅貴は、その言葉に両手を挙げたままで答えた。
「ええ。よく親からも言われますよ。例えば『お前は猪か?前後の事を考えろ』ってね。」
「こんな事になるとは考えなかったのかね。」
 ヤロウは、雅貴に冷ややかな嘲笑にも似たニュアンスでその言葉を投げかけた。
「………。何、冥土の土産にでも教えて欲しい事があってね。」
 雅貴は、なぜそんな言葉をヤロウに投げかけるのか。答えは周囲を見れば一目瞭然。
 ヤロウの部下の一人が、雅貴に向かって銃を突き付けているのだ。
 それもすべてヤロウの指示。そう。ヤロウはこの取り引きの際に組織からもう一つ指令を受けていたのだ。
 それは、即ち。
『チャンスがあるなら、アスカ3rdを殺せ』
 と、言うものだったのである。

「……母上。あなたはアスカ3rdを甘く見過ぎだ。あの少年は、あなたのライバルの力と志を継ぐものなので
 すよ。ちょうど私があなたのさだめを受け継いだように………。」
 プロフェッサーは、ヤロウに悟られない距離に浮かぶボートの上に立ち、涼やかに微笑を浮かべる。
 そう。今までの事はすべて、ハーブ・コネクションのナンバー2である彼の母が計画した事。
 アスカ3rdを巻き込ませ、殺す計画。プロフェッサーは、彼の母が計画したように行動していた。
 そのようにカリンに指示を飛ばした。
 だが、母の意見に黙って従ったその本当の理由は----------。
 今回だけは母のやり方に不満があり、また組織の本当の意義を見失いかけているとプロフェッサー自身がそ
う考えたからである。
 プロフェッサーの母。その暗号名こそ「ラヴェンダー」。そう。「ラヴェンダー・パール」。

「ハーブ・コネクション……国際的犯罪組織。だけど、一体君たちは何者だ?」
 雅貴の発した質問。それに対してヤロウは訝るように言う。
「どういう意味だ?」
「なぜ、国際的犯罪組織がこんな一地方都市を攻めるのか、と言う事さ。聖華市は、それこそのんきな場所。
 住民である俺が言うのもなんだと思うが、いくらかの自治権が認められているだけで後は他の都市と何ら変
 わりは無い。こういう所よりも首都を攻める方がいいんじゃないのか?組織としては。それから……。」
 そこで雅貴は言葉を切る。雅貴の眼光とヤロウの眼光。2人の視線が絡み合う。
 老練な犯罪組織の幹部と全てに光を照らし見透かそうとする少年。
 ヤロウの微笑。そして、雅貴は余裕の表情のままで高らかに言う。
「なぜ、君らは俺を……いや、俺たち一家を狙う!?」
 その言葉を発し、なお雅貴の顔からは余裕が消えない。
 ヤロウはそんな雅貴を見て気に入ったとでも言うように微笑の色を強め、そして言った。
「全ては、ラヴェンダー・パール様の御心のまま。お前は……いや、お前の両親はあの方の逆鱗に既に触れて
 しまっているのだ。それは、お前の祖父母の世代より始まっている。いや、飛鳥の。そしてルシファーの血
 を持つ事。それこそがお前の罪。そして、アスカJr.の。セイント・テールの。2人の心の結果である貴様が
 いる事。それ事体が、あのお方にとっては嫌悪すべき事なのだよ。」
「もう一つ。君たちはおそらくいろんな人を殺して来たんだろうね。マジシャンを殺した事は、あるかい?」
 その雅貴の言葉に、ヤロウ。
「マジシャンは私はないな。道化師なら殺したがね。そう。名前は……結城誠。」
 雅貴に銃を突き付けている男の腕がびくりと震える。
 ヤロウも雅貴も、それに気づかずに話を続ける。
「結城誠……うん。聞いた事がある。そ、か。道化師だったんだ。でも、それは違う。彼ももとはマジシャン
 だったんだよ?知ってたかな。」
「何?」
「結城誠。うちの母さんにとっては、弟分に当たる。十数年ほど前に、行方をくらましたって言うけどね。何
 やってたんだか……。源じいちゃんの……今の所は最後の弟子だよ。『不肖の』がつくけど。さて……。お
 しゃべりは……。」
「そう。おしゃべりは終わりよ。ハーブの傀儡ども。」
 雅貴に向けられていたはずの銃が、いつのまにかヤロウたちの方に向いていた。
「何っ!!」
 ヤロウの叫び。
 男は、上着を雅貴たちの自分への視界を遮るように脱ぎ捨てる。
 次の瞬間、雅貴の、そしてヤロウたちの前には紅い瞳を持つ一人の少女。
 そう。ルージュ・ピジョン。だが、その雰囲気のなんと殺伐とした事か!!!
 少なくとも、いつものルージュではない。雅貴には、それがはっきりと解った。
 目の前のルージュは、いつものルージュではないが確かにルージュである事も。
「ルージュ……。」
 雅貴は、そんな彼女を案じて心配そうに(よく考えれば、専任捜査官としては不謹慎だが、)ポツリと呟く。
 ルージュは雅貴に振り向くと、微笑を浮かべて言う。
「こんばんわ、アスカ3rd。予告通り来たわよ。」
 そして、ヤロウたちに向かって言う。
「さて、絵をもらいましょうか。」
「いつになく殺気立ってるな。」
 いつもと違うルージュに、雅貴はそう声をかける。
 それに対してルージュは、ポツリと呟いた。
「目の前に……父親の仇がいるのに、殺気立つなと言う方が無理よ。」
「え?」
 ルージュの呟きは、雅貴には聞こえなかった。
 だが、ヤロウたちには聞こえていたらしい。
「なんだと!?それでは、お前はあのお方の……!!!!」
 ヤロウの叫びは、最後まで終わらなかった。
 ルージュが、ヤロウの足元に銃弾を放ったのだ。
 ビシッ!!という乾いた音が甲板に響く。
「絵を渡しなさい。話は、ゆっくりとしましょうよ。私は……私から愛するものを奪ったあなたたちを絶対に
 許さない。人の幸せを奪い、命を奪うあなたたちなど!!!!」
 そういってゆっくりとヤロウたちに近づくルージュ。
 ヤロウと彼の他の部下が拳銃を取り出す。
 だが、ルージュは片手で拳銃を支えたまま自分のスカートの下のホルダーから釣竿を取り出す。
 一瞬の内に、釣竿に付けられた糸の先の鉛がヤロウたちの手から拳銃を弾き飛ばす。
「痛っ!!」
 そのヤロウの声と共に彼らの拳銃が甲板を滑って海に落ちる音がする。
「さあ!!絵を渡しなさい!!早く!!」
 ヤロウは、悔しそうに江上に目で合図をする。
 江上と秘書も、良く似た表情をしながら前に出て、アタッシュケースと絵を差し出す。
 ルージュは、それを素早く受け取ると中身を見る。
 絵も確認する。
 その動作は一切の無駄も隙も無い。
「確かに……本物のようね。浅井駿英氏の絵だわ。」

「ルージュ・ピジョンが現れた?……あの娘は!!」
 プロフェッサーの双眼鏡が、一人の少女------ルージュを捕らえたままで止まった。
「父親の仇………。」
 ルージュの唇を読んだらしい。プロフェッサー・タイムの表情が驚愕に変わる。
「何と言う…何と言う事だ……。」
 そのプロフェッサーの表情は、カリンにも容易に見てとれる事が出来た。
 だが、そんなカリンに対してプロフェッサーは驚愕の表情のままでそれでも冷静な声を失わずに呟いた。
「早いが、始末しろ。」
「はい?」
 聞き返すカリン。本来なら、許される事ではないがそれでも聞かずにはいられなかったのだ。誰を始末する
のかを。始末するのは、誰なのか……そして、カリンの考えが正しければそれは組織への明らかな……。
「ヤロウを始末しろ。あいつは…………を知っている!!」
 カリンは、頷いた。
 肝心な部分は、どうも潮風に流されてしまったようだが、それでも承知した。
 それは、上位組織であるコネクションへの裏切り行為。だが、カリンはそれでも承知した。
 自分は、プロフェッサーと共に在る。
 用意していたライフルを、その照準をヤロウに合わせる。
 全てを計算して、カリンは引き金を引いた。

「さて、聞かせてもらいましょうか。先程あなたが言おうとした事を。」
 絵を確認して、ルージュは言い放つ。だが、ヤロウが口を開こうとした瞬間-----。
 彼は倒れた。こめかみから血を吹き出して。
『!!!!!!!』
 ルージュと雅貴の声にならない衝撃。
 瞬間、時間が凍り付いたような気がした。
「一体何が……。」
 雅貴の呟き。
「父さんの……死との…接点が………。プロフェッサーへの手がかりが……。消えちゃった………。」
 ルージュの呟き。

「すぐにここを離れるぞ。じきに警察が来るからな。」
 プロフェッサーの言葉にカリンは頷く。
「電気は消せ。」
 プロフェッサーの指示。当然カリンは電気を消す。
 闇の中で-----カリンはプロフェッサーの瞳と頬に一筋の星明かりを反射した煌きを確かに見た。
 そして、プロフェッサーの弱く消えそうな、しかし確かな呟きも。
「父さん……あなたは、僕を……たぶん、許さないでしょうね。」
 そんな彼らのボートの数十メートル横を通りすぎる形で、警察のランチが数隻、取り囲むようにタイムのク
ルーザーへと近づいていた。

 警察のランチを認めて、雅貴は呟く。雅貴の先程のタイムに対する余裕は、ここから来ていたのだ。
 自分のIDカードをはじめとする各種SEPアイテムは、実は発信機機能も持っている。
「時間としては、予定通り……。でも、遅かったかな。もう少しファジーに早い方が良かったよ。」
 そして、ルージュに向き直って言う。
「さて、ルージュ。もう逃がさねぇぞ。」
 そんな雅貴に、ルージュ。
「あら、アスカ3rd。何言ってるの?」
「何言ってるのは、俺の台詞だぜ。何しろここは海の上だ。しかも周りには警察のランチがいるんだ。」
 ルージュは、不敵にクスリと笑うと、言う。
「逃げ道は、いくらでもあるわよ。」
「何!?」
 ルージュは、状況にあっけにとられている江上たちの上を飛び越え、彼らの後ろにある船内への出入り口の
上へと下り立つ。
「どうするつもりだ!!ルージュ!!」
「こうするのよ。」
 雅貴の叫びにそう答えると、ルージュは船内への出入り口の上に貼り付けてあった大きな三角形のものを縦
に起こす。ルージュが、ヤロウの部下として潜り込み、船内に入った時に真っ先に準備したものだった。
 それは、真っ黒な----。
「凧……ハング・グライダーか!!!」
「ご名答。ちょっと、趣向を変えてみたのよ。じゃあね!!アスカ3rd!!!来てくれて、ありがとう!!!!」
「待てっ!!ルージュ!!」
「……と、いわれて待つ馬鹿はいないわよ。」
 そしてルージュは飛び立つ。
 雅貴は、痛恨の痛手を負ったような顔でそれをじっと見ていた。
 それから、たっぷり数十秒後。警察のランチが横付けされる。
 それと同時に雅貴は江上に向かって言った。
「話は、ゆっくり聞かせてもらいますよ。とぼけたって無駄ですからね。あなたの借りたレンタカーがあの浅
 井駿英美術館の火事の時、その出火時刻前後あの辺で目撃されているんです。間違いないですよ。何しろ、
 見たのが俺なんだから。駄目ですよ。あんなに慌てるように逃げちゃ。火事現場ってのは、無関係の人は絶
 対に立ち止まってみるものなんですからねぇ。」
 その雅貴の言葉に江上。
「父はセイント・テールがらみでアスカJr.に捕らえられ……私は貴様に捕らえられるのかっ!!せっかく、ゼロ
 から今の事業を起こしたのに!!!!」
「父の事件ファイルは俺は知りませんがね……。あこぎで非合法な方法で、と付け足しましょうかね?全く、
 皮肉ですねぇ。」
「くそっ!!!」
 江上はその拳を振り上げて甲板へと叩き付けた。
 それを横目で見ながら、雅貴は呟く。
「往生際が悪いですよ。Show Time is Dead End ……あなたの企みは全てこれで終わるのですから。」

「ええ。母上。やはり、我々は芸術の創作者であらねばなりませんよ。何が悲しくて我々が盗品買付けと横流
 しをせねばならんのです。それはそれでその手のプロがいますよ。我々の中にもね。それはそれで任せれば
 いいのですよ。それから……アスカ3rdに関してはもう懲りましたでしょう。私に任せて下さい。いいです
 ね。母上。私が最も彼に対して有効な手段をとれる……そうでしょう?ええ。聖華市攻略は、私にお任せ下
 さい。それでは、祖母上にもよろしく。」
 プロフェッサーは、そこで電話を切った。
 横でカリンがその様子をじっと見ている。
「私を、非難するかね?カリン。」
 カリンは、首を横に振る。
 その答えに満足したように、プロフェッサーは笑って言う。
「そうだな。我々組織ハーブは、芸術家集団でなければならん。犯罪芸術と言う大きな業の深い華を創り出す
 存在でなければならんのだよ。そして、それには……。」
 そこで、プロフェッサーは言葉を切る。
「邪魔だ。アスカ3rdは。危険だ。今回は、私の思う通りの範囲内で動いたが……それは、ルージュ・ピジョン
 と言う、私にとっても予想外のファクターがあったからだ。もしも彼女がいなければ、私のシナリオは完全
 にアスカ3rdによって覆されていただろう。」
 そして、プロフェッサーは苦々しそうに呟いた。
「皮肉なものだな……ルージュ・ピジョン。アスカ3rd。そして……。」
 プロフェッサーは、そのまま愛用のロッキングチェアに体を沈める。
 カリンは、そのまま眠りについたプロフェッサーに毛布をかけて、部屋から出た。
 また、いつの日か-----それは今日かもしれないし、明日かもしれない-----プロフェッサーを助ける為に。

 明日香は、あやの病室にゆっくりと忍び込み、アタッシュケースを彼女の横に置いた。
 そして、彼女の通帳も。
「盗みにかかった最低限の経費だけ……もらったから。残念ながら、おばさんからお金はそんなにたくさん頂
 けないわ。これからの美術館の再建費用もある事だしね。私も……表の私だけど、協力するから。頑張って
 ね。みんな、応援してるわ。」
 明日香は、そう言うとまたゆっくりと外へ出た。
 それからしっかり数分後----あやの意識は回復する。

 この一件から数日後。
 イズミコーポレーションの社会還元事業の一つとして、聖華市内に一つの美術館が誕生する事となる。
 館長、角井あや。
 そう。浅井駿英美術館だ。
 雅貴のイズミコーポレーション社長(雅貴にとっては恩師の一人)への口利きでこれが実現したのだ。
 警察が江上のオフィスから押収した浅井駿英関係の美術品も、既にあやをはじめとした持ち主の元へ戻って
いたのだが、あやはこれを精一杯説得して自らの元に取り戻した。
 その裏には、もちろんイズミコーポレーションの(慶正学園としての)後押しがあったからなのだが。
 そして、美術館オープンの日。壇上であやの演説が響く。
「……私の息子の生きて来た成果を、多くの人に。これこそが私の昔からの夢でした。」
 もちろん、恋美も明日香も雅貴もここに来ている。
「なんか……遠くなっちゃったね。」
 恋美が、なんとなく寂しそうに言う。
「仕方ないわよ。もう……零細じゃ無くなったんですもの。」
 明日香の呟き。
 雅貴は、じっと壇上のあやを無言で見ている。
 雅貴は実は、あやからある事を聞かされていた。だが、それは恋美たちには伏せてある。
 どうせ、今日解る事なのだ。
 壇上のあやの演説は、最高潮に達していた。
「……しかし、今日のこの日を迎えたのは、私の小さな友人たちの成果だと知っています。そして、私はそれ
 を忘れてはいません!!」
 そこで、周囲の照明が落とされ、暗転する。
 その中にさすスポットライト。
「きゃっ!!」
「な、何!?」
 思わず自分たちに向かうライトの眩しさで身を竦める恋美と明日香。
 そのスポットライトには、雅貴も入っている。
「羽丘恋美ちゃん、結城明日香ちゃん、飛鳥雅貴くん。この3人がいたからこそ今日と言う日があった。この
 3人がいたからこそ、この美術館は今日のスタートを切る事が出来たのです。そこで……。」
 あやの声が途切れる。一息の間。そして-----。
「この3人を、この浅井駿英美術館の名誉顧問に任命いたします!!!」
 そのあやの言葉と同時に、拍手が鳴り響く。
 それは、この美術館の為に尽力を尽くした3人に送られる拍手であった。
「さ、恋美。ゆうきちゃん。行こう。」
 恋美と明日香の2人を促す雅貴。
 2人は、頷いて照れながらあやと同じ壇上に登る。
 雅貴は、2人を壇上に押し上げて自分も壇上に登る。
 暖かい拍手が、3人の名誉顧問を柔らかく包んでいた。
 3人の若々しさがこの美術館の未来であるかのように--------。

FILE 14 THE END


© Kiyama Syuhei 木山秀平
© 立川 恵/講談社/ABC/電通/TMS
(asuka name copyright from「怪盗 セイント・テール」)
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