Report 1 偶然見つけた宝物?


 明日香が、その美術館を見つけたのは休日、学校の近くを通りかかった時のただの偶然である。
 ただ、学校のすぐ側の簡素な住宅街に美術館と言うのもかなりアンバランスなものがある。
 しかし、その外見を説明すれば、誰もが「ああ、なるほど」と、ここに美術館がある事を納得するだろう。
 すなわちその美術館は、一見した所美術館には見えないのだ。
 では、何に見えるかと言うと、周囲にある少し大き目の邸宅と同じような家に見える。
 即ち、その美術館は誰かが自分の家を開放して美術品を見せている……いわゆる私設の小さなギャラリーみ
たいな場所なのである。
 そして、その門には「角井」と言う表札とその下に「浅永駿英美術館」と言う看板がかかっていた。
 浅永駿英と言う名は、明日香も聞いた事がある。
 現代を代表する前衛芸術家だ。
 よく解らないモチーフと素材とテーマを扱いながら、その作品は多くの人の心に安らぎをもたらす。
 彼のファンの中には、彼の事を「現代超自然一体的幾何芸術の大いなる開祖」と持ち上げる人間も少なくない。
 ただ、惜しいかな彼は多くの芸術家がそうであるように、生前その才能を認められる事はなかった。
 そう。彼は、既にこの世のものではない。
 彼は慶正学園高等部在籍中、生まれ持って来た不治の病によって、この世を去った。
 享年は、16歳である。夭折の天才少年であった。
 その後、彼の在籍していた美術部の部長並びに顧問により、彼の作品が全世界に知らしめられる事となる。
 明日香の知っている、彼に関する知識と言えばそのくらいである。
「ふ……ん。」
 明日香はポツリと呟くと、その美術館に入っていった。

 美術館-----と言うよりは、はっきり言って少し大き目のプレハブ小屋に絵がかかっているだけだが-----に
は、ため息の出る作品が多かった。ルージュ・ピジョンとして幾多もの美術品に関わった明日香でさえ、ため息
をつかせるものがそれらの絵にはあった。
 その中でもひときわ目を引いたのは、この作者の主な作風(それは抽象画だが)には珍しい写実画だった。
 真っ青なラベンダー畑の中の親子連れ。
 その絵の前でじっとたたずんでいる明日香に、声がかかる。
「その絵、気に入ったのかしら?」
 いきなりの声に、明日香の心臓は跳ね上がる。
 思わず「きゃうっ!!」と叫ぼうとしたが、あまりに唐突だった為にそれ自体が喉の奥に引っ込んでしまった、
異様な感覚が明日香を襲う。そんな彼女を見て、声をかけた中年の女性が困った顔をして言う。
「あらあら、ごめんなさいね。脅かすつもりじゃなかったのよ。」
 明日香は、必死に呼吸を落ち着かせてその女性を見る。
 中年……ではあるが、かなり年配。温厚そうな女性で、肩にベージュのショールを羽織っている。
「こ……こちらこそ……すみません………。」
 息を整えるのに精一杯の明日香には、それだけ言うのがせいぜいだった。
 女性には、見覚えがある。
 美術館に入ろうと、玄関のベルを鳴らした時に出て来た女性だ。
 この美術館の主で、浅井駿英の母。確か名前は角井あやと言ったか。
「しかし、涼太も幸せ者ね。あなたみたいな可愛いお嬢さんにもこの子の残したものが解ってもらえるなん
 て。」
 そして、その絵をじっと見る。
「親戚の皆はこの絵たちを売ってしまえと言うけど……実際、あの子の絵はこれまでにも世に出てしまって、
 もう私の手には戻らないものも多いけど……。でも、あの子と私をつなぐ者は、もうこの絵しかないから。」
 独り言のように呟くあや。
 そして、明日香に向かって言う。
「よかったら、お茶でもどうぞ?何しろ、この美術館にお客が来るのは久しぶりの事だから。」

「……おいしい………。」
 あやの入れたハーブティーを飲み、思わず呟く明日香。
 ここは、プレハブの横のテラスである。
 更にテラス前の花壇には、いろいろな草花が植えてある。
 そして今、明日香が飲んでいるハーブティーの原料もやはりここで取れたものだと言う。
(懐かしい香りがする……。)
 そう。そのハーブティーからはあまりにも懐かしい香りがしていたのだ。
 あやは、にこにこしながら明日香に言う。
「このハーブティーはね、昔の友人に教えてもらったものなの。ラベンダーを基調とした香りでね。」
「ラベンダーの香り……。」
 ポツリと呟く明日香。そう。明日香が懐かしいと感じたのは、まさしくそのラベンダーの香りだ。
 そのノスタルジーを打ち消すように、明日香は声を上げて言う。
「そうですね。ラベンダーは、精神を落ち着かせる効果があるんですものね。」
「ええ。年下の友人だったけど、彼女が私の住んでいた街にいたのはほんの数ヶ月だけだったわ。あとは
 それっきり。全然会ってないの。今ごろどうしてるのかしらね。」
 そう言ってハーブティーのスプーンをかき混ぜるあや。
「そう。その友人に会ったのは、確か……。」
 あやの話は、遠い過去へと続いていく。
 あやが彼女と出会ったのは、大学院で研究していた時の事だった。
 そして、その友人は12歳ほど。
 幼いはずが妙にませていたりする、この年頃の特徴を持った娘だったと言う。
 あやは、当時大学院で調香関係の研究をしており、その知識を共に友人と語り合ったと言う。
 少女はどういう訳かその知識は抜群に良かった。どの香をどういう風に活用すればどのように体や精神に
作用するのかを良く知っていた。
 同じ知識を有し、そして互いに活かせる相手と巡り合った2人に友情が芽生えるまで、時間はかからなかっ
たと言う。そして、彼女がこの街にいる間にこのハーブティーを習ったそうなのだ。
「いい友達だったんですか?」
 そう尋ねる明日香に、あやは嬉しそうな顔で答える。
「ええ。とってもいい友達だったのよ。」
 だが、明日香はその嬉しそうな表情にかすかな陰りが見えたような気がした。
 そして、明日香はあやにこう言った。
「あの、また、ちょくちょく来ますね。友達も一緒に。」
 すると、あやはぱぁっと顔に笑みを浮かべ、
「まぁまぁ。それはまた忙しくなりそうね。」
 と微笑んだ。

 それ以来、明日香は暇さえあればちょくちょくこの美術館に顔を出すようになった。
 また、章子や美奈や恋美と連れ立ってくる事もあった。
 そのたびに、あやはハーブティーとクッキーを用意して可愛いお客様たちを迎えてくれた。
 そんな中で、明日香は恋美と共にまた美術館に来ていた。
 だが、その時に明日香たちが目にしたのは……。

「帰って下さい!!息子の遺作は、より多くの人に見てもらってこそのもの!!金持ちの道楽の為や利殖の為の
 ものではありません!!」
 美術館に入ろうとした矢先に聞こえて来た言葉。
 慌てて中に入る明日香と恋美。
 そこには、いつもの温和さは欠片も無い激昂して叫ぶあやと数人の男たち。
 そして、その男たちの中央にはキザとイヤミを写真にしたような鼻持ちならない風体の男。
 その男は、いかにも心外だと言う顔をして言う。
「何を言うのです。ただ私は、これらの作品を私の秘蔵のコレクションに大事に大事に加えてあげましょう
 と、そう申しているのですよ。名誉な事だとは思いませんか?」
「ふざけないで!!あなたの噂を知らないとでも思っているの?美術界では有名よ!!コレクションに加えるなど
 と言って無理矢理巻き上げ、その後はブラック・マーケット行き……。」
 そのあやの言葉に、明日香は思い出した。あの男の事を。
 裏世界では有名な裏絵画ブローカー、江上徹。
 表世界から裏世界へと彼の消した絵画は数知れず。人呼んで、アートイレイザー(芸術消去者)。
「何を言うのですか。そんなもの、デマに決まってますよ。」
(嘘つくんじゃないわよ。)
 明日香は心の中で毒々しく呟いた。

© Kiyama Syuhei 木山秀平
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