Report 10 救いと愛しき人
いきなり後ろから何かを口に当てられ、ルージュはびっくりし、それをはずそうとする。
そして、文句を言う。
「何をするの?アスカ3rd!」
それを聞いた雅貴は、ルージュに向かって叫んだ。
「はずすなっ!今、この部屋に毒ガスが流れてるんだ!とりあえず、この小型ボンベを使っていればしば
らくはもつ!」
そして、手探りできちんとルージュに当てたマスクを固定しようとする。
一方その言葉を聞いたルージュ、頷いて言う。
「分かったわ。それじゃ、あなたも急いでマスクをつけて……。」
それを聞きながら、ルージュのマスクを固定し終わった雅貴。言葉を遮るように言う。
「残念ながら、そいつは無理だ。」
「え?」
雅貴の台詞に疑問詞を浮かべるルージュ。
雅貴の答えは、それこそルージュにとっては残酷以外の何者でもない事実だった。
「酸素ボンベのマスクは、それ一つしかないんだよ。」
驚愕の表情を浮かべるルージュ。
自分の正体がばれる恐れなど頭から吹き飛び、雅貴に自分の顔を向ける。
ルージュは雅貴に今までにも数回顔を見られているが、いつも雅貴側からしてみれば遠目だったことと
紅い瞳が第一印象として彼の頭に焼き付いていることとがあいまって正体がばれるまでには至らなかった。
しかし、いくらなんでもアップで顔を見られれば正体はばれる。
だが、今のルージュはそんなことを考えられなかった。
ただ、ただ雅貴の身が心配だった。
「大変っ!」
盗聴機の受信機を耳に当てていた芽美は叫んだ。
横では、昨日徹夜して、なお今まで起きていた大貴が芽美の持って来た毛布にくるまって仮眠を
取っている。
大貴が先ほどからあくびを連発していたのだ。
それで、芽美は監視役を引き継ぐから眠るように大貴に言った。
大貴はそれを受けて仮眠を取ることにしたのである。
気がつけば芽美は慌てて藤山邸に向かっていた。
その後ろで、大貴は平和そうな顔をして眠っていた。
雅貴の瞳は既に霞んでしまっている。
そして体に対し、脱力感が徐々に出てくる。
ルージュがこちらを振り向く。
しかし、雅貴はその顔を見ることは出来ない。
雅貴は、ゆっくりとルージュに倒れ込む。
ルージュの体温を感じながら、雅貴は既に死を覚悟していた。
そして雅貴は呟く。
「ちくしょう……情けねぇ……。目も霞んでお前の顔も見れない……。」
振り向き、雅貴の顔を見たルージュは更なるショックを受ける。
すでに雅貴の顔面は蒼白だった。
雅貴の体はその支える力を失ったようにルージュにもたれかかる。
ルージュに雅貴の呟きが聞こえた。
「ちくしょう……情けねぇ……。目も霞んでお前の顔も見れない……。」
「待ってて!すぐにこれはずしてあなたに……。」
ルージュは慌ててマスクをはずそうとする。
だが、それを感じ取った雅貴は抜けていく力を無理にでも止めるような感覚で自分の手でルージュの
腕をつかむ。
「やめろ。」
雅貴の呟き。
「どうして!?どうして止めるの!?」
ルージュの叫び。
「もう……俺の体は致死量分のガスを吸ってる。お前にそれを渡した時点で俺の目は霞んでたんだ。」
「それでも、何もしないよりはましだわっ!大体、あなたどうしてあたしを助けるの!?あなたはあたしを
追う探偵でしょう?あたしは、あたしは泥棒なのよ?」
そのルージュの叫びに雅貴は答えた。
「泥棒なら、死んでいいってのか?」
その言葉にルージュはその目を見開く。
雅貴のまっすぐなまでの優しさ。
そしてそれゆえに雅貴は自分の命を顧みずに自分を救おうとしている。
ルージュは、もう自分にはそんな人間はいないと思っていた。
父が死んで、孤児院を出て、そして自分は一人ぼっちなんだと言い聞かせて来た。
ところがそうではなかった。しかも、自分を捕まえる立場の-----。
敵のはずの、ライバルの少年が------。
それが……ルージュには限りなくその心に痛かった。
「俺なら………大丈夫だから……。」
ルージュを安心させようと、雅貴は抜けていく力を感じさせない様に両足で立ち上がる。
そして、極上の笑みを浮かべる。
そして、そこまでだった。
雅貴の意識は途切れた。
雅貴の体がいきなり糸の切れたマリオネットように倒れた。
四肢が痙攣し、口からはよだれが出ている。
状況は一目瞭然。
人事不省。死亡寸前。
もはや、雅貴の体はどんな外部刺激にも反応しないだろう。
ルージュは、雅貴の体に近寄るとその体を抱き起こして叫んだ。
「アスカ3rd!雅貴さんっ!しっかりしてっ!」
ルージュはマスクをはずすと雅貴の口と鼻を覆うようにそれをかぶせる。
「雅貴さん……お願いだから……。」
ルージュの、いや、明日香の瞳から幾度となく大粒の涙が零れる。
既にガスは部屋中に充満している。明日香のやっていることは自殺行為だ。
しかし、明日香はそれをせずにいられなかった。
雅貴を失うくらいなら、自分が死んだほうがましだ。
本当にそう思えた。
しかし、状況はまったく好転していない。
このままでは雅貴は死ぬ。
明日香は焦りから自分でも異常だと、やっても無駄だと思える行動に出る。
出入り口のドアをたたき出したのだ。
「開けて、開けて、開けて、開けて、開けて、開けて、開けて、開けて、開けて、開けてぇっっっ!」
何回も、何回も、何回も何回も。最後には涙声になっていた。
そして、先ほどドアを叩いた時と同じようにその場に糸が切れたようにうずくまる。
ただ、その時と違う点が一つ。
ドアの叩きすぎで、明日香の腕から血が出ていたことだ。
そして、明日香の喉から、叫び過ぎでかすれてしまった涙声が出る。
「死んじゃう………雅貴さんが死んじゃうよぉ……。誰か……誰か助けて………。」
そして、ぽつりと。
静かだが悲愴な声が出る。
「あたしは……もう、どうなってもいいから………雅貴さんを…………。」
明日香の瞳が霞む。ガスの効果が出て来たようだ。
異常な脱力感が明日香を襲う。
そして-------扉が開いた。
明日香が気を失う寸前のことだった。
ほっとした明日香は、そのまま失神した。
邸内の人間をルージュが使ったものとは別のガスで眠らせた後、芽美は書斎に入っていく。
昔、怪盗として活躍していた彼女にとって、この辺は手慣れたものである。
そして、地下室へと走り降りていく。
地下室のドアの前で、芽美はトランプを取り出してドアの間に挟む。
「ワン!ツー!スリーっ!」
その芽美の掛け声と共に、トランプはポンッと言う音を立てて地下室の鍵を壊す。
ハンカチをポケットから取り出し、口を押さえてドアを開ける。
芽美がそこで見たのは、焦点の合っていない、ほっとしたような瞳で自分を見るルージュ----明日香
の姿だった。
明日香は芽美にもたれかかる。
「ちょ……ちょっと!?」
慌てる芽美。
しかし明日香はうわ言で呟く。
「雅貴さん………。」
その言葉にめいみははっとした顔で雅貴のほうへ顔を向ける。
明日香をそのまま横たえると、雅貴の側へ近づく。
そして、屈むと雅貴のマスクを見る。
雅貴のマスクには、ガス反応のランプのほかにもう一つ、赤いランプが点っていた。
このアイテムについては、雅貴が前に説明していた。
確か、既に毒ガスを吸った後にマスクをした場合、マスク底部に仕込んである万能中和剤の吸入装置が
自動的に作動する。
この装置の作動中は、それを示す赤いランプが点るのだ。
そのランプを見てほっとした芽美、立ち上がると近くにある袋を持ち上げ、明日香を担いで地下室の外
に出る。
もちろんドアについた血も拭き取る。
そして、雅貴を見て微笑むとそのまま地上にと足を向けた。
「起きて、あなた。」
大貴を起こす芽美。
大貴は大あくびをして、のんきな寝ぼけ眼を芽美に向ける。
「何か変化があったのか?」
そういう大貴に緊迫した声で芽美。
「雅貴がへましたみたい!毒ガスが充満した部屋に入れられてるっ!」
「何だとぉぉぉぉっ!」
息子のピンチに大貴の目は一気に覚めた。
「だから急いで……。」
妻の言葉に大貴、
「分かったっ!」
気合いを入れてそう答えると、毛布を芽美に渡して慌てて携帯で電話を入れる。
119番とリナの所だ。
その様子を見ながら芽美は心の中で呟いた。
(ごめんなさい。あなた。でも、あの二人の邪魔はしたくないの。)
「起きて。明日香ちゃん。」
どこからか言葉が聞こえる。
明日香が目を覚ましたのは、飛鳥・羽丘家の居間のソファーの上であった。
すぐ横に、親友(恋美)の母、芽美の顔が見える。
「おばさま………。」
「危ない所だったわね。明日香ちゃん。」
芽美の優しい言葉が、明日香の心に潤いを与える。
しかし、同時にある事実に気づいていた。
それは、これで雅貴たちにルージュの正体がばれたと言う事実。
もう、聖華市にはいられない……。
明日香のうつむいた顔に、かげりが出る。
それを見て取った芽美。明日香に優しく言う。
「明日香ちゃん、雅貴のことなら心配要らないわ。」
「え?」
顔を上げる明日香。
「あなたの顔は見えてない様だし、あたしがうまくごまかしておくから。」
「え?」
「あたしが正体を教えて、それで捕まえるなんて結果に満足するような子じゃないのよ。あの子は。
父親に似てね。」
状況の飲み込めない明日香。
「どういう事ですか?」
つい、間抜けな質問をしてしまう。
「だから、あなたの正体を知るのは今の所あたし一人だけってこと。」
芽美はそう言うと明日香ににこやかに続ける。
「あなたの姿が妙に昔のあたしに重なることがあるの。だからね、あなたと雅貴の邪魔をする気にな
れないのよ。それにあなたの正体は初めて会った時から判ってたわ。」
芽美のその言葉に明日香、ため息をついて言う。
「初めからばれてたんですね。それでも、あたしはおばさまではないのに……。」
しかしその言葉に芽美は頷いて更に言う。
「それは分かってる。でも、今はただ………ね。」
そして芽美は明日香に地下室から一緒に持って来た袋を渡す。
それと同時に芽美は言う。
「何に使うつもりかは知らないけど、あなたを信じることにするわ。」
明日香はそれを受け取り、窓を開け放つ。
芽美に振り向いて、言う。
「ありがとう。おばさま。」
そして袋の中から例の裏帳簿を取り出し芽美に渡す明日香。
「うまく、役立てて下さい。それじゃ、行きます。」
そう言って紅い瞳の明日香は再び夜のしじまに向かって飛び出す。
ルージュなら、芽美の言葉を信じるべきではない。
分かったふりをしてすぐに聖華市を発つ準備をすべきなのだ。
しかし、明日香はまだ雅貴と共にいたかった。
彼と同じ時間を過ごしていたかった。
だから、信じた。芽美を。怪盗をしていた者の先輩として。
そんな明日香を芽美はただ後ろから見守っていた。
数日後、病院のベッドの上で雅貴は目を覚ました。
すぐ横にはダーク・ブラウンの瞳の明日香がいる。だが、雅貴が目を覚ましたとたんに明日香は目に
涙を浮かべて雅貴に覆い被さる。
「あ……明日香ちゃん……?」
いきなりの明日香の行動に訳の判らなくなる雅貴。
そんな雅貴に明日香はただ呟くだけだった。
「良かった……良かった……。」
そんな病室に、恋美・章子・美奈の三人が入ってくる。
「あっ!お兄ちゃん、回復したの!?良かったぁ。」
本当にほっとした表情で言ってくる恋美。
「あたし、先生を呼んでくるね。」
そう言って病室を出る美奈。
「しかし、ひどい目に会いましたね。毒ガス攻めなんて。」
その言葉に、はっとした表情を浮かべる雅貴。
気を失う寸前の記憶がまざまざとよみがえったのだ。
「そうだ!ルージュは!ルージュはどうなったんだ!?」
叫ぶ雅貴に、恋美は雅貴のベッド脇の床頭台を指差して言う。
「そう言うと思って、その一件を報じた新聞の記事のスクラップブック作っといたから。そこにあるよ。」
そう。床頭台の上には一冊のノートがあった。
雅貴はそのノートを手に取り、そして丹念にノートに貼られた記事を読んでいく。
藤山邸より、雅貴が人事不省状態で発見され、藤山代議士が殺人未遂で緊急逮捕されたこと。
それから時を置かずして、ルージュ名義で飛鳥家に藤山邸の脱税裏帳簿が発送されたこと。
(裏をばらせば、それをやったのは芽美である。ルージュの名前を使ったのは、そのほうが面倒が無くて
すむからだ。)
藤山邸の地下金庫より金塊が発見され、それがある人間より藤山代議士が騙し取ったものであること。
そして、脱税、殺人未遂、詐欺の容疑で藤山代議士が正式に逮捕・書類送検されたこと。
スクラップブックの内容を要約するとそんなものである。
「そして、今日の新聞ね。」
スクラップブックを読み終わった雅貴に、更に新聞を差し出す恋美。
「社会面のトップ記事。ここ、この間あたし達が行った所じゃないかしら?」
そこには、謎の寄付金の話が載っていた。
いきなり経営困難に陥っていた養護施設の門の前に大金が置かれていたと言うのだ。
しかも『役立てて下さい』と言う手紙付きで。
新聞に書かれてある金の入っている袋の特徴から、雅貴にはそれがすぐにルージュだと分かる。
雅貴はにやりと笑って呟いた。
「そーゆーことだったのか……ルージュのやつ……。」
そう呟く雅貴。
記事によれば、袋の中に入っている札束はナンバー不揃い。ルージュが盗んだものと言う確固とした
証拠はない。
更に言えば、もともと脱税で貯めた金である。おそらく被害届は出ない。
そして、被害届の出ないもしくは取り下げられた窃盗は、窃盗としての罪を問われない。
(まったく……よくやるぜ……。)
そう心の中で呟きにやりと笑う雅貴に向かって明日香。
「良かった……。本当に……。」
その涙を浮かべる明日香の姿が一瞬目が霞んで良く見えなかったあの時のルージュにダブる雅貴。
しかしすぐに首を振る。
すぐ近くの人間を疑いたくはない。そう思ったのだ。
そして、不意に明日香は尋ねる。
「まだ………ルージュを追いかけます?」
雅貴はその明日香の問いに、満面の笑みを浮かべて答えた。
「あぁ!当然だ!」
そして……二人の間にまたいつもの日々が戻ってくる------。
FILE 10 THE END
© Kiyama Syuhei 木山秀平
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