Report 1 ルージュの悪夢


 響く雨の音。
 路地を歩く兄と母。傘も差さずにそれを追う、5歳の少女。
 少女は、我が身が濡れるのもかまわずに兄と母を追っていた。
「待って………待って……お母さん……お兄ちゃん……。」
 少女の必死の言葉にも、二人は振り返らない。
 水溜まりに足を取られて少女が転ぶ。その音に少し振り向きかけた兄。
 兄の紅い左目を見て、少女は必死に訴える。
 お兄ちゃん、置いていかないで。と。
 少女自身も持つその紅い瞳に。
 しかし、その兄を母は押しとどめた。
 そして、母は言う。
「つらいだけよ。キョウ。私たちは、自らの理想に進もうとしている。それに甘い情など必要無いわ。」
 そして、兄はその振りかえりかけた首を元に戻す。
 再び歩き出す二人。立ち上がり更に追おうとする少女を、力強い手が引き戻す。
 振り返る少女。
 そこにいたのは、紅い瞳を持つ、少女の父だった。
「やめるんだ。明日香。母さんたちは、もう戻らない。人として、許してはならない領域に入ろうとし
 ているんだ。止めても無駄だ。」
 しかし少女には、いや、当時の明日香にはそれが判ろうはずも無い。
 明日香は、その手を伸ばして母を、そして兄を呼ぶ。
 だが、体は前に進まない。父が明日香を後ろから引き止めていたから。
 母と兄が遠くに消える。少女の脳裏には唯一母が別れ際に言った言葉が残っていた。
「明日香。もしも私たちを追いたいならば、怪盗になりなさい。」
 と、いう言葉が。
 いつまでも。いつまでも。
 明日香の脳裏に残っていた------。

 アパートの一室。
 明日香は目を覚ました。
 汗をびっしょりとかいている。季節はもう夏だ。
 外は暗い。まだ、土曜日の午前3時である。
 アスカ3rdとの勝負。今度は負けてしまった。
 だからさっさと眠ったのだ。いつまでも負けを引きずっていたくないから。
 いつも負けているわけではない。勝つこともある。
 ただ、それはすべて負けるわけにはいかないメール依頼の代物。
 遊びで勝ったことは一つも無い。
 それが却ってルージュとしての明日香のプライドに刺激を走らせる。
 それに加えて、先ほどから癇に障る音が外から聞こえてくる。
 雨の音だ。明日香は雨の音が嫌いだ。
 嫌なことを思い出してしまうから。
 そして、それはそのまま自分がルージュ・ピジョンであることに繋がっているから。
 明日香は、じっと外を見ていた。
 嫌な音が、早く無くならないかと。

 土曜日、雅貴は学校が休みである。
 部活に入っているわけでもないので、ゆっくり眠れる。
 それは、雅貴の妹である恋美も同じ事だ。
 しかし、どういう訳か雅貴は早く起きる。
 いつもなら妹はゆっくり眠る。しかし、この日はどういう訳かこの妹が勘違いをした。
 朝起きて、顔を洗おうと下の洗面所に行く途中だった。
「やーっ!遅刻しちゃうーっ!」
 後ろでそういう声を言ったと思うと、恋美は階段を降りようとしていた雅貴に体当たりをかました。
 後ろに尻餅をつく恋美。
 当然のようにバランスを崩す雅貴。
「おっ!とっ!とっ!やっ!はっ!とっ!」
 必死になってバランスを取ろうとする雅貴。
 しかし、最後の一手で失敗したか、雅貴は完全にバランスを崩す。
「だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 父親が乗り移ったかのような見事な階段落ちを演じた雅貴は、階段の下で股覗きになった視界で天井
を見て呟く。
「朝っぱらからこれかよ………。」

 雅貴-----本名・飛鳥雅貴。旧姓・羽丘。こう書くと養子か何かかと思われがちだが、正真正銘この一家
の血の繋がった長男である。
 まあ、詳しいことはFILE 7を読んでもらいたい。
 そして、あだなは友人間では3代目。その他ではアスカ3rd。
 表向きは公共捜査ボランティア団体SEPの一員。
 しかし、非公式警官隊SEPのメンバーでもある。ただし、この事は家族は知らない。
 そして、何をかくそう彼こそは、現在聖華市を騒がす怪盗、ルージュ・ピジョンの専任捜査官なのだ。
 父親が探偵で、母親は昔聖華市を騒がせた元怪盗にして元マジシャン。現在は主婦兼父親の助手。
 そして今雅貴を見下ろしている妹----羽丘恋美は、中学の1年生。
 ちなみに雅貴は高校1年である。
 閑話休題。

「ごめーん。お兄ちゃん。大丈夫?」
 母親譲りの持ち前の運動神経で、階段の上から下までを一気に飛び越えて見事着地し、雅貴を見下ろ
す恋美。
 雅貴はため息をつくと、体を後転させる要領で一気に起き上がる。
 そして、体の埃をはたきながら言う。
「大丈夫。大丈夫。慌てるなよな。今日は土曜日だ。」
 その雅貴の言葉を聞いた恋美。口に手を当ててはっとした表情をする。
 そして、呟いた。
「そうだった……ほんとにごめん。お兄ちゃん。」
 しゅんとした声の恋美の頭に雅貴はぽんと手を乗せて、
「気にしてねーよ。さ、めしだ。めし。朝ご飯だ。」
 そう言うと、キッチンに向かう。
 恋美もその後を追った。
 二人がキッチンに入った時、既に朝ご飯の用意は出来ていた。
 今日の朝ご飯はご飯、味噌汁、ししゃも、梅干し、のりという、典型的
日本の朝食である。
 ただ、ご飯と味噌汁はそれぞれ、ジャーとコンロのなべに入ったままで
よそわれていない。
 ご飯と味噌汁をよそえばそれでご飯が食べられる状態になっているのだ。
 そして、食卓の上にはメモがあった。

© Kiyama Syuhei 木山秀平
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